名もなき少年の話


 運転席でハンドルを握り、左右に高速で流れてゆく朽葉色の景色を視界の隅に映しながら、私はぼんやりと回想していた。
 あの時は車ではなく徒歩だったのと、隣にいるのは今とは別の人物だったという違いはあるが、私は今と同じように、両脇を冬枯れの木立に挟まれた静かな道を、二人で並んで真っ直ぐに進んでいた。

「ねえ父さん、あれを見て」
 あれは息子が小学五年生くらいの頃、近所の森林公園に一緒に散歩に行った時の事だったと思う。
 息子は梢の一点を指差して、隣を歩く私に声を掛けた。細い人差し指が示す先を視線で追い、それを見つけた私は思わず顔を顰めた。小枝の先に、蛙の死骸が串刺しにされていたのだ。腹を小枝に突き刺された蛙は足を弛緩したくの字の形で伸ばし、力なくこうべを垂れるようにしてそこに留め置かれていた。
「あれねえ、モズのはやにえって言うんだって。自然教室で習った。モズが捕って来た獲物をああやって刺して作るんだよ」
 輝いた目で学んだ知識を披露した息子を褒めるよりも先に、私は自然教室の教師に不快感を覚えた。一体その教師はいたいけな子供になんという残虐な物を教えているんだ。
「モズは何の為にはやにえを作るか、父さん知ってる?」
「……何だろうな、冬の食料として蓄えておいているんだろうか」
 とは言え嬉々として語る子供にそれをぶつけるのも道理に適わぬだろうと、教師に対する不愉快は飲み下し、首を傾げて見せると、息子は得意満面な笑みを浮かべて指を立てた。
「それがね、その理由は専門家にも分かってないんだって。後でまたそれを食べに来ることもあるんだけど、ほったらかしにされる事も多いんだって。木の上で獲物を食べるのに固定した方が便利だからって説もあるけど、わざわざ持ってきてはやにえにしていくだけの個体もいて。……意味がないんだって。意味なく木の枝に刺していくんだって」
「ほお」
 ぞんざいには聞こえぬようにとだけ注意しながら、私は短く相槌を打った。興味を持たなかったというよりは、単にその愛らしい小鳥には相応しからぬ生態がいやに不気味で、興味を持ちたくないと思ってしまったというのが正解だった。
 しかし息子にとっては何故かそれは酷く好奇心を刺激される話題であったようで、私の嫌悪などまるで気付かぬ風に、どこか興奮したような上ずった声で言葉を重ねていた。
「意味もないのにそんな作品を作るだなんて、モズはまるで木の上の芸術家だね」
 残虐な死骸を芸術作品と称して感嘆するその言葉に、その言葉に含まれていた熱の強さに私はごく僅かに違和感を抱き、息子の顔を見下ろしたが、その時にはまた息子はクイズのような質問を重ねて来て、私はそのざらついた感覚を深く掘り下げる機会を逸してしまった。
「モズって漢字でどう書くか、父さん、知ってる?」
「百の舌と書いて『百舌』だろう?」
「うん」
 私の解答に素直に満足したように、息子は笑った。
「二枚舌っていうのは嘘つきの事を言うけど、百枚も舌があったらとんでもない大嘘つきだね」
 この返答については私は、幼いながらに賢い事を言うものだ、と単純に感心しただけだった。
 だから、木立の間を歩きながら、名残惜しげな眼差しで背後の梢を見つめ続ける息子に、私は「そろそろ帰ろう」と益体もない促しの声を掛けることしかしなかった。

 親として恥ずかしいことではあるが、本当に分からなかったのだ。どこが過ちの始まりだったのか。どこを正せばこの過ちは生じていなかったのか。どこで私は息子に声を掛けるべきだったのか。どこで私は息子の声を聞き落していたのか。
 小枝の死骸をまばたきもせずにじっと見つめる横顔を見た時だったのか。微かに感じた違和感をきちんと掘り下げて考えなかった時だったのか。モズの悪意すらない意味なき殺傷行為に何らかの暗喩を感じる事が出来なかった時だったのか。森林公園に連れて行った時だったのか。自然教室に行かせた時だったのか。
 それとも、算数のテストで百点を取った時にあまり褒めてやらなかった時か。国語のテストで三十点を取った時に叱る事も勉強を見る事もしなかった時か。友達と喧嘩をしたと泣いて帰って来た日か。先生に叱られたと言っていた日か。運動会。クラス替え。遠足。入学式。……
 或いは、産院で初めてあの子を抱き上げたその瞬間に、私は既に罪を犯していたのか。

 助手席で膝の上の手を白くなる程に握り締め、俯いて震える妻に声を掛ける事すら出来ず、私は黙したまま息子のいる少年鑑別所へ向けてハンドルを切った。

【FIN】


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