Crusade Other Story 彼の姫君

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 彼の姫君

「済みません、ウィル」
 ファビュラス教会の室内運動場。
 そのドアの外から唐突に呼ばれて、彼はこれ幸いと、嬉しげに木剣を繰り出すソフィアの前から逃げ出してナーディの方を振り返った。
 訓練というか、勝負(というかむしろウィルにとってはイジメ以外の何物でもないのだが)からいきなり離脱されて、ソフィアはぷうっと頬を膨らませるが、彼女もウィルと同じようにドアの方へ顔を向けていた。
 その視線を受けて、どこからどう見ても魔術士以外の何者にも見えない黒のローブを揺らして、ナーディはドアをくぐる。
「どうかしたのか?」
「いえ、カイルターク様をご覧になりませんでしたか? 先程から姿が見えないのですが」
「大神官様?」
 ウィルが答える前に、彼の傍まで寄ってきていたソフィアが声を発する。ナーディは彼女の方に、ええ、と頷いた。
「俺は見てないけど。ソフィアは?」
 彼女はふるふると、首を横に振った。
「そうですか、困りましたねぇ。急ぎの用なのですが。どこかのどなたかが先日教会内で起こしたある騒動につきましての」
 わざとらしく眉を寄せて呻くナーディに、ウィルは嘆息した。
「分かったよ、捜してくる」
「お願いできますか? いやあ、持つべきものは友ですね」
 ぱっと顔を明るくするナーディに、ウィルは、はいはいと頷いた。そうして、後ろのソフィアに目をやる。
「ってことで訓練は、また今度な。誰か他の人捕まえてやってろ」
「あ。もしかして、逃げる口実?」
「馬鹿言え。このくそ広い教会で人捜しの方がよっぽど面倒だろうが」
 実は図星だったが、うんざりとそう言ってやると彼女はウィルの言葉の方を信用したらしかった。確かに、説得力はある。
「ふーん。じゃあ、あたしも手伝うよ。大神官様捜すの」
 おそらく掛け値無しの親切心からのソフィアの言葉に、ウィルはぴくりと表情を歪めた。その表情の変化に、ナーディは気がつかなかったようだが、ソフィアはきょとんとする。
 お願いしますね、と呟いて立ち去るナーディを見送ってから、ソフィアはウィルに視線を戻した。じっと、覗き込むように見上げながら呟く。
「何、その顔。……もしかして、大神官様のいる場所に心当たり、あるの?」
「うっ……」
 思わず呻いてたじろぐウィルを、ソフィアは横目で睨んだ。が、すぐに機嫌を直して手をぱんと打つ。
「ま、いいや。さっさと見つけちゃえば勝負の続きも出来るしね。じゃ、行こうよ」
「え、ちょっと待てよ。いいよ別に、俺一人で行くから」
「何で? 何かまずいの?」
 首を傾げて聞き返すソフィアに、ウィルは困った顔をする。
「別に、まずいって訳じゃ……ないけど……でもなぁ……」
「何それ? ま、いいじゃない、行きましょうよ」
 すたすたと歩きだすソフィアを、仕方なしにウィルは追いかけた。

「で、どこにいるの、大神官様」
 ウィルの横を歩きながら、ソフィアは彼を見上げた。しかし彼は彼女の方を見ずに、顎に手をかけて廊下の天井を見上げていた。
 うーん、と唸って、眉間にしわを寄せたままで、ソフィアに視線を向ける。
「別にあいつを庇護してやる義理はないんだけどさ……言うなよ」
「?」
 よく分からないながらも頷いて、ソフィアは視線で彼を促した。それからもう一度ウィルは悩むようなそぶりを見せてから、小さく口を開いた。
「……売春宿」
「ばっ」
 叫び声を上げかけたソフィアの口を慌ててウィルは手で塞いで、開いた方の手の人差し指を口の前に当てた。喉元まで出かけた驚愕を引っ込めるのは労力が必要だったが、なんとかこくこくと頷いて、ようやく手を放される。囁くような小声で、ソフィアは叫んだ。
「なっ、何それっ!? 何で大神官様が……ていうか、こ、ここ聖地でしょ? 教会でしょ? どこにそんなのが……」
「あるもんはあるんだから、仕方ないだろ」
 呟きながら、ウィルは足元を指で示した。
「ファビュラス教会総本山……見た目は一つの馬鹿でかい建物だけどな、実質ここはひとつの『街』だ。一階二階の下層区域には神官や魔術士でない人間も住んでるし、学校や商店だってある」
 この辺りの気候の厳しさもあり、教会は見境もなく人々を受け入れ、そんな人々が半ば好き勝手に建物を増築してまで生活空間を広げていったというのがその所以である。そして、街の隅から隅までを、教会が監視することは出来ないし、おおらかというか何というか、大目に見てやっているというのがその実状だ。
「まぁ、教会内部ってことで、揉め事があればすぐ教会魔術士が飛んでくるもんだから治安はさほど悪くないんだけど、人間がそれだけ集まってれば、そーいう店も出来るだろ?」
「そ、そうかなぁ……? でも教会は取り締まらないわけ? そういうの」
「ファビュラス教の根本的な考え方は、互助と自立、だからな。相当問題がない限り口を挟まない」
「……かなり問題あると思うけど」
「案外潔癖症だな。まぁ、問題あるなしは置いといて、最高責任者からしてあれだからな。仕方ないんだろうよ」
 投げやりにウィルは呟いた。そして顔には出ないように苦笑する。数年前に、彼女と同じようなことを自分も言ったというのを思い出して。その時の会話の相手はカイルターク本人だった。
『将来の最高責任者からしてこれなんだから、仕方ないだろう?』
 当時は大神官の候補という立場だった彼は、悪びれもせずにそう言ったのだ。その時から、その特定の店に行ったカイルタークを連れ戻すのはウィルの役目になっていた。
 はぁ、とソフィアは感嘆にも似た溜息を漏らす。
「それは人には言えないわね」
「そういうこと。本人は、気にしなさそうだけどな」
 それはウィルの予想でしかないのだが、かなり正確な予想であるように思えてならなかった。カイルタークは、神官たるものなら誰もが羨む大神官というその地位に、あまりにも固執しなさ過ぎている。代々高位の神官を排出しているラフイン家の当主という事で回ってきたそんな椅子など鬱陶しいとしか思っていないらしい。
 事実、その理由がそれだけなのかは知る由もないが――
 何時の間にか、辺りは煤けた灰色に包まれていた。
 雰囲気を、一言で表すのであれば、はっきりとどこの街にもある怪しげな裏路地そのものだった。スラムとまでは行かないが、粗末な作りの家が立ち並ぶ――そう、立ち並んでいるのだ。とどのつまり、天井の高い建物の中に、そっくりそのまま家を建てたような作りだった。
 各建物のドアの前にたむろする人々の視線に何となく怯えるようにソフィアは傍らのウィルの腕を掴んだ。
「何怖がってるんだよ。こういう場所に来たことないってわけでもないだろ」
 笑いながら見下ろすウィルに、おずおずと答える。
「ううっ、だって、聖地っていう言葉面とのあまりのギャップに……」
 彼とは対称的に、今にも泣き出しそうな声で呟く彼女の頭をぽんぽんと撫でて、ウィルはその店々のうちの一軒のドアを引いた。
「いらっしゃい……あら、久しぶり」
 カウンターの奥からかけられた声に、ウィルは軽く手を挙げて応えた。その後ろから、そろりとソフィアも顔を突っ込んで中を覗いてみる。
 店の中は、外見と同じようにどことなく寂れていた。いや、単に古くなっているだけかもしれないが。しかし見た目は、一階が酒場兼食堂になった普通の宿屋のようにみえる。
 と、カウンター席の隅の方に座っていた、胸元の大きく開いた服の若い女性数人がこちらを向いた。
「あらぁ、ウィル君、彼女連れ? やるぅ〜」
「部屋なら開いてるわよー」
 その女性たちにはやし立てられて、ソフィアは思わず、人見知りの子供のようにウィルの後ろに隠れた。彼女の肩にそっと手を置きながら、ウィルは奥の女性たちを苦笑した目つきで睨み付ける。
「止めてよ。ソフィアはそういう冗談苦手なんだからさ。……それより、いる?」
 ウィルがカウンターの奥の女性――この店の女主人だが――を向くと、彼女はこくりと頷きを返してきた。
「一番奥よ、いつもの。毎回大変ね」
「これも仕事のうちだから。ソフィア、ちょっと待ってて」
 諦めた口調で呟いて、ウィルはまだ時間が早いため誰もいない店の客席をかき分けるように通り過ぎた。奥の、古くなった階段を上がり、どこをどれだけ丁寧に歩いてもみしみしと音のする床を、気も使わず歩く。
 その突き当たりのドアの前で、彼は足を止めた。
「カイル、起きろよ」
 がんがんと、無遠慮にドアをノックして声をかけてみる。――が、中からは微動の気配すら感じられない。何回か繰り返してみても、さっぱり返答はなかった。
「ったくもー、面倒かけさせやがって……」
 うんざりと呟いて。ウィルはこぶしを握り締めた。
 振り上げて、がんっ!――と、ドアに叩き付ける。
「カイルターク・ラフイン! 教会本部からの出頭要請だ! さっさと出てきやがれ!」
 この建物内のほかの部屋に客がいれば確実に聞こえる声を上げて、ようやく、がちゃり、と掛け金を外す音がそれに応えた。ドアがゆっくりと開く。
「……一度言えば聞こえる」
「聞こえても無視するんじゃ意味ないだろ」
 滅多に感情を表に出さないこの男にしては珍しく、心底迷惑そうな表情で言ってくるカイルタークに、腕組みしながらウィルは呟いた。
 起き抜けの前髪を掻き上げてカイルタークは深々と嘆息した。彼の、裸の上半身の胸元に、小さな赤い痣がついているのを視界に入れまいと視線を泳がすと、部屋の奥のベッドで小さく声を上げながら起き上がる女性の姿が目に入って、慌ててウィルは目を背けた。
(あーもう、どこ見てろって言うんだ……)
 仕方ないので廊下の壁にかかっているよく分からない抽象画に目をやっていると、か細い声が耳に届いてくる。
「もう行くの、カイル」
「ああ。……また来る」
 どう聞いても、それは、娼婦と客の会話ではなかった。会話の内容ではなく、声の雰囲気が。
 ウィルの記憶が正しければ、カイルタークがこの店に通うのは、この唯ひとりの女性のためだけのはずである。
 無論、くわしい話など聞いたこともないし、聞くつもりもないけれど。

 ウィルが階段を降りて、まず最初に見たのは、いかにもガラの悪そうな男たちの背中だった。
「何だよ、商売だろうが。もっと愛想よくしろよぉ」
 まだそれ程遅い時間ではないというのに、もう既にその男は出来上がっているらしい。ろれつの少々怪しい声で、店の女性に絡んでいるようだった。その仲間らしい他の男たちも同様で、にやにやと眺めている。
 しょうがないな、とウィルは溜息を吐いた。だがこんな所で騒ぎを起こしたくはない。なるべく穏便に帰ってもらおうと顔を上げた時、
「離してよっ!」
 聞こえてきた聞き覚えのありすぎる声に、絡まれているのが誰か、というのにウィルはようやく気がついた。
 ぱしん、と軽い音が響いて、彼女を掴んでいた男が二、三歩よろめく。回っていた酒の所為もあり、しりもちをつくその男を見て、周りの男たちはにわかにどよめいた。
「おー、元気がいいなぁ? いけないねぇ、女の子が」
 床に尻を下ろしたままの男のせりふに、男たちにどっと笑いが沸いた。酔っ払いの無神経さなのか、はたまた元々そういう人間なのかは分からないが、少女の、つまりはソフィアの肩を別の男が馴れ馴れしく抱く。
「お客さん、勘弁して下さい、その子は……」
「いいじゃねぇの、こんなところにいるんだ、なぁ」
 たまりかねた口調の女店主の声も、笑い飛ばす男たち。
 何が『なぁ』なのかはよく分からないが、男たちの意図は明白だった。
「ちょっと……!」
 呟く声に怒りを滲ませ、ソフィアは自分の肩を抱く男の腕を掴んだ――
 と。
「がふっ!?」
 その男は顔面に靴跡をつけて、背中からカウンターへ飛び込んでいた。カウンターに仰向けに乗りかかった体勢のままで、白目を剥く。
「なっ!?」
「悪いね。足長くって」
 驚愕の叫びを挙げる他の男たちに、平然とウィルは言い放った。
「てめぇ……」
 一人が呻くのを合図に、彼らはウィルの左右に展開した。それを、ウィルはざっと眺めて、口許に笑みを浮かべる。
「いくらなんでも、そこいらのごろつきに後れを取るほど落ちぶれちゃいないよ」
「はっ、言ってやがれっ!」
 叫んで、殴り掛かってくる男をウィルは一瞥した。男の拳をするりと横に躱して、その反動で前のめりになるその男の腹をウィルは容赦なく蹴り上げた。悲鳴も上げずに倒れる男に、残りの二人の男の腰は完全に引けてしまっている。
 が、そこで退く、という判断をするだけの能力は彼らにはないようだった。罵声を挙げながら二人がいっぺんに飛び込んでくる。
 しかしウィルはそちらに対しては構えもしなかった。そして。
 横合いから同時に飛んできた二つの椅子に頭を張り倒されて、男二人はあっさりと昏倒した。
「……ソフィア」
 椅子を投げたままの体勢で肩で息をする彼女に――もちろん構えもしなかったのは、彼女が椅子を投射しようというのが見えたからだ――、ウィルは視線を向けた。彼と目を合わせて、ソフィアは両手を握りしめ、眉を寄せる。
「だってっ! あの人……じゃなくて、あの人かな? よく分かんないけど、あたしの肩に馴れ馴れしく触ってきたのよ!? 汚らわしいようっ!」
「いや、まぁ、分かるけど、こんな場所で騒ぎは……」
 呟いてから、自分もそう言えば同じ人数だけ蹴り倒したのを思い出し、言葉を濁す。そうしてから、ふと、主人以外の女性が店内にいないことに、ウィルは気付いた。
「……他の子達は?」
 何となく嫌な予感がして尋ねると、女主人は困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい、警らの魔術士を呼びに出しちゃった」
「なあぁぁぁっ!?」
 思わず叫んで――
 ウィルは、ソフィアの腕を掴んだ。
「逃げるぞ、ソフィアっ! 見つかったらまずいっ!」
「う、うん」
 慌てて頷いて、ソフィアはウィルに手を引かれて店を飛び出した。
 と。
「あっ、奴等か!? 待てえっ!」
 待ち構えてたようなタイミングでやってきた警ら隊にあっさり発見されて、結局全力疾走する羽目になる。
「ああっ! ちくしょうっ! 俺何も悪い事してないのにっ! あの色ボケ大神官の馬鹿たれーっ!」
 八つ当たり気味に叫び散らして、とにかく彼らは無我夢中で走り続けた……

 どうやら自分のことらしい罵声を耳にしながら、カイルタークは部屋の窓を閉めた。開けっ放しにしておいたところで、元々が室内なのだから雨風が入ることはないが、外界との境界がなさ過ぎるというのも気に食わない。
 特に、二人きりになりたい特定の人間といる場合には。
「戻らなくていいの? カイル」
 ベッドの端に腰を下ろすカイルタークに、首を傾げて女は言った。おおよそこんな、場末の界隈には似合わない華奢な娘である。
 この世で唯ひとり、彼が心から愛することの出来る、彼だけの姫君。
「丁度よくうるさいのがいなくなったからな」
 彼の呟きに、女はふふっと笑みを漏らした。折れそうなまでに細い腕を伸ばして、カイルタークの頬に優しく触れる。
「でも、可愛くて仕方ないんでしょう? 親友の弟さん。自分の弟みたいだって……この辺に書いてあるわよ」
 頬に触れる彼女の手を、手のひらで包み込みながらカイルタークは小さく吹き出した。
「君には敵わんな」
「伊達に何年も、貴方の恋人はやっていないわ」
「早く私だけの恋人にしたいものだが」
「ご心配なく。私、このスレンダーなプロポーションのお陰でお客様、貴方の他に来たためしがありませんから」
 それでは生活に困るだろうに、何故か得意げに言う彼女に、カイルタークは微笑する。
 今だけは、この何よりもいとおしい瞬間に酔いしれていようと、彼は姫君を胸に抱き寄せた――

− FIN −

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