パン屋と青年。その1


「オットーさん、オットーさぁーんっ」
 ほら今日も、あいつは満面の笑顔を浮かべて俺を呼ぶ。
「ねえオットーさん、ヤコブの所でなすびを貰ったよ。グラタンが食べたいな、食べたいな」
「ねえオットーさん、カタリナちゃんちの羊が赤ちゃんを産んだんだって。ねえねえ一緒に見に行こうよ。ねえ」
 その日によって、俺への用件は様々だったが、いつでも共通していたことは、どれもこれもが非常にどうでもいい出来事で、しかも決まって俺の仕事の邪魔をする内容だということだった。
 まあ、当人には邪魔をしているだなんて自覚は欠片もないわけだが。

 こいつが俺の店の厨房に入り浸り始めたのはいつからだったか。
 村人が全員顔見知りというくらい小さなこの村で、生まれはこの村だけれども小さい頃に親父の都合で町へ出て、パン焼きの技術を学んで帰ってきてここに店を構えた俺はかなり異端な部類に入る。余所者なようなそうでないような中途半端な立場の俺を他の村人は最初どこか遠巻きに眺めていたものだったが、ヨアヒムは初っ端から何の躊躇もなくやってきた。
「わあおいしい! なにこれなにこれ、このパン美味しいねっ!? レジーナさんの焼くパンよりも美味しいパンなんて、俺、生まれて初めて食べた!」
 俺の焼いたパンを初めて食べたときのあいつの手放しでの褒めちぎりっぷりは今思い出してもこそばゆい。腕に自信がなかったわけでは決してないが、職人としてはまだ経験の浅い俺は、そこまで大絶賛されたことがなかったので。
 言葉通り俺のパンがいたく気に入ったらしく、その翌日からヨアヒムは、一日と置かず店にやって来るようになった。
 しばらくの間はヨアヒムなりに気を使っていたのか、律儀にパンを買って店先で雑談をしていくだけだったが、そのうち小遣いがなくても来るだけ来て、厨房でパンを焼く俺にちょこちょことまとわりついてあれこれ取り留めなく喋りまくるようになった。
 お陰で邪魔臭いことこの上ない。ついうっかり厨房に入る許可を与えてしまったのは失敗だったが、今更それを撤回するというのもなんか悪い気がするのでそのまま放置している。

「わあわあオットーさん、今日のパンも凄くおいしそうに焼けたねっ!」
 今日もまたいつものようにヨアヒムは、俺が釜から出すパンを調理台に手をついて身を乗り出して、子供のようなきらきらとした目で見つめている。ちなみに忙しく働く俺の横でこいつは何をするでもなくいつもただ喋っているだけだった。パンも買わずに気が済むだけ俺の側で過ごして帰ることも多いこいつを今更客扱いなどする気はない俺は、ただ調理場で遊ばせておくならと簡単な用事をいいつけてみたりしたこともあったのだが最近はしていない。小麦粉の袋を運んでこいと言えば何もない所で転んで全部ぶちまけて、タマゴを持ってこいと言えばトマトを持ってくるような始末の奴を上手く使う方法など俺にはてんで分からなかったのだ。ただ、村の中では比較的裕福な家の一人息子とはいえ、いい年をしてまともな仕事につきもせず、親のすねをかじって生きている理由の方は泣きたい位によく分かった。
「おなかすいたなあ、一個食べていい? ねえ、一個だけ。オットーさんのパンが食べたいよう」
 バスケットに伸ばされるヨアヒムの手をぴしゃりとやり、俺はそれを店頭の棚に持っていった。ちゃんと必要な数だけ勘定して焼いてるってのに、それに手を出したら計算が合わなくなるだろうが。
 しゅんと耳を伏せる犬みたいな目つきで指をくわえてそれを見送ったヨアヒムに、厨房に戻った俺は、今開けたばかりの釜の一番奥から取り出してなかった丸いパンを二つ出し、ほれ、とヨアヒムに一つ放ってやった。余った生地を適当に丸めて昼食にでも食おうと焼いたものだ。自分用なのであまり凝った形も味もしていないが、焼き立てで濃厚なバターの香りが立つそれは、我ながら中々旨いと思う。
 目を丸くしながらもヨアヒムは両手でそれをキャッチして、焼きたての熱さにわたわたとお手玉しつつもそれを決して落とすことなく口に運んで、ありがとう、と笑う。子供のように大きく開けた口からはふはふと湯気を出してパンを頬張るヨアヒムは、作り手として感動を覚えるくらい心から旨そうに食ってくれる奴だった。
 だからこそ、俺はこうしていつもいつもヨアヒムを甘やかしてしまうのだ。
 決して――
「オットーさん、オットーさぁーんっ」
 ヨアヒムがいつものように俺の名前を呼んだ後に決まって言う、
「オットーさん、だぁいすきっ!」
 ――この言葉にほだされている訳ではない筈だ。多分。


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目次にはオトヨアって書いたけど私はこのRPでヨアオトを演りたいです(きっぱり)