勇者様Lv100!- まおうのしろ


 ついにここまでやってきた。
 私は目の前の、雲間に雷光を走らせる暗雲を背景にシルエットとなって聳え立つ巨城を無言で見上げながら、心の中で喝采をあげていた。15の時に村を発ってからかれこれ2年。長かった。超長かった。うら若き乙女の短い青春という一時期において浪費するには2年という期間はもうアホのように長かった。しかしそれももうすぐ終わる。過ぎ去った時間は取り戻せないけれど、まだ大丈夫、まだ全然間に合う。最後の仕事をちゃっちゃと片付けて、これからは失われた青春をもう誰にも邪魔をされることなく存分にこれでもかというくらい謳歌してやるんだ。
 私は身を硬く包む全身鎧の腰から剣を抜き、すう、と空に掲げた。ここに雷が落ちてきたりしたら笑いものもいい所だが、使い込まれていながらも手入れには抜かりのない刀身はそんなお約束など誘うことなく雷光を鋭く照り返す。
「貴様の息の根を止める勇者がやってきたぞ! 首を洗って待っていろ、魔王!!」
 コトハ・フィーレンタルト、17歳。職業:勇者、レベル:100。
 私は城の最上層をキッと睨みつけ、内心の歓喜を声にして朗々とそう叫んだ。



 ことの始まりは前述したが2年前。私の平穏に満ちた日常は唐突にぶっ壊された。魔王によって? いいや、あの悪魔じじいの手によって。
「選ばれし勇者、フィール村のコトハよ。今すぐ旅立ち、魔王を討ち滅ぼすのじゃ」
 村はずれの小さな畑を丁度一通り耕し終えて鍬を置き、首からかけた手ぬぐいで額を拭きながらふーと息をついていた自分にそんな声をかけてきた老人を見て、普通の人間ならまず思うのは、
「この爺さんボケてるようだけど大丈夫か?」
 の一言だろう。実際私もそう思い、しかしそいつは見たことのない顔の余所者だったので、どこをどう徘徊してこんな山奥の村に迷い込んだんだろうと軽く困った所で、爺さんの後ろにやはり見たことのない顔のたくさんの人間が並んでいたことに気がついた。そこにいたのはごてごてと飾りの付いたぴかぴかの鎧を着込んだ兵士たちの一団で、およそこの辺で見かけるような姿ではなかった。よくよく見れば爺さんの方も、見たこともないほど上等そうな生地をたっぷりと使った服を着ている。ふもとの町にまで行けばそれなりに裕福な商人がいたりもするが、この爺さんや兵士たちの姿はそいつらよりもずっと立派な格好に見えた。
「……何? 何のお祭?」
 面食らって私が発作的にそんなわけのわからんツッコミをしたのも止む無しと言えるだろう。しかし混乱しながらもどうにか思考を続けていた私は、爺さんからの返答を受ける前にとあることに思い至っていた。ああ、もしかしたらこいつらは貴族かもしれない。だとするとこの質問はちょっと失礼だったかも。まーいいか。ていうかなんでボケたお貴族様がこんな所に来てるんだ?
 私が自ら発した問いとはやや内容の違う疑問の視線を当該の爺さんに向けていると、そいつはおもむろに口を開き、こんな事を言ってきた。
「わしは、王宮神官長である。近年、活動の勢いを増している魔物を討伐する為、国王陛下の命により勇者を探しておった。そして神託により定められた勇者こそが、コトハ、そなたであるのだ」
「……なあ、山は暗いから明るいうちに帰った方がいいぞ?」
 私の100%親切心から来る言葉に、老人は何故かぴくぴくっと頬を引きつらせた。
「念のために言うとくが、わしはボケてはおらんぞ」
「うん。そうだな。皆最初はまさか自分がそうなるなんて信じられないんだ。いや経験はないけど多分そうだと思う。身内の人が一緒にいるみたいだから心配はないと思うけど、早く家に帰って家族を安心させた方がいいと思うな私は」
「だから違うっちゅーに! えぇい!」
 なにやら業を煮やしたらしい老人は、だんだんとややオーバーに足を踏んで遺憾の意を表明すると、懐から巻物を取り出して紐を解き、私の鼻先にばばんと広げて見せた。複雑な金の縁取りで飾られた、それはそれは立派な巻物だ。
「これに見えるは王直々の命令書じゃ! そなたには今から城に来てもらう! そこで陛下から御話を賜れば考えも改まろう!」
 その爺さんの宣言に応じて、畦道に控えていたはずの兵士たちがずざざっと私の周りを取り囲んだ。爺さんの言葉の威光にではなく単純にガタイのいい鎧兵士に囲まれる威圧感に私はビビる。ビビらんはずがない。私は何の変哲もない普通の農民、家系に特別な秘密があるわけでもなく、生まれつき変わった力などを持ってたりするわけでもない、たかだか15の小娘なのだ。その私が……勇者ですと?
 ビビった上に呆気に取られていた私は、男どもに神輿よろしく担ぎあげられ畑の脇に停められていた豪勢な馬車に一瞬で押し込められて、拉致られた。服すらも着替える時間を与えられずに連れ去られるのは拉致以外の何とも表現し得ないと思う。尤も、家に帰った所で王様に謁見するに相応しい服なんて私が持っているわけがないのだが。
 これは何の冗談なんだ。高速で突っ走っていく馬車の、村長ん家の応接間のソファよりもずっと柔らかい座席の上で私はそうツッコミたい気分でいっぱいだったが、っていうか実際ツッコんだが、同時にここまで来ると流石に冗談事ではないらしいことも認めざるを得なかった。私には生憎とこんな大掛かりで金のかかった悪ふざけをかましてくる友達はいないし、こいつらが斬新な手法を編み出した誘拐犯だとした所で私の家は身代金が払える程に裕福でもない。そもそもが、王家の詐称は死罪に当たる。たかだか平凡な村娘一人を引っ掛ける為にそんなことをする奴などがこの世にいるはずがないのだ。
 ポカンとしているうちに馬車は本当にお城に着いた。そしてここまでの激流のようなペースのままに、王様の前に引き出される運びとなった。畑から直行してきた私は、肥料を撒く時期ではなかったからまだマシなものの、それでもそこそこかぐわしい香りを放っていると思われるのだがそれで神聖不可侵なはずの王様の前にお通しして宜しいのかお前ら。まあ別に私が気にすることじゃないけれど。
 見上げるような王城の馬鹿でかい門を抜け、私の家がスッポリ入るんじゃなかろうかというくらい広い廊下を延々と歩いたその奥にある、煌びやかな城の中でもより一層煌びやかでだだっ広かった一室の、更に一番奥のでかい椅子に腰掛けていた奴がどうやら王様らしかった。さて誘拐犯の頭領はどんなツラをしてやがるんだと見上げた顔は、思ったよりも温和そうな普通のおっさんだった。
「よくぞ来た、選ばれし勇者、フィール村のコトハよ」
 村で聞いてきたのと同じことを言いやがる王様に、膝をつき恭しく頭を下げていたじじいは、突っ立ったままでぽかんと王様を見上げていた私に気付いて、慌てて立ち上がって頭をぐいぐいと押した。いてーな。
 と、そんな様子を見た王様はゆったりと片手を挙げてそれを制した。
「よい。急に呼びつけたのはこちらであるからな。寧ろこちらが足を運んでくれたことに礼を言わねばならぬ立場であろう」
 鷹揚にそう言って、「感謝する」と頭を下げてきた。……おや。
 お貴族様なんてこのじじいみたいな、平民なんぞ命令のままに動かすのが当然で、下げる頭なんぞ持ち合わせていないような奴らばかりだと思っていたがそのトップたる王様は意外にもちゃんと道理というものが分かっているらしい。こちらとしては若干振り上げた拳を振り下ろす先を奪われた形になるが、筋を通す相手に対してはこちらも筋を通すのが最低限の義理だろう。話くらいは聞いてやることにする。
「神官長から話は聞いたかと思うが、コトハ。そなたは当代の勇者として神に定められた。よってこれより、国土を蹂躙する悪しき魔王を倒す旅に出てもらいたい」
 ……結局聞いてやるといってもあちらからの話はここまでと同じようだが。
 どうも神託が下されたイコール奴らにとっては決定事項であるようで、その妥当性に関しては疑問を呈しても無駄なようである。神官の爺さんの空耳だかくじ引きだかなんだか分からんが、こいつらにも分からない神がかった何か、即ち偶然の産物で選出されたってことなんだろう。当代の……と、このおっさん、もとい王様は今言った。ということは、これまでも何人かはこうやって訳のわからないままに勇者認定されて魔物退治に送り込まれている被害者がいるということだ。単なる農民の私が勇者だという神託を得てもそのままそっくり受け入れられているということは、かつての被が……勇者の中にも農民はいたのかもしれない。……全くもって迷惑な話だ、農繁期だったらどうしてくれるんだ。お城には兵士だっているんだろうにそいつらにやらせろよ。
 ということに思い至って、私は口を開いた。
「魔物退治なんて、お城の兵士が行けばいいじゃないですか。勇者だかなんだか知りませんけど、私みたいな素人をわざわざ呼び出してこなくても、よっぽどお城の兵士の方が役立つでしょう。ていうかその為にうちらの納めた年貢を使って雇ってるんだし」
 至極当然な私の問いに、王様はゆっくりと頷いた。
「魔物退治であれば、そなたの言う通り、我が兵を遣わして倒せばよいであろう。しかし、相手は魔物ではなく『魔王』なのだ。北の最果てに棲み、世界中のすべての魔物を操る、人知を超えた魔物の王。王国中の兵を全て投入しても敵うことのない強大なる相手なのだ。これを倒しうるのは神に定められし『勇者』のみである、というのが、我が王国に古くから伝わる言い伝えである」
 …………。
「……それが私だと?」
「その通り」
「一言言っていいですか」
「うむ」
「無茶振りも大概にせいよ?」
「こっ、こら!」
 焦った爺さんに後頭部を何か硬いものでがこんと叩かれて私は思わず頭を抑えて蹲った。こ、このぢぢい、遠慮というものを知らんのか。しかし私はこの通り老人の一撃で涙を滲ますか弱い乙女だというのに、魔王を倒して来いとか無茶振りと言わずして何というのか。嗜虐趣味か。
 爺さんは血相を変えたが私の言わんとしている事は王様には通じたようで、王様はうむ、と頷いて髭をしごいた。
「確かに、国一番の屈強な兵士が勇者と定められることが、これまでは多かったようなのだが」
 え、やっぱ農民勇者は例外なんじゃねーか! やり直し! やり直しを要求する!
「しかし、神託は絶対なのだ。我が国の政において重要な決断は、全て神託に委ねているが、この国が長く平和に保たれていることからも分かる通り、神託は一度も誤った判断を下したことがない。一見理に敵わぬことであろうと最終的にはそれが最も良い結果を齎すのだ」
 ちっ。やっぱりそれか。……ってか政治を占い任せにしてるとか初めて聞いたぞ。大丈夫なのかこの国。
 やはり神託にケチをつけるのは無理そうだ。私はない頭をひねりにひねって、どうにかしてこの窮地を脱する方法を考えて、一個思いついた。
「うちの家族はどうなるんです。両親はまだ働ける歳ですけど、うちには祖父も祖母も幼い弟や妹もいます。突然働き手を失ったら両親が物凄く困ることになるんですけど」
 うむ、これは中々切羽詰った問題だ。私は長女で、年長の男兄弟もなく、女だてらに家の重要な稼ぎ手であるのは本当だ。国の大事の前でそんな小事などを、とか抜かしやがったらそれはそれで撥ね付ける材料にしてやる。……しかし王様は残念なことに冷血人間ではなかった。
「ふむ……農民は大変であるのだな」
「貧乏で悪かったですね」
 貧乏とは言ってないが気分がささくれ立っている私は逐一とげとげしく取ってしまう。
「そなたの家族の生活は全面的に保護することを約束しよう。一日たりとも飢える事なく、冬も常に暖かく過ごせる生活を保障する。希望するならば、王都に館も与えられるようにするが、それでどうか」
 うげっ。
「いや、そこまではいいですけれど」
 父さん母さんはともかく、爺ちゃん婆ちゃんは代々暮らす土地を離れるのは嫌がるだろう。ていうか、あーくそ、これじゃ逆に諸手を挙げて私を送り出すぞあの家族。
 目論見が全く外れたではないか。選出方法にも待遇にもケチをつけられんとは。一体どうしろというのだ……。
 ……。
 ……。
 ……思いつかない。
 という訳で私はその日から、勇者になった。

 平民である私には苗字もなかったが、それでは箔が付かないとわざわざ苗字を与えられた。フィーレンタルトという苗字のフィーレンはフィール村出身だからだろうが、タルトはもしやあれか、あのあと部屋に下がってから出された茶菓子のタルトが絶品に旨かったのでおかわりまでして食いまくったことへの皮肉だろうか。まあなんでもいいけれど。
 苗字だけでなくご立派な武器や防具や我が家の一年間の稼ぎに相当する程の額の支度金も与えられ、私は野に放たれた。このままトンズラこいてしまおうかともちょっと思ったが、それは見透かされていたのか単に名目通り純粋な親切心か、案内役という兵士を一人つけられた。
「僭越ながら私めが、勇者様を先の村までご案内させて頂きます」
 興奮に頬を上気させた若い兵士は、どう見ても垢抜けない小娘な私を最上級の貴人のように丁重に扱った。――どうも神託というのは本当に絶対であって、疑念を挟んでいるのは私だけのようである。兵士をつける、とこの若い男を紹介されたときには無神経すぎやしないかとぎょっとしたが、この分なら若い男と女の二人旅でも間違いは起きそうになくて助かった。
 初めての戦闘は街を抜け畑を抜けて人気のない草原に出てすぐに遭遇した。閑散とした緑の絨毯の中に一本敷かれる裏寂れた街道を歩いていると、道の真ん中に唐突にぴょこりと饅頭のような奇妙な物体が転がり出てきたのでこれは何ぞとしげしげ眺めていると、兵士が「勇者様、それ魔物です」と言った。魔物の中では低級であるが、こんななりで一丁前に旅人を襲ってきたりもするらしい。
 兵士は私の戦いぶりを傍観するつもりのようである。おいおい勇者様をそんな扱いか? いや勇者様だからか。しかしご期待の所悪いが勇者認定されたとはいえ私は剣を握ったことなんて今までまるっきりなかったただの小娘なのである。村の男は一応村の周囲に巣食う野犬や魔物と戦う方法を身につけるが、女は基本的にそんなことはしないものだ。
 唯一の救いは、武器とは違うのだろうが農具の刃物ならばある程度扱い方は心得ているということだけだった。私は斧で木を切り倒すときの要領で、腕というよりは身体で武器を振るう感じで剣を小さい魔物に振り下ろしてみた。と。
 ざしゅう!!
 私の一撃を食らった魔物は悲鳴も上げずに真っ二つに断たれ、血も流さずに灰になって消えた。
 うへぇ、魔物って死ぬとこうなるんだ。肉として食えもしないなんて、勿体無い生き物。
「剣を持ったこともないと聞いていましたが、いやはや、見事な太刀筋でした。これが勇者の天性というものなのでしょうね」
 兵士は手放しで褒め称えたが単に農作業の成果なような気がします。

 それから私がどうしたかと言うと、とりあえずレベルを上げることに専念した。日夜問わず魔物を殺戮しまくって鍛錬に鍛錬を重ねた。日課のように殺される魔物たちは一応は生き物であるのだから可哀想だとは思ったが、レベルを上げずに魔物に挑み嬲り殺される自分の方が私にとってはもっと可哀想だったので仕方がないことと割り切った。魔物に魂というものがあるのかどうかは知らないが、恨むのであれば全ての元凶である、私を村から連れ出して勇者なんてものに仕立て上げたあの王様と神官を恨んでもらいたい。
 ともあれ死にたくない一心だった私は、魔王の城への旅路を亀の歩みの如き速度で進めつつ、しつこくしつこくレベル上げに励み、ついにレベル100という極限に到達した。王国一の腕前と評判らしい近衛隊長だってレベルは30だったし、最初に一緒に行動していた兵士なんてレベル10だ(ちなみに彼はそのうちついて来れなくなったので途中で置いてきた)。このレベル100という数値はどれだけ私が必死だったかを物語るには十分だろう。
 そうして私は今、ここに立っている。

 私は一度だけぶるっと身体を震わせた。武者震いという奴だ。私が鎧の上に纏うローガスという猛獣の毛皮で出来た外套は超高級な逸品で、私を暖炉の前で毛布に包まっているように暖めてくれるし、周囲の獰猛な魔物たちも私にとっては恐れるに足りない。魔王の城に近づくにつれ、魔王の力が強くなるのかレベルの高い魔物と出会うことが多くなってきたが、それでもこの魔王城のすぐ近くに徘徊する魔物とてそのレベルは70がせいぜいのようで、今の私にとっては雑魚と言える相手だった。
 ただ心配なこともあった。
 魔物は恐れるに足りないが――魔王は。もしかしたら私と同じ、レベル100かもしれない。
 ここまで旅をしてきて私はレベル100の他の人間に出会った事など一度もなかったが、相手は世界で最強の存在である。少なくとも配下たる魔物たちよりは数段上の実力を備えているに違いない。
 それは少し怖かった。私はこれまで少しでも強い魔物に出会うと速攻で逃げて前の村まで戻り、その村の付近でしばらく魔物の殺戮を行ってレベルを十分に上げてから先へ進むことを繰り返してきたから、自分と同等、或いはそれ以上のレベルの魔物と戦ったことというのは実は数えるほどしかない。臆病と言うなかれ、私にとって何よりも大事な自分の生命を護る為にはやむをえないことである。
 自分より高レベルの魔物と戦うというのも、やりようによっては、つまるところ高価なアイテムを惜しげもなく使い尽くせば、10や20のレベル差なら埋めることはどうにか可能だが、数回しかないその経験は大変におぞましいもので、その記憶は否応なしに私を震え上がらせた。最高級の回復薬を使えば次の瞬間には受けた傷の痛みは消えうせるものの怪我をしたその瞬間は超絶に痛いわけだし、それより何より――命あってのものだねとはいえ目玉が飛び出るくらいの金額である魔法の薬を湯水の如く使い続けなければならなかったのだから!
 何せ、高額の薬になると一つで田舎でなら家族が一年余裕で暮らせるほどの金額なのだ。これは本来ならばひと舐めするのも躊躇する。魔物を倒すと冒険者ギルドから報酬が支払われるが、その額は魔物の種類とレベルによって定められていて、レベルの高い魔物であればあるほど当然ながらその額も高い。レベル100の私になればそんな魔法の薬など一日で100本買えるほどの報酬を手に入れることも可能だが、そこはそれ、生まれてから十数年かけて身についた金銭感覚はそうそう狂わない。世の中には金を得れば容易に狂ってしまう人もいるようだが、私は幸か不幸か狂わなかった。
 ともあれ……勿論いざとなれば金よりも命の方が大切だからそのような魔法の薬はたんまりと持ってきてはいるのだが、これを何百と使わなければならないことを考えると私は気が滅入るのだった。これらは使わずに済むなら老後の貯蓄に回る予定の大事な財産なのだ。
 ――しかし、どのような困難が予想されようとも、私はここで足を止めるわけには行かない。
 私は心の中に巣食う恐怖を頭を振るって払い落とし、決然と魔王の城へ向けて足を進め始めた。
 ――魔王を倒し……青春を謳歌する、その前にまず、私をこんなメに合わせる原因となった、あのクソ神官ぢぢいを大手を振ってぶん殴りに行く為に。

 城の中の魔物は、想像以上に強かった。レベルは90前後。魔物ながらに回復魔法を操る奴や、一撃のクリーンヒットで私のヒットポイントを2割も削ってしまう怪獣と言っても差し支えないくらいの魔物が怒涛の如く押し寄せてくる。ちびちびと回復薬を使いながらそしてその支出額に涙しながら猛攻をかいくぐり、やっとのことで城の最上階に辿りついた。
 ……くそぅ。思ったより浪費した。目の前にあるのはいかにもという感じの大扉のみで、その前のこの場所は静かだった。さしもの魔物たちも、王の御前で大騒ぎすることは許されないということなのだろうか。事情はよく分からんが直前に準備の時間が取れるのは有難いことである。このひと時の休息を利用して、ひぃふぅみぃとかばんの中のアイテムをチェックする。ヒットポイント回復アイテム、よし。マジックポイント回復アイテム、よし。緊急離脱アイテム、……これはこういうボスの前で使えるとは思えないけれども、よし。攻撃アイテムの数々も、オーケー。魔法をかけられて容積を見た目よりも広げられたかばんがいっぱいになるほどに詰めてきたアイテムたちは、最後に訪れた村からここに至るまでその総量を1割も減らしていない。思ったよりは消費したが、予定内の誤差と言える範囲だ。
 ――十分だ。
 私はゆっくりと、目の前の大扉に手をかけた。ぐっと力を入れて押すと、それは見た目よりはずっと軽く、まるで侵入者を自ら迎え入れるように左右に開いていった。
 剣を片手に構えて、私は一気に室内に駆け込んでいった。
 部屋の内部は暗い。自らの足音の反響で、かなり広い部屋だということは窺えるがそれ以上は分からない。しかし、魔王がいるとすれば真正面にある玉座だろうと、私は大きく息を吸って声を張り上げた。
「勇者が来たぞ、魔王! 尋常に勝負しろっ!」

 私の挑戦の声は高らかに広い室内に響き渡り――

 ……。
 …………。

 返答は、沈黙のみだった。

「……えーとぉ?」
 いくら待っても闇は微動だにする気配なく、私は大見得を切った格好のまま一人ぽつんと佇むことを余儀なくされていた。
 なんなんだ。どうしろと言うのだこの間を。ふははははーとか出てきてくれないのか魔王。せめて玉座を護る魔物とかいないのか。やめて無視はヤメテ威勢のいい大声張り上げた私が恥ずかしい! っていうか何、魔王の部屋と間違えて倉庫に駆け込んで勝負しろとか言っちゃったわけじゃないよね私!? うわーんなにそれどういうこと! 私にだって人並みの羞恥心はあるのにー! 誰か助けてー!
 ――という内心の悲鳴に答えて、なのだろうか。
「悪いっ! 寝坊した!」
 声は、漸く訪れた。

「待たせて悪かったね。明かりくらいつけて待っててくれていいのに……」
 そんな言葉とともに、部屋の奥から順繰りにパチパチ明かりが灯されていった。どうやら、魔法の照明器具のスイッチが入り口付近にあったらしい。重厚な石の壁に四方を囲まれる広大な部屋の最奥には想像していたとおりに仰々しい玉座。階段の上にあるそこからは長い絨毯が真っ直ぐに伸び、私の入る所を通過して恐らくは今私が背にしている入り口まで敷かれているのだろう。
 ゆっくりと、私は背後を振り返った。
 大扉のすぐ脇に、人影があった。男……青年だ。背はまあまあ高いが、並の人間の身長の何倍もある大扉と比較すると豆粒のようだ。黒髪に柔らかそうな三角の帽子をかぶり、身体も帽子と同色のゆったりとした衣服に包んでいる。同色の――水色地に、猫さん柄の、パジャマに。
「……えーと?」
 口先には割と自信がある方の私をしてその光景には流石に発するべき言葉を見失い、どうにか苦労してそれだけ問うと、男は慌てたように持っていた物で身体を隠した。えっと、枕ですかそれ。
「あれ、君もしかして女の子? うわ、まさか勇者が女の子とは思わなかった。こんな格好でごめんね」
 私は頭まで覆う全身鎧を着ているが声で分かったのだろう。照れ隠しっぽい笑顔を浮かべて口早に言う男を上から下まで眺める。ちょっと距離があったのでてくてくと近づきつつ見ると、男は怯えたように後退った。
「えっ。あっ。あのすみません、怒ってる?」
 じろじろと眉を寄せて舐めるように睥睨する私に恐々と、男が尋ねてくる。しかし私は答えずに前進を続け、十歩ほどの距離まで近づいた所で、足を止めた。男の方は部屋を出た先の廊下の壁まで下がりきっている。整った顔立ちに浮かぶ愛想笑いが痛ましい。
 私はとても残念な問いかけをしなければならなかった。
「…………魔王?」
「あ、はい。遺憾ながら」
 ……遺憾だって自覚してらっしゃいますかそうですか。
 がっくりと崩れ落ちそうになって……しかし鎧のまま不用意にしゃがむと立ち上がるのに太ももの筋力を無駄に使うので、どうにか私は肩を落とすだけで耐えた。
「……説明は後で聞くとして」
「ええと、昨晩読んでた本が途中で止まらなくて夜更かししましたハイ」
「うん。寝坊の説明有難う。でも私が頭を悩ませているのはそれじゃなくてですね。貴様の存在そのものについての疑問的な部分なんですがね。まあそれは後回しにしようと思います」
「は、はぁ……ええとあの軽く俺の個性を直視するのを諦めました今?」
「思ったよりは洞察力あるなお前。うん、そういうことでまずはさっさと玉座に着きやがりなさい」
 ぴっ、と剣先で玉座を指し示すと、男――魔王であるらしきそれはしょぼんと項垂れて言われるままに部屋の中に入ってきた。
 スリッパをぺたぺた鳴らしながら絨毯を真っ直ぐ歩いてくる男に、私は腕組みしたまま道を譲ってやった。絨毯から何歩か離れ、しょぼくれた顔が目の前を横切っていくのを眺めていると、丁度真ん前で男の顔がちらりとこちらを振り向いた。
 魔王、という言葉に見合う剛毅さはないが、綺麗に整った美貌は確かに人間離れしていると言えなくもない。そう認識して、私の心に失われつつあった警戒心が瞬時に湧きあがる。そうだ。こいつは魔王だ。こんななりとはいえ、2年に渡り生死をかけた攻防を続けてきた魔物たちに勝る力を持つ王なのだ。いくらそうは見えなくとも、こんな魔物がうようよとする場所にこんなにも無防備な格好で現れるくらいだから、偽者ではあるまい。それがこんな、腕を伸ばせば届くほどの間近に。思わず飛びのきそうになったが、しかしそれはあまりにも癪で、踏みとどまる。
 幸いにして、目と口元が僅かにしか開いていない兜を被る私の表情は読み取れないはずであった。……筈なのだが、魔王は突如、驚いたように目を丸くして、90度進行方向を変えてきた。
 おおお……おいおいおい!?
 唐突な挙動にぎょっとする私を余所に、魔王の手がそっと伸び、私の頭……兜に触れる。たったそれだけで、鋼よりも硬い龍の鱗でできた兜はぱしんと真っ二つに裂けた。
 私の背を戦慄が這い上がる。魔王――魔王だ、紛れもなくこいつは魔王だ。長い戦いで培った私の経験が警鐘を鳴らす。あまりの残念加減についつい油断した自分が馬鹿だった!
 驚きに見開かれていた魔王の目が、私の顔を直に見て、すうっと細められた。
 殺される――。
 初めて、私はそう思った。レベル100の勇者である私が、恐怖で身体を動かせない。
「やっぱり」
 魔王はそっと、しかし強く呟いた。枕を小脇に抱えた魔王の手が、私の手をがしっと捕まえる。
「やっぱり……可愛い! 今、一瞬兜の奥で目が合ったでしょ、びびっと来たんだ! 絶対この子可愛いって! ほらあれ、運命って奴? それを感じたんだよ!」
 細めた目は満面の笑みに形作られていた。そんな顔を勢い込むように近づけてくる魔王に――私の身体が動いた。咄嗟に。
「き……きゃあああああああっ!?」
 魔王のパジャマの腹に、私の重たい手甲に包まれた正拳が突きささった。

「……おぅ。ないすパンチ」
 魔王は、軽くくの字に引っ込めたおなかを枕で押さえながらそう呻いた。もう片一方の手は私の手を握ったままである。私の、大熊をも一撃で沈めることが可能な正拳突きを食らって。
「今のは俺が悪かった。でも君があまりにも可愛かったもんでつい」
 魔王は私の手を離して悪気はなかったのだと示すようにひらひらと振って見せてから、もう一度私の顔をじっと見た。
 か、わいい? ですと?
 生まれてこの方17年、このコトハ・フィーレンタルト、自慢じゃないが今迄一度たりともそんなことを言われたことはない。いやほんとに自慢になんない話だが。
 ここ2年はどこへ行っても勇者様勇者様で馴れ馴れしくそんなことを言ってくる奴などいなかったから、というのもあるのだが、村にいた時だって全くそんなことを言われたためしはなかった。近所の幼馴染が農繁期でさえ三日と空けず、やーいブースブース男女ーとからかいにやって来ていたくらいだ。……別にそこまで言われるほどのブスではないと思うのだが、まあ、褒め称えられる容姿ではないということだろう。
 それを? その私を? 可愛いと? よりにもよってこの超美形の男が?
 ……ふっ。
 私は全てを悟り、手に持っていた抜き身の剣をすっと上げて魔王の喉元に突きつけた。魔王が目を丸くする。
「オーケーオーケー安心しろ。売られた喧嘩はキッチリ買う主義だぞ私」
「な、何で!?」
 魔王は両手を肩の高さで上げながら泡を食ったように叫んだ。よもやこのような反応を返されるとは思っていなかった、という表情だ。
「馬鹿にしているとしか思えないからに決まってるでしょうが。……成程、寝坊したという想定外極まりない言動でこちらの戦意を殺ぎ、愛くるしい猫ちゃんパジャマで悩殺を試み、加えて褒め殺しとは。さすが魔王というべき恐るべき策略、その人知を超えた智謀には恐れ入ったわ!」
「寝坊を策略言われた……恥ずかしい……」
 顔を手で覆ってさめざめと呟くが、もう騙されんぞ。
「しかし策士策に溺れるとはまさにこのこと。おだても度が過ぎるとただの嫌味だっつーことをその身に刻み込んでやるわッ!!」
 だんっ! と私は床を蹴り、魔王と一旦距離を置いた。突きつけた剣はもう一押しすれば魔王の見た目は細い喉首を掻っ切れそうではあったがそうはせず、自分の最も得意とする剣の間合いを取る。
「さあ、剣を取れ魔王。構える時間くらいは待ってやる。私は勇者だ、お前のように姑息な真似はしないぞ」
「えー。もうなんでそんな捻くれて受け取るかなあ……? あ、もしかして照れてる?」
「照れてないっ!!」
 どこまでもすっとぼけたことを言う魔王に、私は顔を赤くして叫び返した。純粋に興奮によるものなのだが、魔王は何故かぱあっと顔つきを明るくした。おいちょっと待て! 照れてるって勝手に勘違いしたなお前!?
「もう。どこまでも可愛いなあ、君」
「ちーがーうーッ!!」
 私は剣を大きく振りかぶって、突進を開始した。重い鎧を着ていたとしても、極限まで鍛え抜かれた私の筋力は暴れ馬に匹敵する程のスピードを私に与える。瞬時に魔王に肉薄し、その肩口から斜めに切り下ろす。
「うわっと」
 軽い悲鳴を上げて、魔王が身体を仰け反らせた。猫さんパジャマの胸元がすっぱりと裂かれて肌が露出する。
「積極的な子だなあ。素肌でのお付き合いになるのはまだ先だと思ってたのに」
「な、ん、の、は、な、し、だっ!」
 その一声に一閃ずつ剣戟を振るった7連撃だが、魔王は今度は服を掠らせもせず、身軽にひょいひょいとかわしてみせた。くうう……なんてすばしっこい。世界で一番すばしっこい魔物とされるリファーナねずみですら、余裕で仕留められる私なのに!
 かっとなる私に対して、魔王はふと悪戯っぽい顔をしたかと思うと、右手に枕を抱えたまま左手を伸ばし、ちょんと私の肩当てに触れた。
「お返し♪」
「!?」
 突如、ぱりぃん!と、私の全身が高い澄んだ音を立てた。続いて、がらん、ごとんと何か重いものが落ちる音。恐る恐る自分の身体を見下ろすと……兜と同じ龍の鱗製の全身鎧が、兜と同じバラバラ事件の運命を辿っていた。
「あっ、ああああああ! 私の老後の貯蓄をまたもや!」
「えっ。それはごめんなさい」
 私の魂の悲鳴に、魔王は素直に詫びてきた。い、いや、そうじゃなくてだな私。魔王の言葉に我に返る。老後というかそれ以前に、うら若き17歳の生命すらも、危うい状況だよね今?
 鎧の下に着る心もとないチュニックだけの格好になった私はしかし、剣を構え続けた。私は自分自身でも驚きだが、強敵を前にして全く引く姿勢を見せなかった。勇者としての矜持、なんてご立派な物を持ち合わせていたつもりは更々なかったのだが……
 そんな私の姿を、魔王は顎に手を当てて妙に満足そうに眺めていた。
「女の子って言うとか弱いだけかと思ってたけど、勇ましい女の子も素敵だねえ。鍛えられててスタイルもいいし」
 何に満足してるんだ何に! 尽きない闘志とかその辺りを見んか!
 睨み付けてやると、魔王は不意ににっこりと笑った。何だと思った瞬間に、その姿が、枕を残して掻き消える。
「なっ……?」
 ぽて、と枕が床に落ちるのと、私の後ろに現れた魔王が背中から抱きしめてくるのは、同時だった。
 鎧を失ってすうすうする肩に暖かい腕が絡み、首筋に熱を持った何か……頬?が寄せられる。
「なっ……なっ、わっ……わー!?」
 私を叫ばせたのは恥ずかしいことに、魔物の王に対する恐怖、などではなくて単純に、男性に抱きしめられるなんていう今迄ついぞ体験したことのなかった経験に対しての驚愕だった。それだけ、その感触は暖かくて、優しかったのだ。
「ちょっとごめんね。あ、別に血を吸ったりはしないから安心して」
 魔王が耳元で囁く。魔物の中にはそういう種族もいるが、そういうことに関する警戒すらも頭から飛び出ていた。
 私は頭を真っ白にしたまま硬直していた。幸いにして、魔王はそれ以上何をするわけでもなかったが、そのまま頭からぼりぼり食われたとしても私にはなすすべもなかっただろう。
「ふむ……はあ、成程。早く魔王を倒して神官じじいを殴りに帰ろうそうしよう? うわぁ、色々大変だったんだねえ……」
 だから、私が長いこと心に温めてきたその願い事を何故か魔王が呟いても、私は金魚のように口をぱくぱくとすることしか出来なかった。
 魔王はしばらくそうしてから私の肩を離すと唐突に、くりん、と私の身体を半回転させて自分の方を向かせ、真っ直ぐに目を覗き込んでしみじみ呟いた。
「君の今までの苦労はよく分かった、コトハ。よし、じゃあ早速お望み通りその元凶くそじじいを力いっぱい殴りに行こうか、二人で」
 …………、
「……は?」
「ああ、大丈夫。ここから君の国はかなり遠いけど、来たとき程に苦労はせずに帰れるから。君も強いし、俺もいるしね」
 魔王は私の肩をてしてしと叩くが、私の頭はそんな程度の刺激では元に戻りそうになかった。
「うーん、腕がなるなあ。人様を力いっぱい殴るなんて何年振りだろう」
 続けて、漸く肩から離した手をぽきぽき鳴らして鼻歌交じりっぽく言い放たれたその言葉に、持ち前のツッコミ気質がなせる技か、今度はどうにか意識を引き戻せた。
「や。あの。あんたとか私とかが力いっぱい殴ったらじじい超余裕で死ぬから。っていうか何言ってんのあんた!?」
「え、何って。惚れた女の望みを叶えてあげようとするこの一途な男心が何か?」
「はいぃ!?」
 綺麗な顔に真顔で言われて私は脳天から抜けるような声で叫んだ。訳わからなすぎて鼻水が出そうだよ馬鹿!
「なにっ、何を言ってるの、あ、あんた魔王でしょ!? 勇者と戦わないでどうするの!? そのプランどう考えてもおかしいでしょ!?」
「いや別に魔王は勇者と戦わなくちゃいけない法律があるわけでもないんだし」
「法律はないけど! あのね、物事には様式美とかお約束とかいう物があってですね!?」
「えー。そんな古臭いしきたりにとらわれてるから、日本産RPGはステレオタイプだって海外メディアに揶揄されちゃうんだよ」
「何の話!?」
「いやこっちの話。まあでもお約束からはそんなには逸脱してないから大丈夫だよ。地道にカノジョのお願いを聞いて好感度を上げることがグッドエンドへの普通の道筋じゃないか」
「だから何の話なのそれ!?」
 かくして――
 私はまた拉致られた。

 てくてくと、私は荒れ果てた街道を――魔王の城に来るのに使った道を、逆に辿っていた。往路と違って、同行者を一人連れて。
「2年もかけてここまで来たのに……」
 めそめそ呟く私の背中から、気楽に腕を頭の後ろで組んだ美形の青年が宥めてくる。……ちなみにパジャマはどんな魔法を使ったのだか一瞬のうちに着替えていて、街中を歩く普段着のようなラフな格好になっている。
「まーまー。俺を倒すなんて何年かけたって無理なんだし、その手間が省けていいと思ってよ」
「無理って」
 当然のことのようにそう断言されたことは私のレベル100としてのプライドをいささか傷つけた。勿論、この魔王がこう見えて物凄く……この私でさえもどうにもならないくらいに強そうだ、というのは既に分かっていたけれども。
 魔王に恨みがましい視線をやるついでに殆ど無意識に、相手のレベルを調べる魔法を使ってみて……私は硬直した。
 目の前に浮かんだ、私にしか見えない半透明の紙のような何か――魔法の言葉で「ウィンドウ」と呼ばれるそれに、いくらかの文字が羅列されている。名前:魔王。職業:魔王。レベル:……
「レベル32767ぁ!?」
「ああ、その魔法を知ってるんだ? なら話が早いね。ま、そういうこと」
「なにこれ!? レベルは100が最高値じゃないの!? 私、街の神官に『そなたはもう十分に強い』って言われたんだけど!?」
「本来は、人間も魔物も100が上限みたいなんだけどね。でも何だか俺だけはどうもそうじゃなかったっぽくて」
「っぽくてって何他人事なのよ!?」
「生まれつきそういう体質だったんだから仕方ないでしょ」
「体質なのこれ!?」
 例えば私が道端で眠こけていたとして、レベル1の魔物が襲い掛かってきたとしても、絶対に私はやられたりしないどころか多分目すら覚まさない、というくらい、レベルという数字が示す差は絶対的なものだ。それが……私とこいつとでは、1と100の差よりもずっと大きな果てしない格差があるってことですか!?
 棒立ちになったまま愕然とする私をそのまま歩く魔王は数歩追い越してから、くるりと振り向いて、苦笑した。
「怯えないでよ。君だって、普通の人から見れば何をやっても倒せない雲の上の存在でしょ。その立場とそんなに大差ないと思うんだけどなあ」
 微笑みの声の中に混じった、ほんの微かな寂しさのようなものを嗅ぎ付けることが出来たのは、偶然か必然かで言ったら後者だったのだと思う。私も、勇者勇者と崇められるその声の裏には常に惧れがあったし、仲間も連れず、一人で魔王の城にやってきたのは……私と肩を並べられる人なんて、世界中探してもどこにもいなかったからだ。それで孤独、なんてものを感じる程に、繊細な作りはしてないけれども。
 ――しかし。
 私はふんと鼻を鳴らした。愕然としたのはそういうわけではないのだ。再度魔王をずんずんと追い越してやりながら、呟く。
「別に、怯えてなんてない。ただ、」
「ただ?」
 首を傾げる調子で聞いてくる魔王に向けてというよりだだっ広い荒野に向けて、私は叫び散らした。
「私がグーで殴ってもそんなに痛くないとかきったねーと思っただけ!」
 次の反応までは、数秒の間があった。
 ……ぷっ。
 そんな吹き出す音に始まり、あはははは、と盛大な笑い声が続く。
「わ、分かった。じゃあ君に殴られそうなときは防御力を下げる魔法を多重でかけとくことにするね」
「いや全然やる意味わかんないしそれ!」
「君の与えてくれるものを受け取れないなんて、例えそれが痛みだとしても寂しいものだよね、うん、君の気持ちはよく分かったよ、俺の愛しいコトハ」
「うわっ。その変換は気色悪いわ!」
「気色悪いって……傷つくなぁ……」
 しょんぼりする魔王をちらりと見て、思わずくすりと笑う。
 こんな変わった同行者がしばらくいてもいいかあと思ってしまった私は、博愛の精神溢れる世界最強の勇者様だからだ。別に、こいつ個人がどうのこうの、という訳ではない。断じて。

【FIN】


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