CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Prologue #00

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序章 雷光と少年と少女

 喧騒と静寂。炎と冷たい雨。切り裂くような雷光と、全てを呑み込むかのような、闇。
 背中合わせの性質を持つもの。しかし、それらは必ずしも背反する事象ではないようだった。例えば、遠くで誰かの悲鳴が聞こえても一瞬にして静まり返るし、いかなこのヴァレンディア特有の、春と夏の境目にたびたび起こる嵐といえども、街、いや、国全体を嘗め回す炎の舌を無に返すほどの力は持ち合わせてはいなかった。
 漆黒の空に走る稲妻は、言うまでもない……
 また、空に白い光が走る。

(苛ついている?)
 ふとそう気が付いて、少年は俯き加減だった顔を上げた。少しは気が休まった。苛ついている。そう自問できるくらいならまだ、自分はパニックに陥ってはいないということだ。気が付いて辺りを見回せば、雷光に照らされていない間のこの広間は、隣に立つ人間の顔すら判別できないほどの暗さだった。なるほど、こんなところで息を潜めていれば、苛つきもするだろう。
「明かりを」
「しかし、陛下。そんな事をしては敵に発見される怖れが……」
 少年の言葉に、誰のものか、戸惑うような声が上がるが、少年のまだあどけない……少なくても、そう聞こえる声は軽い調子で答えた。
「別に構わないだろう。明かりを消していたとしても、奴等に見つかるのはそう遠いことじゃない。元々何故自分の城でこんなこそこそしてなきゃならないんだって、思い始めていたんだ」
 ほどなくして、柔らかな橙色の光に広間は闇から浮かび上がった。人々の様々な表情も。様々ではあるが、それらは皆同じような色をたたえている。そんなことを考えながら、まだ十二を数えたばかりの少年は、ダークブラウンの瞳に映る現実を黙って全て受け入れていた。
 その場にいたのは十数人の宮廷騎士団の兵士達だったが、その三分の一ほどが傷つきうずくまっている。そして、こちらは傷ひとつ負ってはいないが、幼い少女が一人、彼の上着の裾を握って立っている。城が建立されて以来約五百年。その間ずっと、謁見の間と呼ばれ、誉れ高き聖王国の栄華の象徴であったこの広間も、こうなってみると単なる避難所でしかなかった。
「いや、最後の砦、か……」
 自嘲気味に呟くのを、聞きとがめるものはいなかった。

 突如、どこか遠くで――とは言っても間違いなく城内のどこかであろうが――爆音が響いた。と、それとほぼ同時に広間の大扉が、重苦しい音を立て、開く。
「陛下、帝国の軍勢は最早城内にまで迫ってきております。どうか……お逃げください……お逃げください」
 滴るほどの血を流し、報告を終えた兵士は、ごとり、と音をたて、倒れ込む。それきり動かない。静寂。
 こんな静寂を、今日はもう幾度味わっただろうか?
「……アウザールがローレンシアを落としてから、ひと月足らず、か。速かったな。城下の者達を早めに逃がしておいてよかった」
 嘆息とともに呟くと、彼のすぐ傍に立っていた少女は、明らかにびくりと身震いした。涙の浮かんだ瞳で、見上げてくる。
「陛下……」
「心配しなくていいよ、エルフィーナ。君には指一本触れさせやしない。ローレンシア王……君のお父さんと約束したからね」
 微笑みながら、精いっぱい優しく囁く。こくん、と弱々しくも頷くのを見て、彼もまた、満足げに頷いた。
「……リュートはいるか」
 唐突に少年は顔を上げ、辺りを見回した。先ほどとは打って変わった、どこか冷たさもある声に答え、満足ではない照明の、丁度影になっていた辺りから背の高い青年が進み出る。
「はい、ここに」
「頼みがある。エルフィーナ姫を連れて今のうちにここから脱出してくれ」
「なっ……!」
 声を上げたのは告げられたリュート自身と兵士たち。即ちその場にいたほぼ全員だった。しかしさすがに幼い姫には彼の言っていることが理解できなかったらしく、きょとんとした目で少年の顔を見上げている。
「何を……言い出すんですか。陛下らしくもない……」
「緊急用の隠し通路は知っているな? ……今ならまだ間に合う。頼む、行ってくれ。万が一途中で何かあったとしてもお前なら切り抜けられるはずだ」
「それなら、陛下が一緒に行くべきです。その間は、私や騎士団が敵を引き付けます!」
 僅かな生き残りの騎士たちも、そのリュートの意見に同意して頷く中、少年は静かにかぶりを振った。
「僕は行けないよ。僕はこれでもこの聖王国ヴァレンディアの王なんだから……」
 これが彼のような子供の言う言葉なのだろうか。全員が沈黙する中、またも城のどこかから爆発音が響いた。今度のはかなり近い。
「……承知致しました」
 踵を返す瞬間の、リュートの苦虫を噛み潰すような表情を、少年はあえて見ていない振りをした。リュートに手を引かれ部屋を出ようとするエルフィーナが唐突に、くるり、と少年の方を向く。
「ねえ、陛下は? 陛下は行かないの?」
「僕は……」
 言いかけて、じわり、と何故か喉の奥が熱くなる。無理矢理それを飲み下して、彼は毅然とした口調で答えた。
「僕は行けないんだ。まだ、ね」
「だったら私もいかない! 陛下と一緒にいる!」
 遠く響く剣戟の音。……遠いはずはない。しかしこの一瞬だけは、本当にそれが決して触れることの出来ないくらい遠い世界の出来事のように感じられ、彼の頬は我知らず緩んだ。そんな自分に気づいて苦笑する。どうしてもそうしたいという感情に突き動かされて、彼はエルフィーナの肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。先に行ってて。すぐに迎えに行くから――」
 言って、ぽん、と軽くエルフィーナの背中を叩いてから手を離す。
「エルフィーナ様。参りましょう」
 エルフィーナはリュートの声に従うが、隠し通路の入り口で、もう一度だけ振り返る。屈強な騎士たちに囲まれて、元々大きいとはいえない聖王国の王の背中は、彼女の目にはいつもよりももっと小さく見えていた。
「総員戦闘準備。ほんの少しの間でいい。何としても持たせる。ヴァレンディア王宮騎士団の意地を見せてやれ!」

 そう、ほんの少しの間でいい。彼女が……僕の、何よりも大切な姫君が護れれば、他には何もいらない――


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