勇者様Lv100!- くれないのもり
魔王という生物のナゾさ加減はとどまる所を知らない。
共に旅を続け、その生態を知れば知るほど、その思いは解消する所かより一層深まるばかりである。
「ねえルシフェル。あんた、買い物とかしたの、こないだが初めてじゃなかったよね?」
人気のない街道を二人で進む暇を持て余した私は、ふと気になっていた事を隣を歩く魔王に問いかけた。
ちなみにルシフェルというのは、魔王という名称が人様の前で呼ぶには大層不都合なのでちょっと前に私が決めた呼び名である。遠い国の伝説にある魔王の名前なのだそうだが、前にどっかで聞いた時に響きが中々格好良いなと思った事を思い出し、「あんたの名前これね」と告げたところ魔王もその伝説を知ってたらしく「うわあまんまだあ」とか呟いた。が、別にダメとは言わなかったのでそのままそれで行くことにした。「黒猫にクロってつけるくらいまんまだあ」と続けた様子からは当人はそんなには気に入らなかったようだが私が気に入ったのだからこれでよいのである。呼ぶのは私だ。呼ばれるのは奴だけど。
それはおいといて。
今日も道中の町に立ち寄り買い物や食事をした際に、さも当たり前のように自然に人間社会に溶け込んでいたこの強大なる魔物の姿を見て、遅ればせながらその不自然さに気がついたのであった。魔王が人間の街で当たり前のように振舞っているというのは実は何気にとんでもねえことではないのだろうか。最初に立ち寄った雑貨屋の時に気付けよって自分に突っ込みたい気分でいっぱいではあるが、そういやあの時も、その後喫茶店でお茶したときも明らかに人間の街に慣れた様子だった。人類の仇敵、災厄の化身、全ての魔物を統べる王たる魔王様が、である。
これは一体どういうことなんだと最大級の疑問を込めて問うと、何故か魔王自身までもが鏡写しのように不思議そうに首を傾げてくる。
「うん、そりゃあね? 買い物くらい普通するでしょ。もしかしてあんな辺境に住んでるから、全部自給自足で生活してるとでも思った?」
「自給自足の魔王って……」
いまいち疑問の要諦が伝わっていなかったようだ。
「そうじゃなくって。天下の魔王様が自ら街で買い物したことがあるとか変じゃないのって話。手下とかいたじゃん」
城にいた魔物たちを思い浮かべてそう言うと魔王は「えー」と反論した。
「あんなお店の天井をぶち破りかねない巨人とかをお使いにやったら街が大パニックになっちゃうじゃない」
それもそうだが……魔王がそういうことを気にするもんなのか? いやそもそもが、きちんとお金を出して買い物をするっていうの自体が魔王的ではないのだが。っていうか肝心の金は一体どこで稼いでんだ?
という新たな疑問が湧いてきたがそれを投げかける前に、ルシフェルは肩を竦めて続けた。
「というか根本的な話、家にいた彼らは本能で俺の回りに集まってくるだけで、別に俺の手下ってわけじゃないんだよ。勝手に家に住み着かれて迷惑してるんだよねえ」
「へ?」
これまた想定外な事を聞かされて私は間抜けな声を上げた。いや、言われてみれば確かにこいつの城にいた魔物は力こそ強かったが動物のような知能の奴らばっかりだった……。今迄別におかしいことだともなんとも思ってなかったが、冷静に考えるとあれじゃあ使えてもせいぜいが番犬代わりで手下とは言えないかも知れない。
いや待てよ?
ふと、ちょっと前に遭遇した事例を思い出す。
「前に戦った魔物みたいにさ、人の言葉が分かってこっちをだまくらかしてくるくらいに知能がある魔物だっているじゃないか。ああいうのを家来にはできないの?」
問うと、今度は魔王は何やら非常に困った顔をした。
「んんー……出来るか出来ないかで言えば出来るんだけどね……」
呟きかけて、魔王は凄く美味しくないものをうっかり口にしたように口元を歪めた。こいつにしては珍しい明確な不愉快の表情に私は目をしばたく。
「どしたの?」
「いや、なんでもない。その話はいずれ、機会があったら話すよ」
――そのいずれの訪れが僅か一日後になろうとは、流石の魔王も予測していなかったに違いない。
「見つけましたぞ! 魔王様!」
唐突に怒号じみた声を背後から投げつけられて、私は内心結構びっくりした。どのくらい驚いたかというと、高級レストランに入ってステーキを注文したらそれはそれは分厚いこんにゃくステーキが出てきたかのような驚きだ。
……うん、我ながら非常に難解な比喩である。
ともあれ何が言いたいかというと、それは私にとって紛れもなく、ありえねーとしか言えない一瞬ではあったということだ。
場所はここ数日歩き続けている裏寂れた街道。平坦な道は遥か遠くまで見通せるがそこを行き交う旅人の姿はないというそんな場所に、気配は唐突に現れたのだった。実際には降って湧いてきた訳でもなかろうから、私が気づかないうちに近づいてきたということになるが、警戒を怠ってなどいなかったはずの街の外で、いくら背後からとはいえ声をかけられるまで他者の接近に気づかなかったなんてことは、レベル100となった今の私にとってはそうそうある経験ではなかった。
……まあ、よく考えたら割と最近、つまりこの魔王と出会った時も丁度同じように背後からいきなり声をかけられた覚えがあるが。こいつは規格外。
魔王の方はそのどこぞのどなた様かの接近に気づいていたのか、欠片も驚きの見えない様子で、ゆっくり声の方を振り返った。
「もう気づいたのか……まるでストーカーだなあ」
呟いた声が昨日に引き続きまたやたらと嫌そうな感じで、私は意表を突かれて後ろを振り向くよりも先に隣に立つ顔を見上げた。その顔も全く声と同質の感情を表していて目を丸くする。魔王の端正な顔は、鬱陶しそうな、面倒臭そうな……一言で表せばうへぇって感じに歪んでいた。
「あなたに忠実であるだけです、偉大なる我が主」
対して答える声はあくまでもかっちりと型にはまったように慇懃だった。魔王の顔が更に不愉快そうに変形する。
「忠実なんだったら、俺がやめてって言ったことはやめてくれると助かるんだけれども」
私は漸く、視線を魔王をそんな顔にさせる相手の方に向けた。
「妥協出来る部分は相当に妥協していると自負しておりますが」
いかにも融通の気かなそうな口ぶりで喋っていたのは、息を呑むほどに鮮やかな赤毛の青年だった。まるで炎のような髪の色に相反して目鼻立ちは涼やかな、魔王に匹敵するほどの美形様である。
一見普通の旅人のような地味ないでたちをしているが、この魔王を我が主などと言うからにはこいつは恐らくは魔物であって、その言葉の内容から察するに初めてお目見えする魔王の部下ということなのだろう。しかし魔物って一体……。怪物か超美形かのどっちかしか存在しないのか?
「して、これは一体どういった事なのです?」
ここまで私を完全無視気味だった赤毛の魔物が初めてほんの一瞬だけこちらを見て、魔王に問うた。魔王が勇者と二人旅、という現状(この魔物が私を勇者と認識しているかどうかは未確認だが)を見れば、確かに何やってんだおまい、と問いたくもなろう。ぶっちゃけ私も小一時間問い詰めたい。
さて魔王様の返答や如何に、と私も一緒になって横を眺めやると、ルシフェルの唇が薄い笑みの形になった。
「それ、君に説明しなきゃいけない事かな?」
微妙に肩透かしを食らう流し方に、もっと面白いこと言えよと私は軽い落胆を覚えたが、しかし魔物の方はそんな人を食った返答を最初から予期していたらしく淡々と応じる。
「我らが眷属を統べる御身をお守りするのが私に課せられた使命であり、その為には魔王様のご状況を漏らさず把握する重大な義務が私にはございます。無論、何よりも尊重されるべきは魔王様のご意思でございます故、どうしてもお話頂けないならば私如きにそれを強制することなど出来ませぬ。……但しその場合は、魔王様を惑わせる要因の方の排除を試みることになりますが」
おお、なんか矛先がこっち向いて来たぞ。赤毛の魔物の物騒な物言いに、ルシフェルは目を細めた。あくまでも笑みを浮かべたままの筈なのに、魔王の名に相応しく酷薄なその表情で、そっと囁くように告げる。
「俺がそんなことさせると思う?」
「どのような罰でもお受けいたします」
「罰で済めばいいけどね」
ばきぃ!――と唐突に激しい音を立て、傍らの結構立派な立ち木が縦から真っ二つにはぜ割れて魔物よりも私がビビる。特別それに対して誰かが攻撃をしたわけじゃない。単に、魔王の怒気に当てられた、ただそれだけのことのようだった。とんでもねー。
魔王は何事もなかったかのように赤毛の魔物から目を離し、私の肩に手をかけて、魔物に背を向ける形で元の進行方向に進みだした。反射的に手を叩き落としそうになったが、強い力で引かれてやむなくそのまま従う。
「お待ちください」
ざっ、と音を立て、こちらに近づこうとしたらしい魔物を、魔王は振り向きもせず言葉だけで鋭く制した。
「失せろ。目障りだ」
「……は」
苦虫を噛み潰したような声ながらも素直に従って、魔物の気配は現れたときと同じように唐突に背後から消え去った。
「ごめん」
気配が消えてからも一度も振り返ることなくしばらく歩いてからぽつりとルシフェルが言った声で、私は漸く、まだ肩に奴の手が乗っていたことに気がついた。
「何が?」
ぺしっと手を叩き落しながらそう返すと、魔王は微妙に残念そうな表情をしてから言葉を続ける。
「目くらましの魔法を置いてきたから一年や二年はごまかせると思ったんだけど、甘かったみたいだ。あのテの魔法はレベル差があっても最初から疑って掛かられると脆いからなぁ……」
「中々忠実そうな部下がいるんじゃないか」
昨日丁度話題に上ったばかりだった部下の話を思い出して私が言うと、魔王は苦笑のような冷笑のような表情を浮かべた。
「……まあアレが俺にまとわりついてくるのも、家にいる彼らと一緒で習性みたいなもんなんだろうと思って好きなようにさせておいてたんだけど。君に危害を加えるつもりなら、早いとこどうにかしておいた方がいいね」
「はっは、さっきから言う事が随分と魔王らしいじゃないか」
「笑う所じゃないでしょ勇者」
折角褒めてやったのに何故かたしなめるようなことを言ってくる魔王。訳分からん。
「魔物が敵に回るのなんて当初の予定と何ら変わる所でもないんだから、別にあんたが気にするようなことじゃないよ。あんたが今言った通り、私は勇者様なんですよ?」
私が気楽にそう言ってみせると、しかしルシフェルは少し心配げに眉を顰めた。
「勿論俺がいる限り、君に指一本触れさせる気はないけどさ。レベル、見たんだろ」
魔王とあの魔物が話をしている間に、私がこっそり敵の強さを知る魔法を使ってたのに気づいていたようだった。
「うん。レベル100の魔物は初めて見た」
そう、あの赤毛美形さんのレベルは私と同じ、100だった。私以外の生き物では初めてお目にかかるレベルである。あ、重ね重ね魔王は除く。
前にも述べたかもしれないが、同レベルの魔物と戦り合うのは決して不可能ではない。祝福された聖なる鎧に身を固め、超高価な魔法のアイテムを金に糸目をつけずに駆使しまくりさえすれば同等のレベルは勿論のこと、ある程度までなら格上の相手とすら対等以上にやり合える。脆弱な肉体しか持ち得なかった人間は叡智を以って力を得ることに成功したのだ。そういう意味では、人間は魔物の強さを既に凌駕していると言っていいだろう。
だがその強さは万端の準備をしている時限定で発揮されるものであって、隙を突かれればやはり生身の肉体そのものの強さが物を言う。魔王が心配しているのは、そういう隙を突かれることだ。
無論そんなことは誰よりも私自身がよく心得ている。人間の冒険者であればいっそ常識的であるとすら言える事柄ではあるのだが、常に自信ありげなこいつにしては随分と弱腰の発言なのが不思議に思えた。
「でも、いくらレベル100って言っても、あんたからしたら所詮レベル100って所でしょ? あんたの目をかいくぐってどうこうできる程の切れ者ってこと?」
てっきり、俺が護るから何の心配もしなくていいとかくっさい事を臆面もなく言い放つような性格だと思っていたんだが。ちょっと意外である。……別にそういう発言を期待していた訳ではないし寧ろウザいが。
が、魔王は思いの外気楽な声で答える。
「いや。あいつも決して馬鹿ではないとは思うけど、俺がちゃんと見てれば見落とすことは有り得ないと思うよ。ただ……うん、お風呂とかトイレのときとかもくまなく見張ってていいなら全力で見てるけど。見てていい?」
そういう意味か!
「いいわけないだろ馬鹿!」
ばきぃ! とクリティカルな音を立てて私の右フックがルシフェルの頬に決まった。0.1のダメージ。
その日から、私たちの旅にオマケがくっついて来るようになった。
オマケといっても姿形は決して現さず、視線というか気配が常にどこからかへばりついている感じがするようになったのだった。昼も夜もどこぞから、じっとこちらを見ているのだと何となく分かる。最初は気取ることの出来なかった魔物の気配だが、一回コツが分かってからは何となく察知できるようになった。私も伊達にレベル100な訳じゃない。
――ただ、気配を気取る事が出来るようになったのはいいが、目に見えない気配という物を四六時中感じるという状況は、想像以上に鬱陶しくてしょうがない。魔王の目の届く範囲では何もしてきやしないのは分かってるし、基本的に視線が監視してるのは私ではなく魔王の方であるようで、それ程警戒する必要もなさそうなのは分かるのだが……
想像してみるといい。
ふと気付くとその辺の木陰から覗いている視線。
ふと気付くと掘っ立て小屋の壁の向こうから注がれている視線。
ふと気付くと百メートルくらい後ろから背中に突き刺さっている視線。
これを心地よいと感じる人間がいるだろうか? いるとしたら余程の自己顕示欲の持ち主だ。見られるのがキモチイイ変態だ。
残念ながら、私は変態ではない。故にこう思う。
うっぜえ。
そんな奇妙な三人旅?を続けてまた数日ほどが過ぎたある日のことだった。
いつものように川の水を地の魔法で塞き止めて火の魔法で熱した石ころを入れて沸かした即席のお風呂から上がり(私はレベルの割に魔法はそんなに得意ではないが、旅に便利な魔法に関してはちょこちょこ覚えているのだ)、タオルで髪を拭きながら野営地へ戻る最中、ふといつものあのかすかな気配が今は全く潜められていないことに気がついた。ん、と思ったが魔物の意識が向いている先はやはり今日も私ではない。気配を殺して近づけば、何やら話し声が聞こえてくる。どうやら魔物は久々に魔王の前に姿を現しているようだ。
「魔王様ともあろうお方が何ゆえあのような人間の小娘などに旅の同行を許しておられるのです」
魔物は、焚き火を棒切れでつんつんとつつくルシフェルの横に直立不動で立ちながら、なにやら苦言を呈していた。焚き火の火に、赤い髪がより鮮やかな赤に染まっている。
「レベルこそ高いようですが、魔王様から見れば塵芥も同然、能力が理由だとは思えませぬ。見目に至っては全く垢抜けない田舎娘ではありませんか」
私の事を話しているらしいが、何か酷い言われようである。魔物はともかく魔王の方は私が既にここにいることに気づいていると思うのだが、魔王は口をへの字にひん曲げたままひたすら焚き火をつんつんしている。……ぬ。妙にいじるなあと思ったらさりげなく芋焼いてるし。後でもらおう。
「私に一言申し付けてくだされば、我が魔族の中でも選りすぐりの美女を何人でもすぐさま用意しますものを。もし人間がお望みであるならば……」
更に長々と続きそうだった魔物の言葉を遮って、ずっと無言だった魔王が漸く口を開いた。
「コトハの可愛さが分からないのは、ぱっと見に騙されて宝石の原石をただの石ころと見逃してしまうタイプだよ。あんなに可愛い子、そうそういないのに」
「……魔王様の崇高なお好みは蒙昧な臣には分かりませぬ」
魔物と一緒になって私も首を傾げた。最初に出会った時も思った事だが奴の美的感覚は私にも全く理解出来ない。故郷の村で私の顔を見るたびにブースブースと連呼しやがったクソガキは帰ったらレベル100の力を以ってシメる予定だが、それは多少言い過ぎとしても私の容姿はいいとこ十人並みって所なのは自覚している。逆立ちした所でこの超絶美形魔王様に絶賛して頂けるようなご大層なもんじゃない。
……まあなんだっていいんだけどさ。たで食う虫もなんちゃらって言うし。
湯冷めする前に火に当たりたいし、隠れている意味も我ながらよく分からなくなってきたので気配を消すのをやめて足を進めると、漸く魔物が私に気づいた。びくっと肩を震わせるというその反応は、最初にこの魔物が現れたあの時の私のどっきりと同じものを味わわせることが出来たって証だろうか。ざまあ。
私は魔王と人一人分くらい離れた隣に腰を下ろし、焚き火に手を翳した。ふう、ぬくいぬくい。なにやらむっとした目で睨んでくる魔物はとりあえず放っておいて、私はまず真っ先に火中の芋を拾い上げる作業に取り掛かった。木切れで転がし出してあちあちと手で転がして黒く焦げた皮を剥けば、ほっくりと焼けた黄色い中身が顔を出す。んんー、この香ばしくも甘い香りがたまらんね。
蜜のたっぷり入った芋に噛り付き、素朴な甘さに顔を綻ばせる私を魔王は猫の子を見るような笑みを浮かべて眺め、自分も芋を取り出した。
「君も食べる?」
「結構です」
つんけんとした物言いで主の勧めを断る魔物。この魔物、主に対して丁寧と思っていたがよくよく見てると丁寧が突き抜けて何気にちょっと慇懃無礼気味である。昔、勇者として初めて王城に呼ばれた時、散々王様にたてついた私が言うことじゃないが家来としてそれでいいんだろうか。
しかし魔王は別段気にした風もなく手を引っ込めて、その芋を剥き始めた。
私も手の中の黄金色を齧る。
ほくほく。まふまふ。芋うめぇ。
結局魔物はその後、何も言わずに暗がりの中に帰り、再度監視体制に戻った。人が芋を食うシーンのみを観賞して帰るとか奴は一体何がしたかったんだろう。
翌日以降も目に見えぬ気配は付いてきたものの、私はもう気にするのを止めることにした。もうあんな構ってちゃん知るか。
やたらうっぜえことこの上なかった気配だが、一旦気にしない事に決めたらあら不思議。本当に結構気にならずに済むようになってきた。何て言うんだっけこれ。病は気から? 違うか。
そんな朝の野営開け。くああぁ、と一つ大あくびをぶちかましてから手櫛でちゃっちゃと髪を整え、いつも通りに街道を歩き出す私に、何でかまたも魔王が詫びて来た。
「ごめんね」
「何が」
手下の管理不行き届きの件についてか? しかし手下と言っても基本コントロール下にないって話は予め聞いてたし、別に謝られるような事はないと思うんだが。それに、あの魔物のある意味無礼千万な発言も内容的にはまあまあ的を射ている物だったしね。
そんな事を私が言うと、今度は魔王が「何が」と全く同じ事を問うてきた。何がって何。どの部分の事を聞き返してんだよ。……無礼千万な発言ってくだりか? と適当に推理して返答する。
「いや私とかあんたみたいな超絶美形にお褒め頂くようなツラしてないし」
目が腐ってるとまでは自分のなけなしのプライドと天秤にかけて言いたくはないものの、やっぱりごくごく平凡な娘っ子に過ぎない私のどこが魔王様のお眼鏡に敵ったんだかどれだけ考えても全然分からんし。その点に関してはあの魔物にまるっと同意だわ。
しかし魔王は私の返答を聞くと、数秒程沈黙してから、なにやら神妙な声でぽつりと呟いた。
「君は、俺が君に惚れ込む事を随分と不思議がっているけど、それって今更だと思わない?」
「うん?」
突然のシリアスモードの意味が分からず魔王の顔をきょとんと振り仰ぐ。魔王は老獪な梟のような眼差しで私を見下ろしていた。軽く目をしばたく。今の魔王に恐ろしい威圧感がある訳じゃない。だけど今の気配は……何て言うのかな、いつも感じる、美形の癖にそこらにいる兄ちゃんじみたごく普通っぽい気配とは真逆の……物凄く歳を経た巨木のような? 或いは何万年もかけて削られた断崖の風景みたいな? 何か、人知を超えた圧倒的なものを前にしたような錯覚を感じる。いや、錯覚じゃなく、正真正銘人知を超えたものであるには違いないのだが。
「だって君はもっとずっと前にも別の奴に惚れられてるじゃないか、勇者様」
へ?
惚れられてるって? 私が? 彼氏いない歴17年の記録保持者的には心当たりの全くない事を言われ、眉をひそめて見せると、魔王は表情を変えないまま静かに呟いた。
「神様に」
私の眉が開き、驚きの表情に変化する。勇者認定が神様に惚れられた結果なんていう発想はなかった。
私は腕を胸の前で組み、空を見上げてうーんと唸ってしばしその発言の意味を考えてから、顔を魔王に向けた。
「あんたが私を気に入ったって言うのは、私が勇者だからなのか?」
魔王は緩やかに首を横に振った。
「神が君を勇者と定めたという事実自体が理由なのかという意味なら、違う。多分、同じ部分に惹かれたのだとは思うから、そういう意味でなら合ってるけど」
「惹かれた部分って何」
「直球で来たね。そういう所、好きだよ」
「うん、で、何?」
「あっさりとかわしてのける所も好きだよ」
「…………。」
普通の相手なら力ずくで吐かせる場面だがこの相手にはその手段は通用しない。んーむ。どうすりゃいいかな。
「色仕掛けなら聞き出せるかな?」
呟いて、シャツの裾をぺらりと持ち上げる真似をしたら、魔王が突如その場にしゃがみこみ、更に真剣みを増した視線で私を見上げた。んお? 何そのリアクション。
「ベストポジションから観覧する準備おっけーです。さ、どうぞ」
「やんねーよ馬鹿」
アホか。いや、この冗談を始めたのは私だが。
「約束してないから言わない、なんてずるい真似はしないよ。見せてくれたらちゃんと言うよ」
「いや別にそこまで自分捨ててまで聞きたいこっちゃねーし」
「自分捨てるとまで……。俺に裸を見せるのはそんなにヤですかそうですか」
なんか切なげに肩を落として魔王はがっくりとうなだれた。がっかりされたって知るか。こんな貧相な裸体人に見られたかないわ。
シャツをしっかりと元に戻して、私はつれづれと考える。
勇者って単純なくじ引きみたいな偶然なんだとばかり思っていた。たまたま、神様が投げた石ころに私がぶち当たったようなものだとばかり思っていたのだが……違ったんだろうか。
どうにもぴんと来ない。だって私には一切特別な才能や血筋なんかはないんだから。うちは何代も前から辺鄙な山村に暮らしていた農民の家系である。王様の隠し子だったり実は天使の血を引いていたりするような個人的な秘密だってない。……いや取り立てて聞いたことがあるわけではないが、多分ない。そんな作り話みたいな秘密があったら腹抱えて笑う。
私がレベル100になる素質の持ち主だったって理由でもないと思う。こいつは特殊な素養の問題じゃないからだ。普通は別に誰も自主的にそうしようとは思わないだけで、人間、死ぬ気で努力さえすれば誰でもいつかはレベル100に至ることは可能なのだ。私みたいに命が掛かったりすればどんな怠け者だってそうしようと思うだろう。そもそもレベルに関しては、あの赤毛魔物が言った通り、魔王からしてみれば人間最高のレベルだろうと芥も同然、レベル1もレベル100も大差はないだろう。魔王から見てもそうなんだから、多分神様だってレベル100如きを有り難がる事もあるまい。
……。神様が私を選んだ理由、どこにもない気がするんだけど。
比喩ではなく本当に首を傾げつつ歩いて数十秒。私はふと首の角度を元に戻してくるりと魔王を振り向いた。
「そういや全然関係ないけど聞いていい?」
「うん、何?」
「前に買い物してた時に疑問に思ったんだけどさ、あんたお金どうやって稼いでるの?」
「……本気で全然関係ない所を唐突にほじくり返して来たね」
ちょっと面喰ったような反応をして魔王が半笑いを浮かべた。うん私も自分でも何で今この謎について思い出したんだかよく分かんない。分かんないけど考え事をしてる時って細い芋づるを無理矢理辿るように全然関係ない思考に辿り着く事ってよくあるよね?
という私の意見に魔王が賛同したか否かは定かではないが、魔王は今度は特に言い逃れをするようなそぶりを見せずに素直に種を明かした。
「誰のものでもない金脈をいくつか知ってるんだ」
「お、おお?」
す、スケールが全く違った。魔王のお財布恐るべし。
「大分昔、暇だったんで鉱脈から金を採掘して精製するまでを一括で行える魔法を研究してねえ」
「へ、へえ……」
なんか感嘆を通り越して最早呆れる。なんぢゃそりゃ。魔法ってレベルじゃねーぞ。
「もういっそのこと無から金そのものを作る研究でもすればよかったのに」
古い時代の魔法使いはそんな研究をしている人もいたらしい。結局そんな方法は誰も発見することが出来なかったそうだけど。
すると魔王は事もなげに答えて来た。
「いや、したんだけどね」
「したの!? できたの!?」
「結論から言うと、術式は完成したけど試してない。どう計算しても物凄く莫大なエネルギーが必要で、実際にやったら国が一つ二つ吹っ飛びかねないかなーと思ったんで」
「へ、へえ…………」
なんつーか……常軌を逸しているとしか言いようのない……。しかし普通の魔物だったら、国が一つ二つ吹っ飛ぶと分かってても躊躇なくやっちゃいそうなものだが、魔王がこいつで本当によかったな世界。魔王のお陰で世界が救われた。万歳。
……なあ、神様。世界平和に勇者関係なくね?
結果オーライなのでこれでいいっちゃいいんだが、勇者として苦労した二年を考えると多少アレな気持ちも無きにしも非ずというか……まあいいんだけどさああ。
唇をとんがらかして手荷物(重さ20kg)をぐりんぐりん振り回しつつ子供のように拗ねる私を、魔王は昨日みたいな猫の子を眺めるような眼差しで見つめた。
…………。
ちょっと思ったんだけど。まさか神様に魔王様よ、私の選定基準、「こいつ動物みたいでおもろい」ってんじゃない……よね?
- INDEX -