Crusade Other Story Lovely Holy Present(前編)

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Lovely Holy Present


 安らぎ溢れる筈の休暇日の朝に――その恐るべき事態は幕を開けたのだった。

「ねえねえ、ツァイト♪ お願いがあるんだけど」
 弾んだ声での呼びかけにツァイトが顔を上げると、目の前には声の雰囲気と同じく晴れやかな満面の笑みを浮かべた見慣れた少女の姿があった。
「何だよ、ライラ……」
 レムルス王国聖騎士団員宿舎内待機室の使い古されて座り心地の悪くなったソファにだらしなく身体を預けていた青年、ツァイトは、なにやら嫌にかわいこぶった中腰の姿勢でにこにこと彼を見下ろしているその幼馴染にして後輩の少女――ライラの顔に、やや引き気味な視線を投げた。一見、何ら悪意など介在しているようになど見えない、見た目だけは愛らしい少女のその顔に、しかしツァイトは得も言われぬ不安感を感じた。この少女がこんなに嬉しそうに持ってくる「お願い」などにまっとうなものがあるはずがないのだ。
 そんな経験則からなる警戒心を胸に、ツァイトはふと何気なく視線を動かし、ライラの格好を眺めた。彼女は私服のズボンの上に(宿舎内は私服可だがスカートの着用は原則として禁じられている)チューリップのアップリケのついたピンクのエプロンという、珍しくも女の子らしいいでたちをしていた――
 ……。
 ……エプロン!?
 瞬時呆けていたツァイトだったが、その名詞が表す意味を認識するや否や、即座に覚醒しソファから身を跳ね起こした。
「うわっと」
 眼前のライラがツァイトの唐突な挙動に驚き、身を引く。
 その彼女が身体を引いた空間を抜けて即座に逃走を目論んだツァイトだったが、
「危ないわねえ、いきなり」
 呑気に呟いた声に襟首をむんずと捕まえられ、勢いで首を締め上げられる。
「ぐぇは!?」
 泡と一緒に悲鳴を吹いたツァイトの頭が後方に傾ぐとライラはひょいと手を離した。
「な、何すんだ! 殺す気か!? 宿舎で絞殺事件発生かヲイ!?」
「私は何もしてないでしょ。ツァイトがいきなりどこか行きそうになるから引き止めただけで」
「常識的に考えて普通の服を着てたなら後ろ襟首持って引き寄せられたら自動的に首は絞まるんだよ構造的に!?」
「ああはいはい、覚えておくわ」
 ツァイトの咆哮に、手を振りながら酷くぞんざいに返したライラは、それが謝罪の終了のつもりかころりと表情を先程のような突き抜けた笑顔に戻してこちらを向いてきた。
「で、ツァイト、お願いがあるんだけどぉ」
「断るッ!」
 断固とした即答に、ライラは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。よもやこうにべもなく断られるとは思っていなかったらしい……が、逃げ出した時点で察して貰いたいものである。
「な、なんでよ。まだ何も言ってないでしょう?」
「いいや、その格好を見れば分かる、何らかの悪魔の儀式を行おうとしていることだけは分かる! それで十分だ! 魔界との接続を行い六百六十六の悪魔が蘇る地獄の釜の奥底に誰が好き好んで足を突っ込むか!」
「やあねえ、全然分かってないじゃない。誰もそんなことしないわよう」
 何を馬鹿なことを、と言わんばかりに呆れた顔をするライラの後ろに、つと背の高い影が差した。同時に、女の声が割り込んでくる。
「一体何の話? 魔界とかって」
「レス」
「レスリー先輩!」
 ツァイトとライラは各々の呼び方でその女の名を呼んだ。レス――レスリー・マックヤードという名のツァイトと同期の聖騎士は、二人を交互に見てから、何か足りないものを探すかのようにきょろきょろと周囲を見回した。
「サージェンは今日はいないの? いつも三人セットでじゃれてるのに」
「三人セットとか言うな、凹むから」
「三馬鹿トリオとか言われないだけよかったと思いなさいよ」
 顔をしかめるツァイトにレスリーは飄々とそう切り返し、より一層ツァイトの眉間の皺を深くさせる。しかし、「まあライラがいるのに三馬鹿なんて酷い言い方しないけどねー」と、ライラを妹のように可愛がっているレスリーは、ライラの癖のある髪を撫でながら笑顔で少女だけにフォローを付け加えた。
「サージェンは今日は、風邪引いて寝込んでるアーヴァインの代わりに宮殿に上がってる。何か用事か?」
「別にないない。私も暇してたからこっち来ただけ。で? 魔王の召還を行うならそれはそれで面白そうだなあー、と思うんだけれど。するの?」
「ライラはする気満々のようだが」
「もーう、ツァイト、訳わかんないこと言わないでよ。何がどうなって悪魔とか魔王が出てくるの。もういいわよ、ツァイトなんか」
 ぷりぷりと頬を膨らませて言うライラは、今まで標的にしていたツァイトから視線を外し、レスリーの方へきらきらとした瞳を向けた。
「ねえねえレスリー先輩、お願いがあるんですっ」
「なあに?」
 ライラの輝く笑顔に答えてレスリーも笑みを返す。
「お菓子作りを教えてもらえませんかっ?」
「お菓子? ああ、明後日の聖テルニの祭日ね。いいわよ」
「やったあ!」
 飛び上がって喜ぶライラを尻目に――
「……俺は知らねえぞ」
 ツァイトはこっそりと席を立って、自室へと戻っていった。



 聖テルニの祭日、という祝日がある。
 聖人テルニは五百年ほど昔のファビュラス教の神官で、兵士の婚姻を禁じた今はなきとある王国の国王に異を唱え処刑されたことから、恋人たちの守護聖人と称されている。その処刑された日に当たる闇竜の月四十四日が現代の聖テルニの祭日である。
「なんで王様は、兵士の結婚を禁じたのかしら。酷い話よね」
 そんな問いかけを何年か前に、たまたまライラがしてきたことがあった。
「そりゃ、決まってるだろうよ」
「戦場に出る前に婚約者の肖像画を懐から取り出して、『郷里に戻ったら結婚するんだ』とか言うと死んじゃうから?」
「どこの歌劇だそれは。じゃなくて、結婚して、家族なんぞを持ったらてめえの命が惜しくなっちまって満足に戦えなくなるとか考えたんだろ。十数年前だったか、聖騎士団でもそんな規則が持ち上がったこともあったみたいだぜ。ファビュラス教会に睨まれかねないってんで速攻で立ち消えになったそうだがな」
「へぇー。聖騎士団も前時代的なことをするものね」
 と、その時のライラは、当時から目指していた就職先である聖騎士団の珍しい話を聞いた、という程度の反応であったが、きっと恋愛という果実の――まだまだ未熟な青い実であるとはいえ――味を知ってしまった今だったら、憤慨はただ事ではなかったことだろう。
「えー!? 何それ、知らなかった。そんな非人道的な提案が実際に行われただなんて、栄光ある聖騎士団にあるまじき汚点だわ! 前時代的極まりないことよ! 幻滅したわ!」
 そのくらいは言いそうだ。
 ……しかし、そんな聖テルニの祭日だが、現在の彼女にとって重要なのはその成り立ちではないはずだった。そんな故事など、今の彼女には頭の片隅にもあるまい。
 今のライラの心を強くこの祭日に引き付けているのは、その逸話からどのような経緯を経てか派生した民間伝承――つまり、
『この日に想い人に菓子を贈って告白すれば、その恋には聖テルニの加護が与えられ、結ばれる』
 という通説の方であろうことは、想像するに難くなかった。



 ……ちゅごーん。
 どこか遥か遠くの方で響く魔術爆撃のような音を聞きながら、ツァイトは自室のベッドの上でごろごろと本を読んでいた。ツァイトの自室はサージェンとの二人部屋だが、今は先程レスリーに告げたようにサージェンが勤務で外しているので、男二人には狭苦しい相部屋も心持ち広く優雅に感じる。
 ……なんだあ!? どうした! 敵襲かっ!?
 ……うおお、なんだこの黒煙はぁ!
 ……あっちだ、調理場の方からだっ!
 ……何があったあぁっ!?
 ……ちゅごごごーん。
 ……ああああああああああああ……………………
 ――ああ。茶が美味い。
 わざわざ自室からは調理場よりも遠い場所にある給湯室で湯を沸かして淹れてきた紅茶を啜りながら、本のページをめくる。サージェンが街に出た折に選んできたらしい茶葉は、彼が一押しするだけあって非常に芳醇な香りを漂わせ心を安らがせてくれる。たまに何か興味があるものが出来るとそれに関して非常に凝り性になるたちのサージェンは、最近茶にもこだわりを持っているのだ。
 ……どたどたどたどた。
 と、先程から部屋の外で響き渡っている幾多の足音の中で、ツァイトの耳ははひとつだけ、次第にこちらへ近づいてくるものを聞き取っていた。
「ツァイトおおおっ!?」
 なにやら叫び声も聞こえる。
 しかしツァイトはそ知らぬ振りをして、読書を続けていた。
 がんがんがんがんがんがん!!
 嵐の様にドアをノックする音まで聞こえてきた。
 しかしツァイトは読書を――
 ――続けたかったが、扉が今にも壊されんばかりに殴打される音の奥で、再度微かな爆音が聞こえてきたことで現実逃避に終止符を打った。
「ああっ、またっ!? ちょッ……ツァイト! ツァイト!? な、なんなのよ!? あれは一体何なのよ!?」
 ツァイトが渋々とドアを開けると声の主、レスリーが倒れこむように飛び込んできた。自慢のブロンドの先っぽの方が少しこげて縮れている。
「だから言ったのに。悪魔来たりて破滅と破壊の笛を吹くって」
「あああ悪魔だわ。魔界だわ。地獄の釜の蓋が開くわ……!」
 ため息交じりで呟くツァイトの前で、女聖騎士はがくりと膝をついた。女だてらに剣術でもかなりの腕前を誇るこの騎士を跪かせることが出来る人間は、隊内訓練でもそうそう多いわけではない。
 ツァイトはもう一度ため息をついて、爆心地に向かってつま先を向けた。

 調理場は奇跡的に無事だった。見た目はせいぜいがほんの少し、天井にすすがついた形跡があるのみであった。しかし、菓子の匂いでは決してない、なんだかよく分からないものが焦げたような謎の異臭が部屋一面に立ち込めている。
「あそこまで火が上がったのよ。二、三発」
 ぐったりとして告げてくるレスリーに、ツァイトは手で鼻を覆いつつ、はぁ、と生返事を返した。その程度のことは彼にとっては全く驚くべき事態ではなかった。つまり、ライラの、かつて自宅の厨房を半壊にまで追い込んだ実績を直に知るツァイトにとっては。むしろ、あの爆裂音でよくぞこれほど軽微な被害で済んだものだと感心する。
 見回すと調理場の隅でライラががっくりと肩を落としてしゃがんでいるのが見えた。他の騎士にでもお小言を食らってしょげているのかと思って覗き込んでみれば、彼女がいとも悲しそうに抱え込んでいるのは真っ黒に焦げた挙句、側面部分が割れてまるで咲いた花のような形に変形した深鍋だった。
「あああ。途中までは上手くいってたのに……」
「途中までってどこまでだ」
 なんとなく聞いてみると、ライラはいつの間にか背後に立っているツァイトに驚きもせず、がっくりとしたまま呟いた。
「チョコを刻んで火にかけたわ。ここまでするのにどのくらいの時間と労力がかかるか、ツァイト、あなたに分かる?」
「…………。うん、まったくわかんねえ。」
 料理自体さほどしないツァイトに菓子作りが分かるはずがないが、そういうのを抜きにして、ライラがその程度の作業にどれほどの労力をかけてしまえるのかがサッパリ分からない。加えてそれで爆発する理由も分からない。確かチョコレートを溶かすときは直火でなく湯せんをして溶かすものだと思ったが、直火で処理をしてはいけないのはよもや爆発するからではないだろう。
 うろんな視線をレスリーに移すと、レスリーは遥か昔に過ぎ去ったもう取り戻せない過去に思いを馳せるかのようなどこか遠い目をしていた。
「板チョコを袋から取り出して包丁で刻むあたりの紆余曲折も聞きたい?」
「いらねえ。」
「そう。じゃあ刻み終わったところからにするわ。数々の艱難辛苦を乗り越えて、私たちは奇跡的にチョコを全て刻みきることに成功したの。これだけの達成感を感じたのはいつ以来かしら。そうね、あのこの世の地獄と謳われた昨夏のルクシャル山での研修の日程が全て終了したときの感慨に匹敵するかもしれない。ええ、あなたも覚えているでしょう? そのくらいの労苦を経て、ようやく私はこの困難極まりない任務を遂げたのよ。しかし、安心するのはまだ早かった……」
 ツァイトに生ぬるい視線で見つめられながら述懐するレスリーはおもむろに、記憶の中にまざまざとよみがえる恐怖を強靭な精神力で押さえ込むかの如く、こぶしをぐっと握り締めた。
「ライラはその鍋を直火にかけようとしたので私は慌てて止めたの。でも、丁度その時、何故か私の目の前を転がって火の中に落ちていく物体が視界の端に映ったわ。何だったと思う? そう、あれは毛糸玉! こんもりと毛羽立った極太の毛糸の大きな玉が一つ! 調理台の上からころころと火の中に落ちていった! 何故そんなものがそこにあるのか私には分からなかったしそんなことを考える暇もなく、けれどもその事実の深刻さを察して私はライラを抑えるのとは逆の手でそれを止めようとした! けれど、間に合わなかった! 毛糸玉は炎を上げて赤々と燃え上がり、その火は私の髪の先に燃え移った。それに驚いたライラは、私を助けようとすぐ側にあった液体の入った瓶を手に取り、私にかけようとした。けれどもその寸前、私の目はその瓶のラベルを読み取ることが出来たのよ。そこには書いてあったわ、『蒸留酒・アルコール度数98%』って!!」
 あ、もういいや。とツァイトは言おうとしたが、彼が口を挟むのよりもレスリーの悲鳴のような絶叫が続く方が先だった。
「私は彼女の手から瓶を命からがら奪い取ったわ! 自分に火はついていることすら忘れてね! これで終わるはずだった。けれども、惨劇はまだ続いていた! 火の上には、まだ鍋がかかったままだったの。毛糸で火力がめいいっぱい上がった炎の中で、チョコは、もうもうと黒煙を上げていたわ。それに気づいたライラはその火をどうにかして消し止めようと、その場にあった食材を次々と鍋の中に投げ込んでいった。人参ピーマンにんにくブロッコリーりんごバナナみかんパセリマッシュルームじゃがいもコーヒー豆パスタそら豆チーズ酢ヨーグルト塩マヨネーズ胡椒マスタード羊肉牛肉エビカニ生魚……ああ、もう分からないわ……食材のみを入れたのは、そのチョコが最後まで食べられるモノであるようにとの彼女なりの願いだったのでしょうね……けれどもそれはもうどうでもいいことだわ……食材を入れても火は消えず、見る間に鍋の煙と炎は高々と上がり……ライラは、最終手段とばかりに私がさっき彼女の手から奪った98%蒸留酒を……」
 あとは涙声で聞き取ることが出来なかった。
 しくしくめそめそと、厨房のあちらとこちらで女の啜り泣きが響く。正直いたたまれない気分になってきたツァイトは、前髪をがしがしと掻きながら慰めるように言った。
「まあ、なんつうか、な。そのパターンだと蒸留酒を調理場一面にぶちまけて大火事とか、部屋中に気化したアルコール分に引火して一角まるっと大爆発のち消滅ってのがライラ的には通常コースだから。幸運だったな」
「いやああああああああああ!!?」
 なにやらツァイトの言葉を非常にリアルに思い浮かべてしまったらしいレスリーは耳を塞ぎかんしゃくを起こした子供のように首を激しく振った。
 ――と、
「どうした? 何か騒がしい気がするが」
 いつの間に帰って来たのか、唐突にサージェンが調理場に顔を覗かせた。
「あれ、サージェン。勤務終わったのか?」
「ああ。アーヴァインが、熱が引いたから全休より半休にしとくと言い出してな」
 ぱぱっと爆裂した鍋を背後に隠すライラを横目にツァイトがサージェンの方へ向き直ると、調理場に足を踏み入れたサージェンがふと眉間に皺を寄せるのが見えた。
「うん?」
 入口から一歩中に入った所でくんくんと鼻をひくつかせて訝しげな声を上げる。開けられる窓は全て開け放ったので先程よりは弱まっているはずだが、名状しがたい異臭がいまだに漂っているので気になったのだろうとツァイトは単純に思ったが、しかしサージェンは視線に、それだけにしては少し厳し過ぎる警戒を乗せて室内を巡らせている。
「何故ここでパテルマギアの肉の匂いがする……?」
「パテ……何だって?」
 サージェンの口から唐突に出た耳慣れない単語を聞き取ることが出来ず、ツァイトが同僚に聞き返すと、彼は目の中の警戒の色を緩めずに頷いた。
「パテルマギア。大陸南部の砂漠地帯に生息するねずみに似た動物だ。これは確かにあれの生肉の匂いだ……が、あれはこの近辺には生息していない動物のはず。何故こんな場所でこの危険な匂いがする?」
「き、危険?」
 神妙な表情で呟くサージェンの顔を見上げて、ツァイトは彼の発言の思いもよらない深刻さに多少びくつきながらも軽く声を上げた。
「あ、いや、でもこれはパテルなんとかの匂いでなくて、ライラが人為的に作り出した劇物の匂いだから大丈夫?だけど……」
「いや」
 しかしサージェンは、ツァイトの言葉を遮って静かに首を振った。確かにライラの劇物も十分に危険、と瞬間的にツァイトは思ったが、サージェンが言いたかったのはそういうことではないようだった。
「パテルマギア自体は別に危険なものではない。これが危険になりうるのはある種の肉食獣の好物だからだ。その獣は酷く獰猛で、この匂いを遥か遠くからでも嗅ぎ付けて飛んでくる。パテルマギアそのものでないとしても、ここまで似ていればもしかしたら」
「しぎゃああああああああああああああああッ!!!」
 ――その、獣の雄叫びは。
 突拍子もなくと言えば突拍子もなく、予定されていた通りと言えば予定されていた通りに、サージェンの言葉を遮った。
「な、なん……?」
 伝説上の生物である竜の咆哮を思わせる激しい威嚇音に、ツァイトは不覚にも寒気を覚えた。咄嗟に周囲を見回してからすぐ側に立つサージェンに視線を向けると、彼は勤務時から持っていたのであろう剣を抜き、何もない窓の外をじっと威嚇し返すように睨み据えている。
 ――否。
 何もない、と思っていた、宿舎の上階から空と広い森を映す大きな窓が、瞬時、真っ黒に染まった。それは一瞬のことで窓はすぐに明るさを取り戻したが、明るくなると同時に今度はその窓から強烈な突風が吹き込んできた。咄嗟に腕で顔をかばったツァイトは、風が止んだのを肌で感じてから、腕を上げたまま恐る恐る目を開いてみたその時には視界の中には既に何もなかったが……
「な、何だ……今の……今何か、外、すんげえのが通らなかったか……?」
 またたく間のことでその姿形までは分からなかったが、何か巨大な物が窓の外を高速で横切った、それだけは分かった。三階の窓の外を一体何がそんな速度で横切れるのかは全く想像つかないが。
 掠れたツァイトの呟きに、サージェンが視線を向ける。生命の危機に瀕してすらそうと分かるほどに表情も声音も変える事のない剣士は、やはり普段通りの低く重い声で、静かに告げてきた。
「『翼ある狂鳴の魔獣』。『闇の獣』の一つだ」

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