勇者様Lv100!- やまあいのむら


 勇者コトハ・フィーレンタルト、花も恥らう17歳でレベル100。現在魔王の城から帰還中。
 何故か、魔王と連れ立って。

「間違ってると思う」
 私のぼそりとした呟きに、目の前の黒髪がくるりとこちらを振り向いた。勇者と言っても体格はごくごく平均的女子な私の頭のてっぺんを見下ろす高さから、漆黒の瞳が私を見つめてくる。驚くほど端整な顔立ちの中にある怜悧な双眸は、本人にやる気さえあればどんな屈強な戦士をも威圧する程の眼光を放つことも可能であろうと思われるのだが、しかし今それは苦笑気味の口元とセットになって、やれやれとでも言いたい風に細められている。
 この野郎、やれやれはこっちの台詞だあほんたれ。この馬鹿魔王。
「まだそんなこと言ってるのコトハ。意外と拘るタイプなんだねえ。もっと大雑把な性格してると思った」
「どういう意味だ。その判断材料はどこだ。見た目か? 見た目なのか?」
「朝起きて跳ねたままの頭で颯爽と旅を再開する君の勇ましさは個人的には好感が持てるんだけど、女の子としてちょっとは気を使うべき点と見る人もいるであろうことは指摘しておくよ」
「余計なお世話だ!」
 どう考えたって風呂にも入ってない野営明けにめかしこむとかアホのすることじゃないか。それに仮に身だしなみを整えた所で一回魔物と戦えばすぐにぼさぼさになるんだ。手を抜こうが抜くまいが関係ないだろう!
 と脳内で反論していると、そいつが唐突に、私の頬に手を伸ばしてきて指先で撫でた。
「折角こんなに可愛いんだから、ちゃんと手をかけたら凄く素敵なのに」
「ええいっ! 触るなっ!」
 怒りに顔を赤くして手を叩き落としてやると魔王は嬉しそうに笑った。
「照れちゃって可愛いー」
「違うっつーのが何故わからんのだ貴様は!」
 首を腕でギリギリと絞めあげてやりたい衝動に駆られるが、しかしそんなことをすれば「こんな公衆の面前でそんな強烈にハグするなんてもうコトハのえっち」とかおかしい変換をされかねないので(っていうかつい昨日あたりにされたので)どうにか私はその発作を理性で押さえ込むよう努めた。それでもどうしても漏れ出てしまうやるかたない憤懣に指をわきわきさせている私を魔王はしばらく実に楽しそうに見ていたが、ふと思い出したように視線を外し、最初に眺めていた雑貨屋の陳列棚に目を戻した。
「まあそれはそれとして。俺に旅の同行を許してくれるほど懐の広い勇者様が、魔王がちょっと従来のイメージと違ったくらいのことを気にするなんておかしいと思うんだけどな。魔王だって旅に出るなら準備をするし、必要なものは店で買うんだよ」
 言って、手に取った商品を室内のランプに透かすようにして眺めている。
 その姿を私は忍耐強く見つめながら、震える声で呟いた。
「……準備に買い物することは、それ自体は、思う所がないでもないが、許そう。……だがな、しかしだな……」
 ばん、と店内を手のひらで指し示して私は叫んだ。
「何故によりにもよってファンシー雑貨なんだ!!」
 今私たちがいるのは雑貨屋ではあるのだが、旅に携行する実用品と言うよりは女の子向けの装飾品や日用雑貨をメインに取り扱っている、実に少女趣味テイスト溢れるお店だった。唯一の救いは少女趣味と一口に言っても、貴族娘が全身に纏っていそうなピンクサテンのどビラビラではなく、その辺の田舎娘が好みそうなナチュラル系綿レースの世界だということか。前者はどうしても許せんがこちらなら個人的には許せる。
 が。それは女の子の趣味としての許容範囲であって、この世の諸悪の根源・魔王という名を持つ超絶美形野郎様が喜んで物色してる姿は正直見てて薄ら寒いことこの上ない。つーか旅の準備になんないだろこれ!
「えー。いいじゃん。可愛いの好きなんだよ俺」
 確かに初登場時はいとも愛らしい猫さんパジャマをお召しになられておりやがりました魔王様であらせられますがね! ってかあのパジャマも有り合わせとか適当に見繕ったものとかでなく本気で本人の趣味か!
「あんたそれでも魔王か! つか魔王がどうのとか関係なく浮きまくるでしょうが、男がこんな店で品物眺めてたら!」
 囁き声で叫びたてると魔王は心外だという風に目を丸くした。
「別にそんなに目立ってないよ、ほら」
 そう言って視線で周囲を示す仕草に従ってふと見回してみると、確かに店内には男性客も数人いた。例外なく女性の連れ添いがいて、恋人の買い物に付き合っているという風情だが。
「俺たちもあんなカップルに周りからは見られているんだろうね? コトハ」
「うわわわわっ!?」
 そっと肩を引き寄せようとした痴漢野郎を私は反射的に突き飛ばして、しかし体格差ゆえか逆に自分が突き飛ばされる格好になってよろめき、棚に激しく衝突する。
「コトハっ?」
 驚いた声を上げて魔王は手を伸ばしてきたが、その魔王の挙動を以ってしても一歩遅かった。棚においてあったそれはそれは可愛らしい薄い白磁のティーセットが振動によって棚から転げ落ち、がらがらがっしゃんと中々景気のいい音を立てた。
 うっわぁ……。
「だ、大丈夫ですか?」
 慌てて駆け寄ってきた店員は口は私を心配する素振りを示して見せたが視線が明らかに床に落ちている。そこには当然、薄くて鋭い破片の山。ごめんなさいとしか言いようがない光景である。
 畜生、この馬鹿魔王の所為でまた私の老後の貯蓄が……! がっかりしながらお財布を取り出して弁償しようとする私を、魔王が手を上げて止めた。ん? あんたが払ってくれんの?
「すみません、すぐ直しますから」
 店員さんに断る声が、何を意味するのかがすぐには分からず見上げた私の視線の先で、魔王は無造作にその手を軽く下に下ろし、ふいっと上へと動かした。ちょっと仕草が大きい手招きのような、たったそれだけの動きだ。
 と、次の瞬間。
 その手の動きに呼ばれたかのように、床に落ちて粉々に砕けていたティーカップの残骸たちがふわりと宙に浮かび上がった。それらは次々勝手に組み上がり、やがて元の棚にきっちりと収まった。並び方さえもが元あった形そのままに――つややかなカップの白い肌には小さなひびの一つも残さずに。
「えっ? ……あれっ?」
 幻でも見ていたかのような声を出して目をしばたく店員さんの前から魔王は私の手を引いてするりと抜け出る。
「さ、行こう。コトハ」
 魔王は柔らかい微笑を、私だけに向けた。

「ねえ、魔王」
「うん?」
 店を出てしばらく歩いた所で私は魔王に声をかけた。ふと気がつくとまだ私の手を握っていやがったので、ぱっと振るい落としてやると物凄く残念そうな顔をされたがそれは無視して、私は言葉を続ける。
「アレ、やめた方がいいよ」
「アレって何?」
「さっきの魔法」
「魔法……? ああ、さっきの?」
 その指摘に返ってきた言葉には、僕何かしましたっけ的な雰囲気すら滲み出ていて、私は思わず溜息をついた。まあ、レベル32767のこいつにしてみたらあれはもしかしたら落としたものを拾う程度の労力でしかないのかなともちょっと思ったのだが、やっぱりそんなものでしかなかったようだ。仕方がないのできちんと説明してやることにする。
「私は魔法のことは専門外だけど、それでも分かるよ。あんなの、レベル100の魔法使いにだって出来ることじゃない。あんな魔法をほいほい使ってみせたらまずいわけよ、世間一般的には」
 それをこいつは、まるで息をすることみたいに簡単にやってのけた。まさかこれでこいつが魔王だということまでバレたりはしないだろうが、只者ではないことは一目で分かってしまう。追及されたらどうごまかすつもりなんだ。
 しかし当の魔王は至って気楽だった。
「なるほど。でもまあ大丈夫だよ。専門外って言ってもコトハは高レベルの魔法を実際に見たことがあるからあれがレベル100じゃきかない位の魔法だって分かるんであって、低レベルの魔法しか見たことないような普通の人ならそうそう見分けつかないから。せいぜい分かっても、かなりレベル高そうな魔法だなーって所までだね。だから高レベルの魔法使いってことで大体ごまかせる」
 と――
「……高レベルの魔法使い様とお見受けいたしました」
 唐突に真正面から魔王の言葉をそのまんま繰り返すような言葉をかけられて。私と魔王は足を止めた。
 まず見えたのは粗末な木靴で、そのまま視線を持ち上げるとそれと揃いのような粗末な衣服を着た一人の若い娘の姿が現れた。私たちの前に立ち塞がるような格好で立つ娘は、切羽詰った真摯な瞳でひたりと魔王を真っ直ぐに見つめている。それは勇者としてあまりにもよく目にする光景過ぎて、次にこの娘が発する言葉が私には簡単に想像がついてしまった。 
「どうか、どうか、私たちの村を……お助けください!」
「……ほら、ね?」
 案の定思った通りの言葉を叫んだ娘を前に、とりあえず魔王は、彼女を指差して私に曖昧な笑みを向けた。

 年齢は私と同じくらいだろうか、肩までのお下げ髪を垂らした、大人しそうなその娘はエリカと名乗った。この街を出て少し行ったところにある山中の村に住んでいるのだという。
「村を助けろって?」
 私が尋ねると、エリカはこくりと頷いた。
「はい。私たちの村の近くの山に、半年ほど前から魔物が住み着くようになってしまったのです。村自体は、神官様にかけて頂いている守りの魔法でまだ被害はでていませんが、山に入った村人が次々に襲われて……」
 言いながら涙ぐむ。犠牲者の中には馴染み深い者もいたのかもしれない。それに山村で暮らす村人にとって山は生活の場だ。いくら村そのものが無事だとは言っても、山の恵みを得られなければ暮らしてはいけないだろう。
「冒険者ギルドには討伐の要請を出したの?」
「はい。でも私たちの村はさほど裕福ではないので、村から出せるお礼も些少なものでしかないからか、どなたも来て頂けないのです」
「ふむ……」
 私は軽く唸った。この辺りはまだまだ魔王の城がある最果ての地に近い――つまりは棲みつく魔物のレベルが高い。村から出る報酬額が少ないというのも一因かもしれないが、それよりも多分、そんな所に現れた魔物を倒せるような冒険者が中々いないのだろう。
 ま、しょうがないか。
「オッケー。じゃあ私がそいつ、倒してきてあげるよ」
「ええっ!?」
 気楽に請け負うと、エリカは飛び上がらんばかりの勢いで驚いた。ああ、そういえば今回は一応話を持ちかけられたのは魔王の方で、私への依頼じゃなかったんだっけ。
「任せて。私は勇者だから。問題ない」
「勇者……さま? あなたが……?」
 どこか疑ってそうな声を出されるが、実はこんな反応には慣れている。レベル100とはいえ見た目小娘なのは今も昔も――まあ2年の成長分はあるにしろ、変わっていないのだ。当の私だっていまだに「私が勇者って絶対何か間違ってるよな」って思うし。たまに逆にこの特徴的な容姿の勇者ってことで私の噂を知っている人もいるが、意外とそれは少数派だ。
「そんなわけなんだけど、まお……あんたはどうする?」
 うっかり人前で魔王とか言いそうになった。いや、不特定多数の前でなら普通に言ってた気がするが。……これからしばらく一緒に旅を続けるとするなら、呼び名くらいは考えておいた方がいいかもしれない。
「俺はコトハが行く所にならどこにでもついて行くよ」
 にっこりと笑う魔王に「あっそ」と応えてやるとこいつはまたまた残念そうな顔をした。どうしろと言うのか。喜べと言うのか。無茶言うな。
「……それじゃあ詳しい話を聞きましょうか」
 魔王から視線を外してエリカを見ると、彼女はいまだ驚いているかのような顔をしたままながらもこくこくと頷いて、では村へ向かう道中に説明します、と言った。

 詳しい話、と言っても魔物についてはそれ以上、エリカが持っている情報は殆どなかった。魔物の特徴の一つも分かればこっちとしては嬉しかったんだけど……まあないならないで仕方がない。それを調べるのも討伐を請け負うこちらの仕事ではある。
 報酬についての話も軽くしておいて(やっぱり相場よりは大分安かった。高レベルの魔物を相手取ると経費もそれなりに掛かるので、元が取れるかは微妙な所だ)ある程度納得というか覚悟ができた所で、私は雑談代わりになんとなく気になったことを問いかけてみた。
「所でエリカ、あなた、そいつが魔法使いだって、何で分かったの?」
 そんなことを聞いたのは、さっきの店の中で彼女の姿を見かけなかったような気がしたからだ。……まあ、あの店にいても別段違和感のない年頃の女の子だし、単に記憶に残っていなかっただけという可能性も十分に高いのだが、店で見つけたにしてはそこから結構離れた所で声をかけられたような気がする。
 エリカは少し言いよどむ様に口を結んでから、柔らかく微笑んだ。
「私、こう見えて魔法使いとして修行をしている身なのです。先程は、どこかから強い魔力の波動を感じ、その源を魔法を使って探し出して声をお掛けしました」
「へぇ……」
 魔法をそのまま見たんじゃなくてその気配で分かったとは中々に感覚が鋭い。しかも、探査の魔法まで使って探したということは見た目によらず意外と高レベルな魔法使いなんじゃないだろうかこの子。……ん? これほどの魔法使いだったら、直にあの魔法を見られてたらやばかったんじゃね?
 と思いついてこっそり魔王を睨んでみると、奴はさらりと視線を逃がした。
 ……まったく。

「もうすぐ村です」
 獣道のような山道を登ったり降りたりしながら全体的にはそれなりに登ることしばし。ちょっと小腹が空いて来たなあという頃合になって、先導するエリカが呟くように言った。丁度下り坂になっていた所で、声が指し示す方角をなんとなく眺めてみると、木々の合間から小屋……いや、家屋の屋根がいくつか見えた。本当に謙遜でなく小さな集落のようだった。人っ子一人見当たらない。
 ――そこで私は不意に、ある種の違和感を覚えた。
 人影が見えないのは、まだそういうこともあるだろうとは思える。だが、いくら人口の少なそうな村だからと言え、今は昼時なのに、どの家からも食事の支度をする湯気の一つも上がってないというのは……?
 まさか、エリカが村を出ている間に魔物に!?
 そう思いつくや否や、私は二人を置いて即座に走り出した。崖を飛び、藪を駆け抜け、数十秒で村の中に飛び込む。
 村の家々を間近で見た私は愕然として立ち尽くす他なかった。家という家の扉や壁は破られ大穴が開き、木で作られた小屋は火を放たれたのか焼け焦げて崩れ落ちているものすらある。瑞々しく茂っていたはずの木々は何か強大な力でなぎ倒されたように根元から折れており、広場も畑も見るも無残に荒れ果てて……凄惨な様相を呈している。
 ――しかし……これは……
「コトハ」
 私の後を追って走ってきたらしい魔王は私の姿を見つけると、歩調を緩めて私の少し後ろで足を止めた。
「……魔王、これ」
「うん」
 私が戸惑いながら周囲の様子を目で示すと、魔王は最初から分かっていたような声で頷いた。
「もう随分と昔に滅ぼされたような感じだね」
 ――そう。荒れ放題に荒れて背の高い草の生い茂る畑はどう見てももう長いこと人の手が一切入っていない事を示していたし、倒壊した木々や小屋はとうに朽ちて原型をとどめていない部分すらある。どう見ても、昨日今日魔物の襲撃に遭ったという感じではない。少なくとも数年は、この状態で野晒しになっていたんじゃないだろうか。
 ざりっ……
 砂をこするような音は、私の後ろにいる魔王のそのまた後ろから聞こえた。振り返って村の入り口に当たるその方向を見ると、エリカが漸く追いついてきた所であるようだった。顔を俯けて視線を晒さないまま、ざり、ざりと足を引きずるようにして歩みを進めてくるその娘の姿を私は立ち尽くしたまま凝視する。エリカの身体が、徐々に大きくなってゆくのが見えた。単に近づいてきつつあるからではなく……実際に細かった身体が、ぶくり、ぼこりといびつに歪みながら膨張し始めているのだ。何の変哲もなかった娘が異形と化していくその様は実に異様で、普通の人なら見ただけで腰を抜かしかねないおぞましさではあるのだが、私はこれまでにも何度かこんなものを見た経験があった。ふぅーと鼻から息を吐き出しながら腰の剣を抜き放つ。
「自ら依頼人に扮して獲物を呼び寄せてくるなんて、随分まめなことをする魔物だな。世間一般的になんていうか知ってるそれ、自作自演って言うんだぞ、エリカ」
 多分本当はエリカなんて可愛らしい名前ではないんであろうそれにあえてそう呼びかけながら相手の強さを確かめる魔法を使い、ステータスを見てみるとレベルは90と出た。……なぬ。こんな寂れた村で遭遇する魔物風情が魔王の城の雑魚並みにレベルが高いとは少し予想外だ。とはいえ、運のよいことに丁度先日魔王と戦う為に準備してきていたばかりの今の私の所持アイテムは潤沢すぎるほどに潤沢だ。ぶっちゃけこのレベルの魔物一匹敵じゃない。
 というこちらの計算などそ知らぬ風に、エリカは随分と野太くなった声で悠々と口上をのたまい始めた。
「くっくっく、我が罠にやすやすと嵌る愚かな人間どもめ。最初はそこの魔法使いの魔力だけを吸い取ってやろうと思うておったが、丁度いい。小娘、お前の身体も一緒に奪ってやろうぞ」
 大して独創的センスがあるとも思えない台詞でコケにされて少々むっと来るがここは我慢する。その分十倍返しでぶん殴っちゃるわ。
 ……と、私は怒りをやり過ごしたのだが存外にも、魔王が普段の何処かのんびりとした態度を唐突にしまい込んで魔物をキッと睨み、指をびしぃ!と突きつけた。
「身体を奪うだなんて! 俺だって是非そうしたいのに何てずうずうしい!」
「黙れエロ魔王。」
 目の前の襟首をむんずと引っつかんで後ろに放り投げ、何もかもなかったことにする。
「あんたはちょっと下がってなさい」
 魔王に言い放ってから、私は魔物と真正面から対峙すると剣を正眼に構えた。魔物の、ワニのように突き出て深く裂けた口吻からちろちろと炎が漏れ出ている。成る程、村を焼いたのはあれか。
「ふん、何が勇者だ、人間風情の小娘が。そんなちんちくりんな身体なぞ食いでがあったものではないが、望むなら丸ごと食ろうてくれるわ!」
 ほっほう、ちんちくりんとな……。そりゃあお前の馬鹿でかい図体に比べりゃちんちくりんだろうよ。こめかみに軽く青筋を立てながら、私は地面を蹴った。
 ダッシュを開始した私は一瞬にして巨大な魔物の懐に飛び込んでいた。見たかちんちくりんの素早さを!
 魔物の真下から顎に向けて突き上げるようにして剣を振り出す。
「うぬうっ……」
 魔物は呻き、巨体ながらも流石レベル90というべき速度でかわそうとするが、私の剣の速度には及ばなかった。刃先が顎にざっくりと切創を刻む。それなりに深い痛そうな傷だが致命傷には程遠い。魔物の巨体は相応に皮膚が厚く、貫くにはかなりの力が要るように思えた。一気に大ダメージを与えるのは無理か。では連続攻撃でダメージを蓄積させてやろうじゃないか。
 私は一旦魔物から飛びのくと後方宙返りをして軽やかに着地。腰を落としたまま軽く舌で唇を湿らせてから剣を構えた。
「たあっ!!」
 一声叫んで、私は再度走り出した。最初の一撃を食らった魔物は、爬虫類っぽい瞳孔が縦に割れたぎょろ目に怒りの炎を点して私を睨んでいる。また接近されれば痛い目を見るということはもう分ったのだろう、ぐああ!と開けられた大口の奥に朱色の光がともるのが見えた。
 刹那の間をおいて、その光がこちらに向けて怒涛の如く迫ってくる。
 ふん! 甘い!
 私は、だん!っと地面を蹴り、高らかに飛び上がった。私の2倍以上の身長を持つ魔物の背丈よりも更に上に飛び上がり、今度は剣を下に突き出しながら放物線を描いて魔物の真上に落ちる。
 ざんっ!
「ゴォアァァ!!」
 咄嗟にガードに翳された太い腕にざっくりと剣を中ほどまで突きたてられて、魔物は苦しげに吼えた。しかし……まだまだ! 私は即座に剣を引き抜くとそのままその剣を縦横無尽に振るった。瞬く間に魔物の皮膚に細かい傷が次々と刻み込まれ、血液にも似た赤黒いもの――砕けて灰になった魔物の肉体なのだそうだ――が霧のように散っていく。
「はああああああああああっ!」
 気合の声を上げながら私は魔物を刻む!刻む!刻む!――100というレベルに裏打ちされた腕力と、元々は非力だった私が「力でダメなら手数で勝負でよくね?」と覚えた私流の剣技はいまや向かう所敵はあんまりない!
 ――と――
 私が渾身の力を込めて繰り出した一閃に、あたかもその一瞬を待っていたかのように魔物が反応した。なんと、私の剣の前に腕を突き出してきたのだ。私の剣は魔物の太い腕を深々と抉り、魔物は押し殺すような苦痛の声を上げるが、分厚い皮膚と筋肉に阻まれて切り落とすまでには至らない。私は再度剣を引き……
「……!?」
 その瞬間、私は自分が魔物の策略に嵌ったことに気づかされた。魔物の腕に食い込んだ剣が抜けない。間近にあるもう既に素朴な娘の面影などかけらもないエリカの顔ににたりとした笑みが浮かぶ。にゃろう、筋肉を締めるかなんかして刃を掴みやがったな!
 まさに肉を切らせて骨を断つ、魔物の強靭な生命力をもってして初めて成し得る戦法に、私はほんの僅かだけ感嘆するも盛大に舌打ちをした。即座に回避しなければならないが剣を離して武器を奪われるのも避けたい――
 実際に逡巡したのはほんの半秒足らずに過ぎなかったはずだが、魔物との戦闘においては一瞬のためらいが命取りになることもある。私が動きを止めた一瞬を魔物は大いに有効活用した。すなわち、口を大きく開けて喉の奥に先ほどと同様の朱色の光を……!
 ごうっ!!
 突風のような音と圧倒的な熱量が、真正面から私を飲み込んだ。
「いっ……ったあー……」
 肌を焦がす熱風に巻かれた上に吹き飛ばされて荒れ野の地面に何回かバウンドさせられた私は、苦痛に呻きながらも即座にポケットをまさぐって回復薬を手に取った。オレンジ色の液体が入った小瓶を取り出しその中身を呷ると、転げまわりたいほどの痛みが一瞬で消え去っていく。ふう。毎度毎度思うけど魔法の薬ってのは大したものである。
「コトハ大丈夫?」
「へーき」
 眉を寄せて心配そうに魔王が声をかけてくるが、最高級の薬を使った私のヒットポイントは既に全快である。心配には全く及ばない。こんな程度の傷は魔物との戦いにおいて日常茶飯事に過ぎないのだ。
 基本的に魔物との戦闘は、命の削り合いになる。人間の生命力は魔物と比較して通常格段に低いが、その代わり、人間には叡智が――魔法のアイテムがある。故に魔物と人間の戦いは、魔物の命が尽きるのが先か、人間のアイテムが尽きるのが先かの削り合い。そういう戦いになる。
 先の痛みでついつい滲んでしまった涙をぐいと拭って私は剣を構え、魔物に向き合う。
「行くぞッ!!」
 自分への景気付けも込めて大声で吼えて私は駆け出した。こんにゃろー、思いっきり叩き切ってやる。ぐっと剣の柄を握り締め、それを威圧するように高めに構えて私は突進する。
 その目の前に、腕を横に大きく広げて微笑を浮かべる魔王の姿が現れた。
「!?」
 魔物が変身でもしたのかと一瞬思ったが魔物は変わらず真正面、魔王の背中の向こうに聳えている、ってーことは本物ってうおお。
 前方にやや突き出す形で構えていた剣を咄嗟に後ろに仰け反らせる感じで避けたら腕を広げる魔王に腕を振り上げたまま腹から突っ込むという訳分からん形になった。
「……おまっ、あぶっ危ないだろう!?」
「剣の一本二本で突かれた所で俺はどうってこともないよ」
 広げた両手を引き寄せて、私を愛おしそうに抱き止めながら魔王はそんなことをのたまった。だー離せこの痴漢!
 持っていた剣が丁度振りかぶった格好だったのでその剣の腹を魔王の頭をめがけて勢いよく振り下ろすと、魔王は何か小声で一言二言呟いてからぎゅうっと目を閉じた。
 べちん!
「いて」
 魔王が軽い悲鳴を上げる。いて? って、ええまさかこいつ。
「お前……ほんとに防御力を下げる魔法をかけた?」
 確かに前に、私に殴られるときには防御力を下げる魔法をかけるとか言ってたが。
「うん。弱化魔法の256回分の多重掛けはさすがにちょっと痛いや。レベル100の勇者を甘く見すぎてました」
 爽やかな笑顔でそう言われても唖然とするしかない。何やってるんだこんな所で。律儀だがやっぱ底なしのアホだこいつ。
 約束が守れる機会が得られたのが嬉しかったんだろうか、頭を撫でつつもえらく上機嫌そうな魔王の向こうで、巨大な魔物が大きく息を吸うのが見えた。はっとして焦点を移す。さっきの炎の吐息だ。
 まずい、普通ならともかく防御力を下げる魔法をかけている今の魔王じゃこの攻撃は――
 しかし私が行動に移るよりも早く、視界が朱に包まれた。
「っ!!」
 せめて少しでも魔王を庇おうと、咄嗟に魔王の身体に腕を回す。炎を防ぐ魔法なんて使えない私がそうした所でなんという効果もないのだが。
 炎は飢えた獣のように貪欲に私と魔王に襲い掛かり、飲み込んだ。が。
 それは私に僅かな熱風を感じさせる事なくそのまま行き過ぎた。
「……へっ?」
 思わず私は間抜けな声を一声だけ出して絶句したが、魔王は至って涼しい顔のままである。
 ……ああ、まあ、そうですよね。さっきの一瞬で256回も防御力を下げる魔法を使う魔王様ですもん、よく考えたらまばたきする間にそれを解除して炎を受け流す魔法を使うくらいお手の物ですよね。
 起きた現象について理解し、魔王なんかを心配して損した気持ちに唇を尖らせていると、当の魔王は後ろの攻撃者など一顧だにもせず、なんというかとてつもなく感極まった瞳をして私を見つめてきた。
「コトハ……君は俺を護ろうとしてくれたんだね。有難う、嬉しいよ……凄く嬉しい」
 今度はどう勘違いした台詞を投げつけてくるものかと身構えていたのだが、奴の口から出てきたのは想定外な程に真っ直ぐな感謝だった。こらお前、そんな風に素直に有難がられたら反撃しにくいだろうが。
「俺の愛がようやく君に通じたんだね」
 前言撤回。
「いっぺんサクッと燃え尽きてしまえ馬鹿魔王。ってかようやくって魔王の城からまだ3日しか一緒に旅してないでしょうが」
「君に焦がれる想いが強すぎて一日千秋の思いなんだ」
 もう訳がわかりませんお願い誰かたすけて。
 頭を抱える私をよしよしと撫でて(誰のせいだと思ってるんだ)から、魔王はゆったりとした動作で魔物の方を振り向いた。魔物の爬虫類のような瞳に、動揺が揺らめいている。
「お前、いや、あなた、は……」
 漸く、目の前の男が何であるか、魔物も気づいたらしい。魔王は小首を傾げて魔物を見、柔らかな笑みを浮かべた。
「気付くのが少し遅かったね。俺を知らないこと自体は別にいいんだけど、君も魔物なら、他人の力量は魔法を使わなくても察することが出来るようにならなくちゃ。人間の世界には弱い人でも周りに守ってもらえるシステムがあるけど、魔物は自分の力だけで生き残らなくちゃいけないんだから」
 それは同類に向けての心からの忠告のようだった。このまま見逃すのだろうか。そう思ったが、魔王は憐れみの形だった視線をすうっと細めた。ひんやりとした冷気のような気配が魔王の全身を包む。けれど、声だけはあくまでも優しい。
「俺は、そんな人間のルールをとても好ましく思うけど、君も俺も魔物だ、ここは魔物のルールで行こうじゃないか。……よくもコトハに痛い目を見せてくれたね。同じ事をしてあげるよ。たっぷりと利子をつけて。皮膚が黒焦げになって肉が沸騰しても何度でも何度でも繰り返し君を焼いて、」
「魔王」
 優しく優しく告げる言葉は明らかに相手を嬲っているもので、私は仕方なしに声を挟んだ。魔物をかばってやる義理などないからどうしてもそうしたいと言うなら止めやしないが、いいぞもっとやれと煽るには、目の前の魔物の萎縮振りが哀れに思えたのだ。
 魔王は口の端でくすりと笑って私の要請を受け入れた。
「……っていうのは、優しいコトハのお望みではないみたいだ。良かったね。コトハに免じて一瞬で殺してあげるよ」
 宣告するが早いか――
 油の入った鍋に水をぶち込んだような激しい音が耳を焼いたが、しかしそれはその一瞬で消えた。静寂が戻る――目の前に聳えていた魔物の巨体と共に、一切の跡形もなく。
 ――圧倒的……
 何ということもなかったように魔王は私の方を振り返った。冷たく澄んだ双眸には何の感慨も浮かんでないように見えた。残酷さすら、現れていない。
「……俺が怖い?」
 からかうような微笑を交えてそんな事を聞いてくる魔王に、私は今の率直な気持ちを答えた。
「俺と付き合わないとこんなふうに殺すとか言い出したら超怖い」
 それを聞くと、魔王は微笑みすら引っ込めてきょとんとした。そしてくしゃっと美貌を歪めて腹の中の笑いを噛み締めるような笑い方をする。
「そっか。怖がられたくないのでそういう言動はしないように頑張るよ」
「頑張らず普通にそうできて欲しいものだけど」
 ふうと息を吐いて私は今だ手に持っていた剣を一応確認し、鞘へしまった。硬い魔物の皮膚を切り裂いた私の伝説の名剣は、特に目立つ刃こぼれなどもなさそうだ。しかし魔法のアイテムは勿体無い事をしたな……たった一本とはいえかなりの値段のするものなのにあの魔物め。報酬も反故になってしまったし、丸損じゃないか。
 とはいえ、とうに滅び去ってしまったこの村でいつまでも佇んでいても仕方がない。この村に眠る村人たちも、眠りを妨げる余所者にはさっさと帰ってもらいたく思っているだろう。
「ほら、帰るぞ魔王」
 何がそんなにツボに嵌ったのか、いまだにくつくつと笑いを噛み殺している魔王に半眼を向けてから、私は踵を返した。後ろから、同意の声がついてくる。
「そうだね、帰ろう。……ちょっと遅くなったけど、街に戻ったらお昼にしようか。あの雑貨屋さんの近くに凄い可愛い感じの喫茶店があって、気になってたんだよね」
「ほんとにそういうの好きだなお前……」
 呆れ声で呟きながら、飯でも食べつつ人前での魔王の呼び方について相談しておこうかとか、私は考えていた。

【FIN】


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