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 翌日、私は昨日を更に上回る勢いで心臓をばくばくさせながら訓練場に向かっていた。
 何と先輩の口利きで、クォークさんから直々に個人訓練を受けられる事になったのだ!
 どうしよう。どうしよう。
 恋焦がれる人と、訓練とはいえ二人きりになってしまう緊張に、偉大な方のお手を煩わせる申し訳なさもプラスしたドキドキの嵐が私の心の中をかき乱している。どうしよう。本当にどうしよう。そもそも、昨日入ったばかりの新入部隊員の分際で、こんな扱いを受けてもいいものなんだろうか? 天下の《ベルゼビュート》の幹部はそんなに暇じゃない筈だ。
 同僚からの申し入れを断りきれなくてしぶしぶって感じだったら本当に申し訳ない事だけど、でもこれは願ってもない事だ。クォークさんの恋をする女の子としてじゃなくって、一人の兵士として、大いに学べる機会となる筈だ。せめてどうしようもないへたくそさを露呈して幻滅されたりなんてしないように、一生懸命頑張らないと!
 決意を握り拳の中にぐっと固め、私は訓練場に辿りついた。閉められた扉の前に立って、一つ二つ深呼吸して心を落ち着ける。
 と、そんな時、扉の向こうから物音が聞こえる事に気がついた。私ははっとして顔を上げる。時間よりも大分早く来たつもりだったのに、クォークさんを待たせてしまっていたのだろうか。入隊二日目からのいきなりの失敗に背筋が凍る思いがしたが、すぐさま我に返ると即座に扉を押し開けた。
「すっ、すみませ……ん……」
 中を確かめずに叫んだ謝罪の声を、私は、状況に気付くや否や慌てて尻すぼみにした。訓練場では、今まさに実戦形式の訓練が行われている所だった。別に私を待っていたのではなく、ただ単に、私の前に別の人との訓練を約束していただけであるらしかった。
「やあ。少し待ってて。これで終わりにするから」
 小柄な女性ソーサラーと対峙したまま、クォークさんがこちらへと声を掛けてくる。私は自分のうっかりにも程がある勘違いに顔を真っ赤に染めながらこくこくと頷いた。あああ、恥ずかしい! こんなみっともない勘違いで、僅かとはいえ他人の訓練の邪魔までしてしまうなんて!
 けれどもやってしまった失敗は仕方がないし、今謝罪しても更に邪魔になるだけだ。後できちんとお詫びしようと決めてどうにか心を落ち着けて、私は壁際に寄り、訓練の様子を見学することにした。
 クォークさんと向き合っているのは、栗色の肩くらいまでの長さの髪の、私より少し下くらいの年齢に見える女性だった。軍が定めた階級によって所持出来る装備というのが厳密に定められているんだけれど、その装備からすると、一等兵の階級を持つ兵士であるようだった。それを見て私はこっそりと首を傾げる。《ベルゼ》に一等兵などいただろうか。《ベルゼ》は兵卒としては最上級の階級である上等兵しか在籍していないと思っていた。
 私の疑問を他所に、運動場では訓練が静かに再開された。目の前の少女がふっと杖を振り上げ、それを勢いよく振り下ろす。空から、一条の雷光が飛来し、クォークさんの傍の地面を叩く。傍、にしか過ぎないのはクォークさんが、少女が挙動を開始した瞬間に素早く移動したからだ。クォークさんはそのまま地を蹴って、少女へと接近する。防御力が低く、威力が大きい代わりに隙も大きい魔法という武器を使うソーサラーにとって、敵の接近は万難を排して防がねばならない事だ。ソーサラーの少女は迫り来る相手との相対位置を縮めないように迷わず後退して距離を取る。自分の得意の間合いは維持し、敵の得意の間合いには寄せ付けない。既に前線戦闘もいくらかは経験しているのか、白兵戦に対する基礎はちゃんと出来ているらしい。
 が、そんな少女の足捌きが、唐突に縺れた。
 何かに躓いたらしい。
 ああっ! こんな時にっ!
 しかしクォークさんは、そんな下級兵のちょっとしたヘマに容赦したりはしなかった。わたわたと体勢を整えようとしている少女に足を止めることなく近づいてゆく。
 少女もまた敵の接近に気付き、その危機を回避するべく体勢を崩したまま杖を振るった。強烈な冷気を自分を中心とした同心円状に放つという中級の氷魔法。緊急回避に使うには最良の選択だ。
 が――
 クォークさんは少女の反撃を見越していたかのように、魔法の発動を見るか見ないかという絶妙なタイミングで、その冷気の圧力をぎりぎりで避ける高さに素早く跳躍した。――最良の選択だけに読み易い手だという事なのだろう。読み合いに関しては、クォークさんに分があったようだ。
 冷気と少女を飛び越えその真後ろに着地したクォークさんは、着地した足を軸としてくるりと少女の方に向き直る。そしてそのまま、目の前の小さな背中に、両手に持った大きな斧をゆらりと振り上げ――
 戦場でなら、その斧で首筋か頭蓋骨を一刀両断にして終了する所だったのだろうが、クォークさんは斧を振りかぶった恰好で片手だけを離し、離した方の手でてしっと少女の後頭部をチョップした。軽そうな打撃に見えて実は結構な衝撃だったらしく、少女は「わあっ!?」と悲鳴を上げながら前につんのめるが、斧を振り下ろされるよりは何百倍もましな攻撃である。今度もまたあわあわと腕を振り回してバランスを取ろうとするも結局その甲斐なくすてんと転んだ少女の姿が余りにも可愛らしくて、私はくすっと笑ってしまってから、しまった、と表情を引き締めた。知らない人に対して失礼だった。
 幸いにして私のそんな振る舞いは気付かれなかったようで、よろよろと少女は起き上がり、ちょっとふらつきながらも、有難う御座いました、とクォークさんに頭を下げて訓練は終了した。

「さっきの方、《ベルゼビュート》の方ではない……ですよね?」
 とぼとぼと帰って行った、近くで見たら結構な勢いで土埃まみれだったソーサラー(先程のような展開を既に何回も繰り返されていたと推察される)を見送った私は、まず最初に今回の闖入を謝り、笑って許してもらってから今の女性について尋ねてみた。昨日の訓練では見なかった顔だと思う。勿論、全員が参加していた訳ではないので昨日は参加していなかったメンバーという可能性はあるのだが……大変失礼なことながら、《ベルゼ》のメンバーにしては少々どんくさそうに見え、ちょっと不思議に思ったのだ。あ、ほんとに失礼だ私。何様のつもりだろう。
「ミナ? うん、違うよ。部隊長は入れって誘ってるみたいだけど」
「ああ、部隊長さんのお知り合いなんですか」
 ミナさんというお名前のソーサラーさん、失礼な事を考えてごめんなさい。内心で謝っておく。
「部隊長だけじゃなく、女ども……じゃない女性陣には結構仲良くしてる人も多いんじゃないかな。アイラとか」
 アイラさんは《ベルゼ》一の氷魔法の使い手だ。私はソーサラーではないけれど、専門外な私でさえも、昨日一日の訓練だけでその実力は十分に理解出来た程だ。おまけに超美人。まさに《ベルゼビュート》部隊員に相応しい雰囲気の尊敬すべき先輩だ。
「部隊外の方にも訓練していらっしゃるとは知りませんでした」
 私の知る《ベルゼビュート》は互助組織としての義勇兵部隊の側面を余り持たず、新兵教育などにも熱心でない印象があった。戦場でも、他部隊と連携して動くのではなく、実力の高い身内だけで戦力を固めて単独で行動する事を好む節がある。勿論作戦によっては少数精鋭が最も効率的である場合もあるから、決してそれが悪いという意味ではないんだけれど、口の悪い人は、面倒な仕事は他部隊に任せて好き勝手遊んでいるならず者ども、だなんて言う事もある。
 本当は、かつて私にそうしてくれたように、彼らから見たら足手纏いでしかない無関係な兵士を助けたりしてくれる事だってあると知っていたので、私はそこまで酷い部隊だとは思ってはいなかったのだけど、外部の兵士の訓練を行っているというのは私も意外に思った。
 そんな外野からの評判は、彼自身も耳に入れているのだろう。クォークさんは私の驚愕の意味を察して、少し困ったように苦笑して見せた。
「手が空きさえすれば、部隊関係なく訓練をつけてあげたいんだけどね。現実的にはそうも行かないから基本的には部隊員優先になるんだよな」
 部隊員だけの要望でも、結構時間が足りずに応じ切れない部分もあるし、と何気なく笑う彼に私は青くなった。
「す、すみません。そんなにお忙しいのに、私なんかの訓練まで見て頂くなんて……」
「ん、いや、新入部隊員は最優先事項だよ。その為に入隊してもらったようなものだしね。新人に強くなってもらえれば、こっちも楽出来る」
 だから遠慮なんかしないで、分からない事があればいつでも聞いてくれていいんだからな、とクォークさんはにこりと笑って言ってくれた。
 本当に、優しい人だなあ……
 クォークさんとお話していると、どきどきするだけでなく、ほっこりと心の中が暖かくなって来る。
「……あんまり無理、なさらないで下さいね」
「大丈夫だよ、休暇は休暇でちゃんと取ってるし。……じゃ、そろそろ始めようか」

 私が《ベルゼビュート》に入った最大の動機は、クォークさんと再会するという不純なものだったけれど、そこに至るまでの厳しい訓練で多少は自信と実力をつけた私は、戦うこと自体にも楽しさを感じるようになってきていた。クォークさんとの訓練は、厳しくも的確でとても分かり易く、当り前だけど自分で行って来た自主トレなんかとは全く比較にならない手応えを感じる充実した時間となった。
 《ベルゼビュート》に入れてよかった! 心からそう思った。
 期待に沿える立派な部隊員になれるように、一生懸命頑張ろう!

 訓練を終えてクォークさんに丁重に礼を述べ、くたくたに疲れていながらも喜びに満ち溢れて足取りも軽く訓練場付属の更衣室へと戻り、着替えを済ませてさて帰ろうと鞄を持ち上げた所で忘れ物に気がついた。しまった、片手剣を訓練場に置き忘れてきた。……帰る前でよかった。
 急いで訓練場に戻ると、既に無人だと思っていた訓練場は大きくドアが開け放たれていて、中にまだ人がいることを知らせてきた。あれ? 今日の訓練はもう終わりだと言って筈なのに、クォークさん、まだ残ってるのかな……?
 また中のお邪魔をしたりしては申し訳ないと、私は足音を潜めてそっとドアへと近づく。……と、中から不意に、責めるような険のある声が聞こえてきて、私はびっくりして思わずその場に足を止めた。
「あんた、あの子に気でもあるわけ? あんなに仲良くしてさ」
 女の人にしては少し低めなのによく通るその声は、部隊の先輩のアイラさんのものだった。
 ――けど、それよりも、その内容の方に私はどきりとする。
 え、そ、それ……、な、何の話……?
「……何を言ってるんだ?」
 私の疑問と概ね同じ問いを返すクォークさんの声の方は、淡々としたものだった。それに対して、腰に手を当てて半眼で睨みつける仕草が目に浮かぶ声でアイラさんが呟く。
「しらばっくれちゃって。あの新人の子にだけ全然態度違うじゃんあんた。まるで恋人を相手にしてるみたいよ?」
 ――どきんっ……!
 私は普段着の胸元をぎゅっと握り締めて、辛うじて声を上げるのを堪えた。
「……は?」
 僅かの沈黙があってから、クォークさんが一言、驚いたように呟く。その、自分でも思っていなかったことを指摘されたかのような返答に、アイラさんの声が恐らく少し眉をひそめたのであろう疑問符を帯びたものに変わる。
「……もしかして無意識なの?」
「…………」
 クォークさんが沈黙しているその隙に、私は足音を立てないように後ずさり、そっとそこから離れた。気配を殺したまま少し歩いて、足音を察知されない程度に離れた所まで来ると、もう我慢が出来なかった。高揚する感情を抑え切れずに走り出してしまう。
 ――昨日の訓練で、他の先輩方よりもずっと柔らかい接し方をしてくれていたような気がしていたけれど……それが、私だけの気の所為じゃなかったなんて。
 クォークさんの優しく細やかな心配りにいちいちときめいてしまうのを抑える為、それはただ単に、新入部隊員に対しての気遣いなのだと思い込もうとしていたのだけれど……アイラさんの言っている事が正しいとすれば……そういう事じゃないって事になる……よね?
 じゃあ、一体どういう意味で、私に優しくしてくれたの……?
 どうしよう。どうしよう……!
 あれ以上、彼の気持ちを盗み聞きしてしまうのはずるい事のように思えて、思わずその場を離れてしまったけど……あの問いに、彼はどう答えたんだろう? 気になってしょうがない。
 本当に無意識だったのだろうか。
 それとも意識的に……?
 これまで頑張って来たのを、少しは認めて貰えたのかな?
 私という女の子の事を、少しは意識して貰えてるのかな?
 まさかまさか! 流石にそんなに都合のいい事はある訳ないって!!
 そう、自分を戒めてみるものの、私の妄想は一向に止まらない。
 どうしよう……っ!

 ねえ、クォークさん。
 少しは希望を持っても、いいですか……?


* * *


 アイラの怒気すら含んだ指摘に、クォークは冷淡に目を細めて嘆息した。
「……あのなぁ、お前日頃の自分の態度ちょっと考えろよ。お前らみたいな根性ひねた性悪女どもと、あんなに生真面目で真剣に教えを乞うて来る新入部隊員を同じように扱える訳ないだろ。ミナと似たような対応になるのも当たり前だ、訓練への取り組み方のタイプが一緒だし」
「だからって、他所の女を恋人と同等に扱うのはまずいでしょ。ミナちゃんに拗ねられたって知らないんだから」
「訓練中にミナを特別扱いする事はないよ。ミナだってそれは知ってる。……っと、ちょっと待て、着信」
 言いつつクォークは、ポケットから手のひら大の石を取り出した。通信石だ。
「あ、ミナ? 訓練? 終わったよ、今すぐ帰る」
 彼にしか聞こえない設定にしてある音声に対し、クォークが明らかに声のトーンが違う弾んだ声で答えるのを聞いてアイラは思わず目を丸くした。アイラとの会話と違うのは当然だが……実際に聞くとその声質は、あの新人兵士との会話とも、どこを取って似てると思ったんだろうと首を傾げたくなる程に全く違うものであった事に気付く。
「晩飯? 何でもいいよ。え、何でもいいじゃ困る? ははは、困ったなあ。ミナの作るものは何でも世界一だからなあ。何が食べたいって言われたらそりゃあ勿論一番食べたいのはミナだけど? あああごめんごめん切らないで俺が悪かったごめんなさい。……そうだなあ、魚。魚が食いたいな。ミナの綺麗な身体みたいな真っ白で舌触りのいい白身魚をね、……あ、切られた」
 ミナったら照れ屋さんだなあ、などとやに下がった顔で呟きつつクォークが、思い出したようにアイラの方に向き直る。
「悪い。で、何の話だったっけ?」
「……いや。もういい。忘れて。なんか私の勘違いだったっぽい事がよーく分かった」
 片手を挙げて会話を終了し、アイラは踵を返してから、一人で首を傾げた。
 ――変わったな、とは思っていたが……いつの間にこんな色ボケ大魔王になったんだこいつ?

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