頑張る少女の恋の結末
1
最初は憧れだと思ってた。
けど、
首都や砦ですれ違うときの冷静な横顔を。
友達と冗談を言い合っている時に見せる、少年みたいな笑顔を。
戦場で、戦斧を握っている時の真剣な眼差しを。
いろんなあなたを見ているうちに、自分の本当の気持ちに気付いたんです。
これは、恋なんだ、って。
その瞬間から私の世界の色が変わりました。
終わらない戦争が連綿と続くこの世界。
剣と血に彩られた、暴力のみが支配するこの悲しい世界が、
あなたに恋をして初めて、きらきらと輝いて見えるようになりました。
私、あなたに恋することが出来て、凄く幸せです。
とうとうここまでやってきた……
私は今、溢れそうな程の感慨と極度の緊張を胸に、訓練施設の前に立っている。
私の名前はジャンヌ。この国の正義を護るべく微力ながら剣を取る、一介の義勇兵だ。
今日は、私が《ベルゼビュート》の入隊を許されてから初めての部隊訓練日。
入隊時の事務処理で、部隊長さんを初めとして何人かの部隊員さんとは既に顔合わせを済ませているけど、幹部の方々の多くや他の皆さんの前でご挨拶するのはこれが初めてだ。
勿論、あの人とも……
ずっと憧れだった部隊、《ベルゼビュート》。国でも最大級の名声を誇る、最精鋭の義勇兵部隊。
人数的な規模は決して大きくはないが、上げた戦果は数限りなく、その名声は他のどんな大部隊の追随をも許さない。
今年開催された『大会』でも前評判通りに優勝を果たし、五大国全ての部隊の頂点に立った。
本来ならとても私が入れるような部隊ではなかったのだけど、私はとある事情から、どうしてもこの部隊に入りたかった。そして、四度目にもなる入隊試験への挑戦で漸く合格する事が出来たのだ。
……そんなしつこい志願者だったもので、顔合わせ以前にも事務方の部隊員さんとは数人、顔見知り、というか顔を覚えられてしまっている。
「ああ、ついに入隊出来たんっすね、おめでとうございます」
よく手続きを行ってくれていた人当たりのいいスカウトの男性が、訓練場の前で立ち竦んでいた私に気付き、声を掛けてくれた。
「どうぞ、って言うか、あなたはもう部隊員なんですから、堂々と入ってきていいんすよ」
苦笑しながら重い門扉を開けてくれ、私はおずおずと中に入った。
扉の先は広い運動場になっていた。四方を壁で囲まれた、赤茶けた土のグラウンドの片隅に、雑談をしながら訓練用の武具の点検をしているらしき一団を発見する。
私は自然とそちらの目を向け――
足が止まった。
どきん。
心臓が震える。
頬が熱くなる。
世界の色が、その人を中心に鮮やかに塗り替えられる。
ああ――
漸く、会えた。
招き入れてくれたスカウトの男性に付き従って、私はその一団へと近づいていく。
私の緊張の度合いは更に増した。手と足が一緒に出ていたかも知れない。
スカウトの男性が、一団の中で一際存在感を放つ一人の人に声を掛けた。
「クォークさん」
私が《ベルゼビュート》への入隊を切望していたのは、ただ一人の人に会いたかったが為だ。
今までは遠くから見つめる事しか出来なかったその人が――
呼びかけに、少し長めの黒髪を揺らして振り返った。
見慣れない人間の姿を目にしたからだろう、彼はその場にすっと立ち上がった。一部隊の幹部でありながら一介の新入部隊員に対してそんな丁寧な応対をする事に私は驚くが、すらりと背の高い、けれどいかにもウォリアーらしい優れた体格の方につい目が行ってしまう。これまで何度も見つめてきた姿だけど、間近で見ると本当に迫力がある。身体の横幅は、ウォリアーとしては決して大きくはない方だろう。けれどもしなやかに鍛え上げられた筋肉は、名工の手による刀剣のように見る者を圧倒する。
「こちら、今日から入隊される、ええと……」
「ジャ、ジャンヌですっ! 宜しくお願いします!」
スカウトの男性の促しに応えて、私はつい反射的に馬鹿みたいな大声で名乗り、勢いよく頭を下げた。頭に血が上り過ぎて、目の前がぐるぐると回ってしまい、自分が何を言っているのか分からなくなってしまう。
だから、私は勢い込んで、余計なことまで言っていた。
「わ、私、《ベルゼビュート》にどうしても入りたくて! が、頑張って練習したんです!」
下げた頭を同じ勢いでがばりと上げて、ぐっと胸の前で手を握り締め、全力でそんな事を訴える私は、彼から見たら酷く子供じみた、おかしな女の子に違いなかった筈だ。そんな私に、目の前の彼は一旦目を丸くして驚いて見せ、けれどすぐにその目を細めて微笑んでくれた。
「そうか。頑張ったんだな」
――うわぁ……!
信じられないくらい優しい言葉に、思わず眦に溜まりかけていた涙が零れ落ちそうになってしまい、私は慌ててぱちぱちと何度もまばたきをしてそれを堪えた。
「は、はい! ふ、不束者ですが、宜しくお願いします! 皆さんのお役に立てるよう、頑張ります!」
「うん、期待してる」
再び最敬礼の深さで頭を下げると、微笑みを伴った優しい声が私の後頭部に注がれる。部隊入隊を決心してから一年にも渡って続けてきた努力がこれだけでも十分に報われた気がして、頭を下げている間に一粒だけ涙を零すことを自分に許した。
本当に、本当に頑張った。
ウォリアーとしてお世辞にも腕前がよいとは言えなかった私だったけど、様々な部隊が主催する自主参加の講習会や訓練には積極的に出席し、自分一人でも基礎鍛錬を毎日欠かさず行って一から鍛え直した。お陰で元々背が高くて骨太で余り女らしいとは言えなかった体格がすっかりと筋肉質になってしまい、より一層女の子として残念なことになってしまったけど……。
でもどっちかといえば童顔な顔のお陰でそんな大きそうに見えないってよく言われるし! 腕まくりして力入れなきゃ力こぶが出る事だってばれないし! 多分、ぱっと見ごついって程じゃないとは思うから大丈夫だとは思うんだ! ……思いたいな!
ま、まあそんなことはいいんだけど……
私がそんな猛特訓までして《ベルゼビュート》に入りたかった理由――
きっと、彼は覚えていない。
覚えているはずがない。
だって、私は彼にとって、沢山いるファンの一人に過ぎなかったのだから。
それは、彼にとっては多分記憶にすら残っていない程度の些細な、けれど私にとっては思い出すだけで涙が出て来る程に苦く辛い思い出だった。
「部隊員としか付き合わない事にしてるんだ。ごめん」
私の呼び出しに応じて砦の裏まで来てくれた彼は、勇気を振り絞って「好きです」と告げた私に、開口一番、冷静な声でそう告げたのだった。
そりゃそうだよね……
元々、部隊員しか彼女にしないらしいっていう噂は聞いていた。どうしてそういう事にしているのかは知らないし、もし、万が一物凄く好きになった人が出来たとしたらその限りではないかもしれないけれど、どの道私はその条件に当てはまる訳がなかった。
それもその筈。彼にとっては私は殆ど初対面に等しい人間であるからだ。
私が、彼の姿を初めて見たのは三ヶ月くらい前の戦場でだった。
乱戦の中、私は一番得意とする武器である両手槌を振るって、敵と戦っていた。
戦場そのものは、かの精鋭部隊《ベルゼビュート》が参戦しているとあって優勢だったようだけど、私が加わっていた戦線は、せめて一矢を報いようとする敵の猛攻に合い、かなりの苦戦を強いられていた。
「くっ……!」
がきぃん!と甲高い音が鳴り響き、したたかに打ち据えられた私の戦槌が固い地面に転がった。即座にそれを拾い上げようとするが、私の行く手を阻む形で敵スカウトが立ち塞がる。
まずい……!
防御力の低いスカウトは、高い攻撃力を誇るウォリアーにとっては餌だ、と上手い人は言うけれど、多種多様な妨害技を駆使してくる彼らは私にとっては十分に強敵だ。その上、こうして武器を取り落としてしまっては、最早勝ち目はないと言っていい。
敵になすすべもなく蹂躙される未来を想像し、私の全身から血の気が引いていく。その絶望に、私の手足は既に妨害技を食らってしまったかのように、痺れて動かなくなってしまっていた。目の前のスカウトの男が私に向かって短剣を振り上げる。それを、私は呆然としたまま見る事しか出来ない。
男の持つ短剣が剣呑に煌めいて、私に振り下ろされる、
瞬間。
横から割り込んできた鮮烈な銀光が、その敵意の刃を軽々と弾き飛ばした――
「……大丈夫か?」
最初は憧れだと思っていた。
誰もが尊敬する凄腕のウォリアー。
危険な所を救われてときめくというのは、所謂、吊り橋効果という奴だと、冷静に自分を諭そうとした事もある。
でも、駄目だった。あれ以来、自然と目が彼を追ってしまう。
彼を意識し始めて、様々な姿を見ているうちに、私は本当に、彼に恋をしてしまっているらしいことに気がついた。
――急な呼び出しをお詫びする事だけはどうにか気を回せたけど、そこで限界だった。それ以上彼の前にいる事に耐え切れず、私はその場から走って逃げ出してしまった。私はその足で、砦の壁を大きく迂回するように駆け抜けて、彼を呼び出した場所とは別の建物の裏手で立ち止まると、人がいないことを確認してその場でうずくまり、声を殺して泣き始めた。
首都にいるなら自分の部屋に帰ってベッドに潜って泣き喚いてしまいたい所だったけど、ここは戦地の砦だ。多くの兵士が詰め、空間に余裕があるとは言い難い砦では、国軍の士官や一部隊の部隊長のような上級職ならともかく、一般兵に個室が与えられることはない。私が一人で泣ける場所はやっぱり砦の裏にしかなかったのだった。人目につかない場所であっても大声を上げれば誰かしらには聞こえてしまうだろうから、大泣きする訳にもいかない。
ああ……何だか物凄い間抜け……
こんな事ならちゃんとよく考えて、首都で告白していればよかった。それだったら誰彼構うことなく泣いて泣いて、この失恋をすぐに洗い流してしまうことも出来たかもしれないのに。
けれど、ここ暫くたまたま同じ砦に詰めていた《ベルゼビュート》が、近隣の戦況の安定に伴ってもうすぐ撤収してしまうという噂を聞いてしまった私は、いても立ってもいられなくなってしまったのだった。だって、このチャンスを逃してしまったら、いつまたあの人と同じ戦場に立てるか分からなかったから。
勿論首都にある《ベルゼビュート》の部隊本部の場所は知っているから会いに行こうと思えば行くことは出来たんだけれど……臆病な私にはそんな勇気はなかった。
一頻り声を殺して泣いてから、私は井戸から水を汲み上げて顔を洗い、居室に戻った。居室は六人部屋で、これは結構待遇がいい方だ。新参兵だった頃は常に、三十人くらいの大部屋で雑魚寝させられたものだった。同室であるのも同じ部隊の気心の知れた友達ばかりで、戻ってきた私の顔を見るなり、驚いた顔をしてどうしたのかと訊ねてきてくれた。ポンプから流れ出てきた水はとても冷たかったけど、私の目の周りの火照りを全て拭い去る事は出来なかったようだった。
私は皆に、今告白してきた事と、彼からの返事を洗いざらい話した。彼女らは、私が彼の事をずっと好きだった事をよく知っていたから。彼を見かける度に、私は馬鹿みたいにきゃあきゃあと皆に報告していたんだ……
皆は、痛ましそうな顔をして私の失恋話を聞いてくれた。よく考えれば最初から断られて当然なくらいだったのに、私の無謀を笑う子なんて一人もいなくて、残念だったねって心から慰めてくれた。
皆、優し過ぎるよ……
そこで気付く。そんな皆よりも尚優しかったのは、彼だった。ほぼ初対面でいきなり告白なんてしてきた変な女の子に、彼は気味が悪いなんていうそぶり一つ見せなかった。それどころか、自分の事情の所為だと言わんばかりの理由で断ってくれた。私なんて、彼にとっては気遣う程の相手じゃなかった筈なのに。なんて思いやりのある人なんだろう。彼の心遣いに、私の心はじんと痺れてしまった。
断りの言葉でより一層好きになってしまうなんて。私ってなんてバカなんだろう。
そんな自己嫌悪で思わず瞳を潤ませていると、友達は失恋のショックだと思ったらしく、慌ててフォローしてきた。
「あ、あーでも、ほら、それってさ、別にあんたがどうので断られた訳じゃないじゃん。部隊員じゃなきゃダメって言われたんだっけ? じゃあ、部隊員になればいいじゃない?」
その言葉に、私は涙で潤みきった目をぱちぱちとしばたいた。
それは、私のようなミーハーなファン……少なくとも彼からはそう見える女を、むやみに傷つけずに断るための口実という意味も含んでいるのではないだろうか。
何よりも……
「む、無理だよ。《ベルゼビュート》だよ? 私なんかが入れてもらえるような部隊じゃないよ」
精鋭部隊と名高い《ベルゼビュート》は、入隊に際して試験があり、部隊長の眼鏡に適った優秀な兵士しかその看板を掲げることを許されないと聞いている。凡庸なウォリアーでしかない私が、そんなこの国でも指折りの兵士たちと肩を並べる実力を身につけるなんて到底無理な相談だ。
でも……でも。
諦められるの?
私の中のもう一人の私が、そっと私に囁きかける。
諦められるの? 今でも、こんなに好きな彼の事を。
私は彼の守備範囲の外にいて、存在を意識してもらう事すら出来なかった。けれど、部隊員になりさえすれば守備範囲に入る事は出来る。そこから先、また告白した時に付き合ってもらえるかどうかの保障には当然ならないけれど、まずは目に留めてもらえなければ話にならないじゃないか。
頑張ってみようかな。……きっと生半可な努力では駄目だろう。でも、辛くて途中で投げ出してしまうのなら、その程度の気持ちだったって事だ。
駄目かもしれない。けど、本当に駄目になってしまうまではチャレンジしてみたっていいんじゃないだろうか。
そこに、少しでも希望があるかもしれないなら。
――そうして、私は今、念願叶ってここにいる。
* * *
「あーあ。あーあ。あーあ。期待持たせるような事言ってえ」
「何だよ? 後輩を労う事の何がおかしいんだ」
新入部隊員だという少女が立ち去ったのを見計らったタイミングで、何の前触れもなく囁かれて来た声に、クォークは眉根に疑問を乗せて振り向いた。後ろではアイラが、にやにやとしたいかにも根性の悪そうな笑みを顔中に浮かべて立っている。
「あの娘さあ、どっかで見た顔だなーって思ってたけど、あれじゃない? 随分前にあんたが振った娘じゃなかったっけ?」
「そうだっけ?」
しれっとした顔でクォークはとぼけたが、彼が一度見た顔、一度聞いた話はほぼ確実に覚える事が出来るという特技を持っている事は、部隊では結構誰でも知っている事実である。それを聞き、少女をここまで案内してきた青年――サイトが目を丸くして叫んだ。
「え!? そうなんすか? 彼女、ここ何回かの入隊試験の常連だったんすけど……」
「マジマジ? ええうっそー、まさかそれって……イチズなオトメのコイゴコロって奴ぅ!? やっだぁー、めっちゃキュンキュンするー!」
胸元で手を組み合わせ、声色を変えて一人盛り上がるアイラにクォークは呆れと警戒が入り混じった視線を送った。
「おい、変なちょっかいを出すのは止めろよな? 別にそういう意図だとは限らないだろ。変な勘繰りは彼女の方に失礼だ」
だがアイラのにやにや笑いは止まらない。
「さっきのあの子のハート形の目、見てなかったのー? 間違いないに決まってんでしょ。っかーやだやだ、これだから女心の分からない奴はー」
そんなもの分からなくて結構、と言わんばかりの仏頂面をするクォークに、サイトが不思議そうな面持ちで尋ねた。
「にしても何で振ったんです? 彼女が試験を受け始めた時期から察するに、それってミナさんと付き合うよりも前の話ですよね。結構可愛い子だったじゃないすか。いつもみたいに適当に食っちゃえばよかったのに」
「お前……俺を何だと……」
「女にだらしない最低野郎」
――と言ったのはサイトではなく、何の因果かたまたま通りがかったらしい部隊長であった。サイト自身もまさに同じような事を言いそうな顔はしていたが、敬愛する上司に発言権を譲ったようだ。
「……何であんたまで湧いて来るんだ」
そんなに揃いも揃ってこんなネタに興味があるのか、と唖然とした表情を浮かべながらクォークはぼやき、嘆息交じりに続ける。
「特に理由なんてないよ。ウチの部隊員じゃなかったから断っただけ」
「ああ。あんた部隊員としか付き合わない主義だもんね」
「主義じゃないよ別に。命令だよ」
「命令? 誰からのだ?」
真顔でとぼけた事を言う部隊長をクォークはじろりと睨んだ。
「あんたに決まってるだろ、やっぱり忘れてたな。多分そうじゃないかとは思ってたけど」
「ん? 何のことだ」
「もう何年も前にどこぞの部隊の幹部の女を寝取ったとか寝取らないとかいう騒動に巻き込まれた事があっただろ、その時あんたがぶち切れて言ったんだよ、『お前金輪際部隊外の女と付き合うな』って」
それを聞いて部隊長は二秒程、深い所に埋められた記憶を掘り起こすように黙考し、漸く発掘に成功したらしくぽんと手のひらに拳を打ちつけた。あの件では部隊長には折衝に多大に手間取らせてしまい、それでお叱りの言葉を頂戴する羽目になったのだが、彼女にとっては喉元過ぎればなんとやらという程度の事件であったようだ。
「おお、そんな事もあったな。……そんな言いつけを律儀に守っていたのかお前は。呆れる程真面目な奴だな」
「ミナさんは例外っすけどねー」
サイトがすかさず突っ込む。アイラのそれに似たにやにやを顔に貼り付ける友人に、クォークは仏頂面で呻いた。
「うるさい」
「けどさ、巻き込まれたとか言うけど、あんたがヘマやらかしたんじゃなかったっけあの女の件って」
どうでもいい雑談のように蒸し返したアイラに、クォークは一瞬、痛い所を突かれたような顔をして、じろりと横目を向けて弁明する。
「向こうから誘って来たんだよ、面倒な相手だと分かってたら寝てなかった。……もういいだろそんな話は」
「そわそわすんなよ、心配しなくたってミナちゃんは今日はいないよ」
「うるさい」