女神の魔術士 Chapter 5 #6

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 割れた窓から押し入ってきた二人目の刺客は、ソフィアの姿を取ったリエリアとは対照的に、全身を分厚い筋肉で鎧った大男だった。一言も言葉を発しはしなかったが、全身黒ずくめの姿と抜き身の無骨な短剣、そして何よりこちらへ向けられる鋭利な殺気は自分は暗殺者だと大声で名乗りを上げているようなものである。
 俺が一体何をしたって言うんだ、と毒づきたい気持ちを腹の底で堪え、ウィルは男を睨め付けた。直接的な攻撃能力という面では警戒すべきはリエリアよりも恐らくこちらであろう。
 そのリエリアを横目で確認すると、何故か彼女もウィルと同様に闖入してきた男をきつく睨んでいるのが見えた。仲間ではないのかと訝しく思った瞬間、リエリアが声を張り上げた。
「フューゴ! 誰がしゃしゃり出て来いと言った!」
 リエリアの鋭い怒声に、男の覆面の隙間から覗く黒い瞳だけがちらと彼女の方に動いたが、何も言わずにすぐにウィルの方に向き直った。
(フューゴ?)
 耳に覚えのある名詞は気に掛かったがそれよりも、憤懣やるかたないという顔をしたリエリアがやがて諦めたように嘆息する仕草の方に意識が向いた。
「……全く、調査は十分済んだっていうのにまだ何が不服なのだか。意趣返しの積もりかね」
 調査。意趣返し。何の事だと眉を顰めたが、一つ思い当たってリエリアに問いを投げる。
「まさか、こないだ薬物中毒者がソフィア達にちょっかいを掛けてきたとかいう件、あれもお前達の仕業なのか?」
 ウィルの問いかけに、リエリアが片眉を上げた。
「……そこでそれに思い至っちゃうのかい。さっきのはったりといい、あんたの直感はなんというかこう……おっかないね」
 微妙に回りくどい言い方ではあったが、リエリアは今回もまた肯定であるらしい返答をした。これもまた思いがけない新事実ではあったが、今判明した所でこの場の何が変わるという訳でもない事でもある。既に終了した作戦行動の意図よりも現在進行中のそれの方に集中しようとウィルは意識を改めて、眼前の敵に視線を戻した。どういう事情なのか、リエリアの方は直接攻撃して来ようというつもりはないらしいが、フューゴと呼ばれた男の方がやる気であるのならば、戦闘の回避は難しいだろう。リエリアも、然程強く止めるつもりも無いようだ。
「まあ、彼の腕前をこの目でもう少し確かめとくのもやぶさかではないけどね……」
 不承不承であるらしい色を交えながらも比較的気楽な具合で呟かれたリエリアの言葉が終わるのを待つことなく、男はウィルに向かって突進を開始した。
 速い。そして迷いが無い。
 ウィルは眉間に皺を寄せて男の挙動を観察した。向かい来ようとするその動きを見ただけで、その黒衣の大男が対魔術士戦闘にある程度習熟している事は窺える。魔術士を、魔術士で無い人間が制圧しようと試みるなら術を使わせる隙を与えない接近戦を挑むより他は無いが、人間でありながら兵器とすら言える破壊力を振るう魔術士に躊躇無く迫るにはそれなりの慣れや自負や度胸が必要なものだ。
 男の、それ自体が立派な鈍器になりそうなごつい拳に握られた肉厚の短剣が斜め上から襲い来る。身を躱し、ウィルは脳裏に魔術の術式を構成し始めた。が、すぐさま鈍色の刃が翻りウィルの胸を突き刺しにかかってきて、思考の邪魔をする。
(一発で吹っ飛ばすのは無理か)
 次々と繰り出される刃をどうにかして躱しながら、ウィルは冷静にそう判断した。ウィルは呪文を唱えなくとも魔術を使えるという稀有な特技を持ってはいるが、僅かな隙すら得られない切迫した戦闘の最中には、流石に威力のある魔術の発動は難しい。その事実を相手の男が知っているかどうかは定かではないが、どの道この男はウィルに微々たる隙も与えるつもりはないようだった。となると子供騙しのような威力にしかならないが、瞬間的な意識集中で可能な範囲の攻撃魔術で牽制を入れるか……
「っと」
 小さく呟いて、ウィルは無防備な左腕を掠めそうになった刃を掌で弾いた。勿論、生身ではなく魔術を――防御の魔術を掌に纏わせてである。
(……これは、下手な小細工を入れるより、魔術は防御に回した方がいいかもな)
 防御魔術、厳密に分類するならば防御魔術に限らず発動後効果を持続させるタイプの魔術は、一度発動さえしてしまえば維持にはそれ程の集中を必要としないので、息をつく間もない戦闘の最中でも使用し続ける事は可能である。中途半端な攻撃魔術を使うよりは、防御に専念し、機を待っていた方が堅実ではあるかもしれない。待てば機が見えるのならば、だが。
 隣室のブランが気付く気配は無い。
 ソフィアはどこにいるかとも知れない。
 夜明けにはまだ遠い。
(待つのも、大して得策でも無い、か……)
 嘆息したいような気持ちでそう認識する。戦闘が長時間に及べば先に体力が尽きるのはまず間違いなく自分の方であろう。体力の無さには自信がある。かと言って、魔術抜きで短時間で片をつけられる程には相手も甘くは無いようであった。
 ごく僅かでいいから魔術を使う隙が欲しい。
(捨てるなら左腕だな)
 左腕は刺された所で痛みも感じはしないので、敢えてそこに一撃を受けて、敵の動きを止めた瞬間にカウンターを見舞う、というのは恐らくは可能な筈だ。ただ、痛みは無くとも血は流れ、体力は消耗する。万一そのワンチャンスで仕留め損なった場合には更なる不利が予想されるのと――
(……ソフィアは、また泣くだろうな)
 それは、ウィルを躊躇わせるに十分な理由だった。
 彼女は強い心の持ち主だが、仲間の傷には酷く敏感だ。それが唯一の手段であったとしても、ウィルが血を流せばきっと彼女は深く悲しむ。
(まあでも、このままじりじりとやられるよりは、彼女にとってもマシだろ)
 単純な合理性で自分を納得させて、意識を切り替える。内心で決めたその覚悟は、敵とのやり取りには微塵も気配を出してはいない筈なので、こちらが何かを狙っているというのはまだ悟られてはいまい。
(次の突きを腕で止める――)
 思った次の瞬間、ぶん、と、男の丸太のような腕が大きく振りかぶられた。
 肉厚の短剣が空間を貫いてくるのに対し、ウィルは引くのではなく踏み込む形で半身を動かし――
 その横から。
 何故か、ばん!と扉を乱暴に開くような音と共に、金色の光が飛び込んで来た。
「……!?」
 訳が分からず目を見開くウィルの前で、間近まで迫り来ていた短剣が、唐突に何かに弾かれたようにして宙に跳ね上げらた。そしてそれを成した光が――亜麻色の髪を箒星の尾の様にたなびかせ、きゅっと床を擦る音を立てて停止する。
「ん? あたし今何か撥ねた?」
「ソフィア!?」
 呑気な事を言う少女の名をウィルが驚愕と共に叫ぶと、彼女は髪を再度煌かせてこちらを向いた。
「あ、ただいまー」
「お、おかえり……って今どこから湧いてきた!?」
 責め立てられるような口調にしぱしぱと目をしばたいたソフィアは、自分の背後に位置する、据え置きのクローゼットを指差した。
「どこからって、そこのクローゼット? 行けるかどうか分かんなかったけど来れて良かったわ。ちゃんと部屋のドアから来ようと思ったんだけど、珍しく鍵閉めてるんだもの。開かなくてちょっと焦ったんだからね」
 手を腰に当て、逆に唇を尖らせて言ってくる。そう言えばさっきブランを送り出してから一旦寝ようとしたのだが、鍵が開けっ放しであったことを指摘されたのを思い出して、念の為一度起きて鍵を閉めていた、という事をウィルは思い出した。……が。
 ソフィアの使う空間転移の魔術は何故かドアからドアへしか行けないらしい、という謎の制約が掛かっているのは知っていたが、空間を捻じ曲げる魔術に鍵も何も関係なかろうに鍵の掛かったドアは駄目というルールまであるとは。更に訳が分からない。
 今思うべき事ではないのは分かってはいるが魔術士としてどうしても納得が行かない色々破綻した現象に唖然としていると、ソフィアは何事もなかったかのようにウィルから視線を外し、その場に硬直していた暗殺者の男の方を向いた。
「それで? この人は敵? 倒しちゃっていいの?」
「あ、ああ……まあ」
 戸惑いながらも頷く声に、ソフィアは何やら「よし」とばかりに気合を入れるような仕草をした。そのやる気満々な様子に呆れ返りながらも、ウィルもまた男に視線を戻す。
 二対二となり圧倒的優位とは言えなくなった立場の暗殺者は、或いはその場で即座に逃げを打つのではないかとウィルは期待したのだが、その予想に反しぐっと腰を屈めてソフィアと相対した。その様子にウィルは表情に出さず訝しむ。
(調査していた、と言っていた。こちらの戦力評価を既にある程度済ませた上で尚やるってのか……?)
 まだ自分一人なら、そんな侮られるような対応をされるのも分からなくはない。先日のソフィアが大暴れしたらしい事件以外にこちらの何をどこまで知られているのかは全く分からないが、身体に不自由のある魔術士一人ならという戦術判断が下されるのは大して不思議な事ではないだろう。
 だが、あの事件でまざまざと目にした筈のソフィアの戦い振りを知った上で彼女に喧嘩を売ろうとは中々の度胸である。今のソフィアは実の所はどうだか知れたものではないが一見武器を携帯していないように見えるので、それに勝機を見ているのだろうか。確かに、いくら彼女が武芸全般、格闘術に於いても高度な技術を備えているとしても、肉弾戦での体格差というのは如何ともし難い物がある。彼女の細腕ではあの筋肉の壁を打ち破ることは難しいとは思える――
 と考えていると、ソフィアが不意に男に向かって前進を始めた。気を抜いていたら見逃してしまいそうな程、気負いのない静謐な踏み出し。
 まばたきを一度するかしないかという程の一瞬にソフィアの身体は男に肉薄し、その細い腕が霞むような速度で男の腹めがけて繰り出された。
 どどどっ、と複数回鈍い音を響かせて、ソフィアの身体が離れる。男の腕が反撃を行おうと引き絞られていたが、それは唐突に引き攣ったように固まると、腹を庇うようにして縮められた。凄絶な苦悶をどうにか堪えるように、巨体の背は丸められ、膝も床に落ちている。
「……なん……?」
 あれほどの大男が、たった数発程度の殴打であえなく膝を折った事実を見て、ウィルは思わず声を上げた。そこにソフィアが振り返る。
「なんって何よ。この人ならともかく何でウィルが今更驚いてるの」
「いや、そりゃ君の実力は知ってるけど……君の腕力で素手でその男に攻撃通すのは、物理的におかしくないか?」
 不服そうな顔をして問うてくるソフィアにウィルも心から疑問に思って返したが、ソフィアは超然と言い放った。
「おかしくないわよ。非力なら非力なりの殴り方ってのがあるのよ。今度教えてあげるわ」
「いらないです。」
「ま、素直にこっちで行ってもよかった訳だけど」
 言って、あたかも手品のように手首の一振りで手に出現させたのは、柄の太いピックだった。くるん、とそれを器用に手の中で回して、相手に武器の存在を見せ付けるように目の高さに持ち上げる。
「やろうと思えば今ので十分殺れてたってのは分かるわね。あたしが笑ってる内に大人しく消えなさい。……女の子に舐められて悔しいってんなら続けてもいいけど」
 追い払いたいのか、そのまま続けたいのかどちらともつかない挑発交じりの言葉でソフィアがそう言うと――
 男は捨て台詞を残すこともなく無言で踵を返し、進入してきた窓から跳び去って行った。
「……なんだ。引き際がいいのね」
 残念そうにも聞こえる声で呟いたソフィアにウィルはじろりと視線を向ける。
「挑発の方が本心だったわけか」
「その方が手っ取り早いって思ったのは事実ね。……けどまあ、もう一人いるし」
 あっさりと言ってリエリアの残っている壁際にソフィアは初めて目を向け――その瞼が一瞬ぴくっと痙攣する。
「うわっ。やだ、何であたしと同じ顔してるのこの人」
 気配自体には最初から気付いていたものの、流石に顔までは認識出来ていなかったのかぎょっとした表情を作った。
 ソフィアの引き気味な視線を受けて、リエリアが寄りかかっていた壁から大儀そうに背を離した。
「本人にまで自分の顔と言ってもらえるなら、中々上手く魔術が使えてるみたいね」
 女のぼやき声を聞いて、ソフィアは表情に直前とは違う色を浮かべた。
「その声、リエリアさん? ……はあ、成程、そういう事なのね」
 何か合点が行ったらしいソフィアの口ぶりにウィルが目で問うと、彼女はリエリアを鼻先で指し示すような仕草をして言った。
「山小屋のベッドで気を失ったみたいに寝てる姿を見たわ。意識だけを遠くに飛ばすみたいな魔術でも使ったってことなんじゃないかなって思ったんだけど、違うかしら」
「へえ……」
 遠隔操作でこの魔術体を操っている、というウィルの見立てにもそれは合致する。
「このリエリアさんの魂?を捕まえて人質?にするってのはどう?」
 しかしソフィアの提案にはウィルは首を横に振った。
「ここにあるのはあくまでも彼女の魔術であって、別に魂とかそういう物を飛ばしてきてる訳じゃないからね、この彼女を捕まえても本体がどうこうなるって事はないよ」
「何だ、じゃあさっきの人は逃がさない方が良かったのね。失敗したわ」
 然程落胆した風ではないが、多少は残念そうに言うソフィアに、物は試しと告げてみる。
「それよりも出来るんなら、今のうちにリエリアさんの本体を押さえたいんだけど、ソフィア、元いた場所に戻れる?」
 聞くと、彼女は眉を寄せて首を傾げた。
「……分かんない。山小屋の正確な位置を覚えてないからどうなのかしら」
「そっか」
 空間転移の魔術は相対位置でも絶対位置でも構わないが位置の情報を具体的に指定する必要が通常はある。色々常識を超越してしまっているソフィアの魔術に通常の理屈がどの程度必要なものなのかは分からないが、本人が分からないと言っている事をさせる訳にもいかないだろう。本体の件は早々に諦めて、さて、とウィルはリエリアを見やった。
「互いに打つべき手が何もなくなったようだけど。リエリアさん、あんたはどうするつもりなのかな?」
 ウィルの軽い口調の裏にある冷淡さには恐らくは気づいているのだろうが、リエリアは人を食ったような笑みを浮かべて優雅に髪を掻き上げた。
「そうねえ。このまま逃げさせて貰うのが一番でしょうね。ウィルさんと遊べなかったのは残念だけど」
 その言葉にウィルが不愉快に目を細めたのも当然彼女は気づいている筈だが、嫣然とした笑みを浮かべる態度は変わらない。
 ソフィアは目の前の女を睨むウィルを、先程とは打って変わってやや深刻な表情で見上げた。 
「もしかしてクレル草を嗅がされた?」
「クレル……?」
 眉をひそめて問い返す。確か麻薬の一種だ。厄介な物の名前を聞かされて舌打ちしたい気分になったが今は堪える。
「クレルかどうかは分からないが、それっぽい物を使われたのは確かだ」
「あーあ、あの畑で分かったんだ? なら嘘をついても仕方ないわね。クレル草で間違いないわよ。ま、あの魔術士はちゃんと許可取って栽培してるからあの人を訴えても無駄だけど」
 くすくすと笑みを零しながら白状するリエリアを、ウィルは横目で睨んだ。その険悪な態度も、彼女にとっては却って面白いものだったようで、馬鹿にする一歩手前のような神経を逆撫でする笑い方で補足してくる。
「ふふ、安心していいわ。麻薬って言っても別に身体に害が出る程の量は使ってないから。信じなくてもいいけど、ソレは本当に、個人的な遊び用に作った薬なのよ。そもそもクレルなんて、国によっては規制もされてない程度の代物だから常用しなければ別に心配する程のものでもないし。まあただ、今晩くらいは辛い思いをするかもしれないけどね?」
 くすくす。その声に苛立って、ウィルはリエリアの魔術体を吹き散らしてやろうと伸ばした腕に魔力を集め始めた。その様子を見て、リエリアはひらひらと手を振る。
「はいはい、消えます消えます。……そうそう、また私に会いたくなったら、エル・ファルドの街までいらっしゃい。今は有効な交換条件がないから諦めてるけど、本当は聞きたい事もあるんでしょう……?」
 くすくす。
 耳障りな笑い声を掻き消すようにウィルの放った白光が、リエリアの立っていた場所を真正面から貫き、ソフィアの形をした幻影を一瞬で吹き散らした。

「ウィル」
 招かれざる来客達が去り、静寂を取り戻した部屋に、ソフィアの遠慮がちな声が響いた。
「大丈夫?」
「ああ」
 言葉少なに肯定してから、改めて息を吐く。気を張っていた間はある程度抑えも利いたが、生命の危険らしき物が去った途端にだるさがぶり返してきているのには気がついている。くらりとした額を押さえて頭を振り、どうにかして意識を正常に保とうと努力する。さっきまでは出来ていたのだから可能な筈だ。
 クレル草、と言っていた。薬草学は得意ではなかったのでうろ覚えだが、麻薬として規制されている薬物の中においては、依存性も毒性も然程強いものではなかったように記憶している。とはいえ、リエリアの言った言葉を鵜呑みにする訳にもいかないから、朝になったら教会を通じて施療院を紹介してもらった方がいいだろう。しかし、故意ではなかったとはいえ違法薬物だ。先にリュートに連絡を取って問題が生じないよう手を打った方がいいかもしれない。
「ウィル……」
 再度心配げに呼ばれて、平気だと返答しようとしたその時、いつの間にかすぐ間近にまで近づいてきていたソフィアに頬を触れられて、ウィルは反射的にびくりと背を震わせた。瞳の中に、眉を寄せたソフィアの顔が映る。
「……苦しいの?」
 心から気遣う様子でソフィアの唇が動くのを見て、その少女の細い身体を掻き抱いたのもまた反射だった。
 ともすれば曖昧になろうとする意識を、事態の冷静な対処に働かせる事でどうにか形あるものに保とうとしていたのに、その努力はただの一瞬で水泡に帰した。意識が全て、ソフィアに向く――
 ソフィアの細い肩を片腕で抱き寄せながら柔らかい髪に手を梳き入れると、彼女は少し苦しそうに首を振ってからウィルの目を見上げた。下からじっと見つめて来る視線は狂おしい程の愛しさで、髪に触れるその手で彼女の顔を引き寄せて、近づいた唇にくちづける。
「んっ」
 ソフィアが唇の隙間から漏らしたささやかな吐息を飲み込むようにして、暖かく柔らかなそれを貪り続けた。慣れているはずの感触に神経が尋常でない程煽り立てられる。
 ちゅくっ、と淫猥に響く水音に、ソフィアが怯えたように身体を離そうとしたが、ウィルはそれをさせなかった。
「や、ウィル……待って」
「無理。君が不用意に触るから。触れたくてしょうがないのを我慢してたっていうのに」
「なっ、……っ」
 抗議の声など上げさせない。自分でも分かってはいるのだ。渡ってはいけない橋を渡りかけているという事は。それでも……分かっていても止められなかった。愚かにも薬によって狂わされていると、唾棄すべき衝動に身を任せようとしていると、そう分かっていても、止められない。
 ウィルはソフィアの腕を掴むと、強引にベッドに引き倒した。
「痛っ……」
 ソフィアは小さく呻いて顔を顰めた。ベッドに仰向けにされたソフィアは非難の視線をウィルに向けたが、その瞳がウィルに罪悪感を催させる事はなかった。ただ、濁流のように押し寄せる抗い難い熱に、抗うことすら忘れて、彼女の薄い胸に額を寄せる。
 縋るような、或いは祈るような――。ウィル自身が意図した事ではなかったが、ソフィアに触れる彼の姿は、もし誰か第三者がこの光景を見ていたとしたら、そう思える形になっていたかもしれない。
 ソフィアは暫く苦渋の表情で逡巡していたが、やがて目を伏せて、ウィルの頭をそっと抱きしめた。


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