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ガールズトーク


 穏やかな昼下がりのカフェのテラス席。明るい日差しの中で雑談に興じていた三人の女たちは、正方形のテーブルの最後の一辺を埋めるべき友人の到着を目にすると、店の入り口に向けて大きく手を振った。
「やっほー、アイラ」
「おーっす。……あ、おねーさん本日のケーキ何?……じゃあそのマロンタルトと生チョコレートケーキ。とストロベリーティー」
 通りすがりのウェイトレスを捕まえて注文を告げ、アイラは席に着く。その途端、彼女は「あいたたた」といささか年寄り臭い声を上げた。
「どしたん? 筋肉痛?」
 ローブの上から太腿を拳で叩く彼女に一人が何気なく聞くと、その質問に残りが乗った。
「大会終わったからって毎晩ヤり過ぎは駄目ですよぉアイラ姉さん」
「ヤり過ぎで筋肉痛になる?」
「あれ、私なりますけどぉ。なんないですかぁ?」
「なんねぇー、いくら大股おっ広げたってなんねぇー。それは運動不足にも程があるだろー」
 ……女たちの女性らしからぬ、或いは女性らしすぎるあけすけ極まりない物言いに、周囲の客たちがぶふぅと茶を吹きかけたが彼女らは気にしない。
 その友人たちの発言内容自体は気にした様子なく、しかしその筋肉痛の原因には辟易した顔で、アイラは答えた。
「ペナルティ。……ほら、例の一回戦の時、対戦スコア十対二だったじゃん。十対〇で下すべき所を二キルも取られたってんで、部隊伝統の激ハードトレーニングメニュー二セット、今更になって課しやんの。部隊長めぇ」
 煽る時は完膚なきまでに煽る。その美学を完全には達成出来なかった事は部隊長にとって痛恨事であったらしい。
「でもそれ言いだしっぺの部隊長もやってんでしょ」
 アイラは当然のように頷く。あの人はそういう人だ。
「でもいくらちっこくたってあの人ヲリじゃん。ペナルティはしゃーねえって思うけど、サラとヲリ同じメニューってのは解せん」
 ぶうたれた顔をしながらアイラは、テーブルに届けられたケーキを三分の一ほど一気に切り取り、あぐっと一口に頬張った。この店のマロンケーキは丁寧に練られたマロンクリームが絶品で、滑らかな舌触りと鼻から抜ける栗の香気をしばし堪能する。……なんだかんだと文句を言ってはいるが、所詮グラッセされた大粒の栗を咀嚼して飲み込めば一緒に飲み下せてしまう程度の問題に過ぎない。
「ま、なんにせよ大会お疲れ。優勝祝いにかんぱーい」
「出来りゃあ乾杯は酒でやりたいもんだけど」
 尤も、ヴィネルから首都に戻る前に酒盛りは散々したのだったが。ヴィネル島は良質な葡萄の産地で、ワインが旨い。
「一回戦なんかよりも、アレでしょ。《ロータス》一軍と当たった準決勝。アレがすごかったですよねぇー」
 優勝候補のもう一角と言われていた、エルソード国部隊《フォアロータス》の最精鋭が揃ったチーム(『《ベルゼ》一軍(笑)』と違いもう少しまともなチーム名をつけていた筈だが誰も覚えていない)とは準決勝で当たり、激戦の末それを下していた。トーナメントの組み合わせの関係で準決勝で当たったが、実質あれが決勝だった。
 その一戦を思い出し、アイラはテーブルに肘をついて目を眇めた。
「腐っても《ロータス》だね。やるわ、あいつら。久々に戦闘で、面白いを通り越しておっかねえって思ったよ」
 大会も半ばを過ぎれば各チームの戦力状況も大方白日の下に晒されることになるが、もし最序盤に一方的に情報を掴まれてあのチームと対戦せねばならなかったとしたら、『《ベルゼ》一軍(笑)』は無様な一回戦敗退を喫する事になっていただろう。今となっては件の青年の無駄な野心に感謝するばかりである。
 最強部隊《ベルゼビュート》でも最強の実力を誇るソーサラーはそうコメントし、友人たちのうち二人はぞっと身震いしたが、ただ一人、アイラと最も付き合いが長い女だけはにやりと笑った。
「あんたの『おっかねえ』は『面白い』の最上級表現だろ」
 アイラもまた、自身の心中を完璧に把握する親友に、にやりとぎらつく刃のような笑みを返した。
「はぁー、やっぱそこまでネジ飛ばないと強くなれないものなんですかねぇー」
 《ベルゼ》は末端に至るまで戦闘に魅せられた兵士の多い部隊ではあるが、やはり上位者たちの思考の飛び方は他とは一線を画している、と、感嘆八割呆れ二割程の口調で横合いから呟いた、この中では比較的兵士歴の浅い友人に、アイラはぴっとケーキフォークを向けた。
「んなこたないよ。戦闘に対してはガッチガチにネジ締めた典型がウチにはいるじゃん」
「ああー……」
 ややぬるくなった茶を啜りながら微妙な合いの手を打つ女たちの脳裏に、黒髪のウォリアーの姿が描き出された。《ベルゼビュート》の誇るエース。一切の感情に左右されず、兵士と言うよりは熟練の工匠の仕事のように無感情な眼差しで敵を殺す男。
「……ま、最近はあのキラーマシーンも、ちょいちょいイレギュラーな事したりもしてるけどね」
 最大のイレギュラーは言うまでもなく、『彼女』を助命した件だ――と、口には出さずアイラは述懐した。
 『キラーマシーン』の異名が示す通り、女だろうと少年兵だろうと憎むべき部隊員の仇であろうと顔見知りであろうと、等し並みに眉一つ動かさず斬り捨ててしまう事が出来る傍ら、あの男には元々、殲滅命令が下されていなければ、気にも留めずに敵を逃がす癖があった。曰く、「その方が殺すより手っ取り早いから」との事であるが、他国兵からの『一対一で相対して生き残った人は誰一人いない』などという大仰な言われようが形無しな性癖である。
 命乞いが罠で、下手に逃がして手痛いしっぺ返しでも食らったらどうするんだと幾度か仲間から忠告を受けている姿を見たことがある。それに対しては確かこんな反論をしていた。
「別に一度逃がした相手だからって次に会う時油断する訳じゃないし……っていうか敵が誰かとか、いちいち気にしないし」
 結局の所、あの男にとって重要なのは作戦を滞りなく遂行出来るか否かのみであり、他は何にも興味を持っていないのだ。《ベルゼビュート》部隊員が趣味と実益を兼ねて楽しむ戦闘という過程そのものにも、敵の生死にも、……自分の命にすらも。
 別に効率主義者という訳ではない。部隊活動に於いては総合して効率優先で行動しているように見えるが、あの男の私生活に効率性は皆無だ。訓練を乞われれば相手が納得するまで何時間でも付き合い、仲間との飲みに引きずられて行っては酒と肴と馬鹿話に興じて時間を潰す。女に誘われれば大抵の場合断ることはなく、何のリスクも考えずに一夜を共にする。
 多くの部隊員は、仕事と私生活を切り分ける男であると認識しているようだが、違うのだ。冷徹な作戦遂行者の顔と、付き合いのいい男の顔には明確な共通点がある。
 あの男には『自分』というものがないのだ。
 言い換えれば、頼まれたら断れない性格の重症例。
 それが上位からの命令であれ下位からの懇願であれ敵からの命乞いであれ、他者からの指示を優先順位通りに遂行する事しかあの男は知らない。判断力に欠ける訳ではない。からかわれれば嫌がりもするし、おかしいと思えば反論もする。が、結局の所は受容する。
 何にも興味を持たないから、何も拒絶しない。
 ――そんな男であると知っていたからこそ、ふとした事で出会ったかの少女を自分の意思で誘い出し、訓練をつけ始めたと聞いてアイラは酷く驚いた。あの男が、頼まれてもいないのに自ら進んで他者に干渉したという事自体が信じられなかった。敵を助命する事も、部隊員に対して訓練を行う事も前述の通りよくある事であったので、それらが複合しただけに一見見えるこの状況に異常さを感じる事が出来た者はごく一握りにしか過ぎなかったが、理解した者にとってこれは声を失う程に驚くべき事態だった。
 何に対しても興味も執着も持たなかったあの男が、無意識にその名を口にしてしまう程に心を奪われ、ついには、逆らう事などなかった筈の命令にまで背くようになろうとは、想像もし得ない事だった。
 いわんや、恋人を想うが余りに嫉妬に身を焦がし、他者を憎悪し、殺意すら覚えるなどという、極端なまでの自由意志を獲得しようなどとは。
 彼女は、あの男の振るう斧は清廉だと思ったらしい。
 当然だ。あの男にとって殺戮は単なる義務にしか過ぎず、その両手に掴む斧に喜怒哀楽、何らかの想いを込めるという事を一切知らなかった。ある意味で言えば、限りなくピュアであった。
 憎しみで人を殺してはだめ、と彼女は言った。
 彼女は分かっていない。
 あの男が、憎しみで人を殺そうとする事自体、異常な事なのだという事を。
 言い換えれば、
 彼女自身こそが、限りなく純粋だったあの男に、憎悪という感情を教えてしまったのだという事実を。

「つかうちの古株でクォーク食ってない奴なんていなくね? 部隊長くらいじゃね?」
 我知らず、思考の淵に沈んでいたアイラは、自分の頭を占拠していた男の名前が実際の音として発せられたのを聞いて、ぱちんと風船がはぜ割れるように意識を現実に戻した。実際、然程長い時間、彼女は思考に耽っていた訳ではなかったようで、友人たちに彼女の態度を不思議がるような様子はない。ティータイムのテーブル上の話題は、あの男の過去の女性関係に移っているようだった。
 部隊長とは最も近しい位置にいる男の一人であるが、確かにあの二人の間に浮いた話は一切聞かなかったと思い出す。部隊長はあれでいて案外身持ちが固い。……というより男に一切興味がない。無論女にもない。
 そこに別の女がフォークを振り振り反論する。
「それは流石に言い過ぎですよぉ、クォークさんの過去の恋人って言ったらせいぜいアイラ姉さんと……」指折り考え始めてから何故か沈黙する。「まあいっぱいいるかぁ」
 名前を出されたので、アイラもテーブルに頬杖をつきつつ何食わぬ顔で口を挟んだ。
「当時十四だか十五だかっつーカワイイ男の子を肉食獣の群れに放り込んだらどうなるか考えようぜー、食わなきゃ損じゃん。一人前の男として躾けてやったことを感謝されてもいいくらいだわ」
「オネーサン達に散々弄ばれてかわいそーに」
 ぎゃははは、と下品に笑う女たちを、周囲の客たちが控えめに言ってドン引きの視線で遠巻きに眺めるが、当人たちはやはり相変わらず、知ったこっちゃねえという風情である。
「そういや、昔一人いたよね。あいつをガチで落とそうとした女」
「あー、いたいたいた! あの青田バイヤー!」
「青田バイヤー?」
「知らない? 四年くらい前にウチにいた、いけ好かないスカウトの女なんだけど。その頃、もう分隊長だったでしょあいつ。将来性を当て込んで、さっさとガキ孕んで責任取らせるつもりだったんだろうね。あの女、どうもクスリ飲まないでヤってたらしくてさ……」
 声を低めたその言葉にさしもの女兵士達も一瞬ぎょっとした顔を作る。彼女らの言うクスリとは経口避妊薬の事だ。希望する女性兵士には国軍から無償で処方される。元来、戦場で敵国兵から万が一無情な仕打ちを受けた際に身を護る為の物であるのだが、大体の女性兵士はごく当たり前のように私的用途に使っている。《ベルゼビュート》では部隊長の方針でその辺りは特に管理がしっかりとされていて、部隊員が各自届け出を行わなくても全女性部隊員に定期的に支給される事になっている。
「で、まあ、クォークはその辺ちょっと危機感足りない子だから、特に疑問も持たずにふつーに付き合ってたらしいんだけど、運よく出来ずに済んだらしくて。その女、中々うまくいかないもんだから半年くらいでクォークに見切りつけて、すぐ《ジェネシス》に移籍したんだけど、速攻でそこの幹部の子供身篭って退役してさあ。玉の輿志向にももうちょっと節度ってもんがあるだろーって戦慄したわマジで」
「ひゅー、凄まじいー」
「クォークさん、運良かったですねぇ」
 わいわいと下世話な話に勤しんでいると、ふと一人が店の外に視線を向け、外敵の気配を察知した鹿のように顔を上げた。
「おお、噂をすれば」
 何やら弾んだ様子の声に目を向けて見れば、渦中の人たるクォークが、小柄な栗色の髪の少女と手を繋ぎ、少女に合わせたゆっくりとした歩調で反対側の歩道を歩いているのが見えた。五指を交互に組み合わせるいかにもな手の繋ぎ方で、さりとてべったりとくっつくでもなく微妙な距離を開けながら歩く初々しいその様子は、まるで初めて恋人が出来た十代半ばの子供同士のデート風景だ。
「……ひょー」誰のものか、微妙な感嘆の声が漏れた。
「これはこれは……」「見てるこっちが照れるのう」
 手を繋ぐ、だなどというこっ恥ずかしいシチュエーションでのデートなんてこの場にいる誰もがもう何年もご無沙汰している。もしくはそもそもしたことすらない。
 四人の女兵士たちはニヤニヤとしながら顔を見合わせたが、珍しいことに誰も、恋人達にからかいの声一つ投げ掛けようとはしなかった。
 この四人をして正面切ってちょっかいを掛ける事を憚らせる程の、他人が安易に触れてはいけない清澄な何かが、二人の間には流れていた。
 馬鹿笑いの声もひそめた四人に、青年と少女は気づく事なく通りの向こう側を歩いていく。戦場に於いては、あの男は視界外の敵の視線にも気づく動物的な勘を備えているし、少女もまたあらゆる敵召喚を見逃さない優れた警戒ナイトだったりするのだが、今回全く気付かなかったのは、休暇中で気を抜いているからか、女たちに攻撃の意思が無かったからか、――或いは互いに相手だけを意識するのに夢中だったからか。
 二人の姿が十分に離れきった事を確認してから、一人が密談を誘うようにテーブルに身を乗り出してこそりと囁いた。
「クォークってさ、もしかしたら、あれじゃね? これが初恋なんじゃね?」
 その言葉を受けて、他三人の視線がぴたりと発言者に注がれる。
「……初恋」
「初恋」
「初恋……!」
 口にするのもむず痒い、甘酸っぱい事この上ないキーワードに、四人のテンションが急上昇する。
「初恋……! あああ成程、初恋か! 間違いない、あれは初恋だわ!」
「うっわー、うわあー! やべぇー! お姉さんきゅんきゅんしちゃうわー!」
「やぁんー、クォークさんかっわいいぃー」
 きゃいきゃいと女四人が盛り上がるかしましい声が、首都の一角に大輪の花を咲かせる。まるで少女のように興奮に頬を染めて盛り上がる輪の中に混ざる形を取りながら、アイラはこっそりと意識のみを切り離し、友人たちを俯瞰するような心持ちで眺めた。一人、酷く静かな場所にいるような錯覚を味わいながら、皿の上のチョコレートケーキをフォークの先で切り取り、口中に放り込む。
 あの少女は変えた。その変化が今後更にどのような影響をあの男に及ぼすかは分からないけれど。あの男が《ベルゼビュート》に入隊して以来六年、誰も与える事の出来なかった変革を、かの一見何の変哲もなさそうに見える少女がものの数ヶ月で彼に齎したという事だけは厳然たる事実だ。
 自分は変えられなかった。そもそも変える努力も――部隊長が、一つ一つ石を積み上げるように地道に続けてきた程にはしなかった。だから、不満など感じる筋合いもない。今感じているほんの微かな空虚さは多分、巣立っていく雛鳥を見守るのと同じ気持ちだ。
 ――初恋、か。
 口の中に広がるチョコレートの濃厚な甘さとほろ苦さと同じ味をした微苦笑を、甘酸っぱいストロベリーティーでアイラは優雅に飲み下した。

【Fin】

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