朝起きたら耳と尻尾が生えていた


 朝起きたら耳と尻尾が生えていた。
「うっそ……」
 俺――オットーはベッドサイドの鏡に映る自分の姿に見入ったまま、たっぷり一分ほどは絶句しつづけていた。
 山向こうの村に人狼という化け物が現れて、それに滅ぼされたのだ、という噂は最近耳にしていたのだがたちの悪い冗談だと思っていた。っていうか何人狼とか御伽噺じゃあるまいし。そんな風に思ってた。だというのに……
 恐る恐る黒髪からにょきりと突き出ている頭上の耳(ちなみに人間としての耳も変わらず定位置にある)に手を伸ばし、力を込めて引っ張ってみるとぎりぎりと痛んだ。まさに耳たぶを引っ張られたような痛みだ。ぱっと手を離す。次にパジャマのズボンの中でわさわさと自己を主張している尻尾にも同じ仕打ちを加えようとして、多分尻尾って引っ張ったらもの凄く痛いんじゃないだろうかと思い至ったのでそちらはやめておくことにした。
 どうやら誰かが知らんうちに寝室に侵入していたずらで耳と尻尾をくっつけていったということではなさそうだ。
 …………。なんてこった。この俺が人狼だったなんて。
 とりあえずまず俺はこの見てくれをどうしようかと悩んだ。村を人狼が滅ぼしたというあの噂が本当であるのなら、俺のこの姿が村人に見つかれば必ず厄介なことになるだろう。そうでなくともこんな、これ単体で見れば可愛らしいとしか言えない動物耳なぞを頭に生やしている特殊趣味みたいな姿を人に見られるのは断固として御免被りたい事態だ。まずはこれを隠さなければいけないが……帽子でも被るか? いやだめだ、明日から犠牲者が現れて人狼の噂が真実になるのだというのに急にそんな怪しげな格好をし始めたら疑ってくれと大声で叫んでいるようなものだ。
 ――今自分がごく自然に思考に上らせた、「明日から犠牲者が現れて」というくだりに時間差で気がついて我ながらぎょっとしたが、……まあ仕方がないか。俺は人狼なのだから。
 ともかくどうしたものかと思案しながら何とはなしに頭の上の耳の片一方を撫でていると、いつの間にかその獣の毛の生えた薄い耳の感触がなくなっているのに気がついた。んん?
 試しにもう一方の耳も同じように撫でてみると、溶けるようにそれが消えてなくなった。なんと。こうすれば隠せるのか。
 自分の尻をくりくり撫でるというのは図柄的にやや抵抗があったが尻尾にも同じ処置を施して、俺は無事に元の姿を取り戻した。これでひとまず安心だ。
 さてこれからどうしよう、そう思ったときにどたどたっというやかましい足音が家の外から近づいてくることに気がついた。
「おおおおおオットーさんんん!! どどどどうしよう!!」
 これでもかというほど動揺しまくった悲鳴と共に転がり込んできたのは、隣家に住む青年のヨアヒムだった。俺はぎょっとして目を見開く。奴の茶色い髪の毛の上に生えているのは、髪と同じ色をした三角の耳!
「どうどうどうどうどうしよおおお俺人狼になななな」
 目を回す代わりに口が全然回ってない青年の脳天を、俺は反射的に全力で殴った。耳と耳の間に拳がごしんと突き刺さり、そこにスイッチでもあったかのようにぴたりと悲鳴が止む。
「痛いオットーさん」
 耳をまさに叱られた子犬のようにぺたりと伏せて涙目で訴えてくるヨアヒムに、俺は殴った拳の指を一本だけ立ててびっと突きつけた。
「お前がやかましいからだろ! それよりも馬鹿かお前! 何そんな耳晒したまんまこっちに駆け込んで来てんだよ! 誰かに見つからなかっただろうな!?」
「えっ、あ、う、うん、たぶん大丈夫だと思う」
 頷くヨアヒムに深く嘆息しつつ、俺はトーンを落とした声を投げかける。
「……っていうか、俺にいきなりそんなもん見せてどうする気だったんだ。俺が人間ならお前と俺はお互いどうせにゃならんのか分かってるのか?」
「あっ」
 今その可能性に気づいたとばかりに目を大きく開いてヨアヒムは手で口を塞いだ。……どんだけのアホなのだ、こいつは。お前の認識では俺は無条件でお前側なのか。
 ヨアヒムはしばらくの間俺の耳のない頭を凝視してから、観念したように手を下ろした。
「……言われてみれば、そうだよね……。うん、でも、いいよオットーさんなら。オットーさんに殺されるなら俺、諦めがつくよ」
「いや……この場合はお前の方が人間を食い殺して生き延びる道を先に思いついてもらいたいんだがな、人狼としては」
 軽く呆れつつ呟いて、髪についたごみでも払うようにふるっと頭を振ると、俺の狼の耳が再びにょきっと顔を出した。それを見てヨアヒムが再度目を丸くする。
「オットーさん……オットーさんも、人狼……なの?」
「自分の運に感謝しろよお前」
 半眼になって告げると、ヨアヒムは泣き顔かと一瞬思ったほどにくしゃくしゃな笑顔を浮かべていきなり俺に抱きついてきた。
「ちょっ!? 何だよヨアヒム!?」
「よかった、よかったぁオットーさん……オットーさんが仲間で、ほんとによかった……!」
 そう言ってあろうことかそのままぐしぐしと本当に泣き始めた。何なんだ、一体……
 しかしこいつもこいつなりに不安があったのだろうと解釈し、俺は気を取り直してぽんぽんと頭を撫でてやった。
「分かった、分かったから。まずは当面の作戦を練ろうぜ。な?」
「作戦?」
 ぐずっと鼻をすすって見上げてくるヨアヒムに頷いてやる。
「俺たちが生きるための作戦だ。村人に正体がバレる事がないように……でも多分、人狼としての食料も調達しなくちゃならなくなるだろうから、それの調達についても色々考えなきゃならんだろ?」
「そ、それもそうか。……ええとー」
「大丈夫。お前にはあんまり期待してない」
「あ。ひどーい」
 目に涙を溜めたままぷーと頬を膨らませるヨアヒムに俺は声を上げて笑った。
「さて、他にももしかしたら仲間がいるかもしれないな。そいつとこっそり連絡を取る手段があるのかどうかと、」
「あ、今日のご飯はゲルトがいいな! ゲルトんち、お金持ちでいいもの食べてるからゲルトのお肉っておいしそう!」
「それを言うならレジーナも捨てがたいぞ。ま、飯については後だ。まずは俺たちの存在に気づいた村人たちが取ってくると予想される手段についてだがな……」
 俺たちは生き残りをかけての算段を始めた。俺は普段はパンを焼くことくらいにしか頭は使わないが、こういうのも何故かちょっとわくわくする。これも人狼の性ゆえだろうか。
 ヨアヒムは計画上役立つかどうかは分からんが、楽しい仲間ではある。村人を全員食い殺すまでのしばらくの間、面白くなりそうだ。



END


- INDEX -

いつも通りの性格のオットーさんとヨアヒムですが今日は両狼で。おまかせ狼で夜明けにちょっとびっくりというよくあるワンシーンでした。しあわせ狼生活始まるよ!