Sleepless Sleeper


 少し遅めの朝食を終えた宿の食堂で、ソフィアは食後のぬるいお茶を啜りながら窓の外に視線を向けていた。外からテーブルに注ぐ日差しの角度はもう高く、彼女の瞼を斜め上から照らして頬に睫の影を作る。辺鄙な山村の、こんな場所で常々どうやって日銭を稼いでいるのかかなり謎な寂れた宿の寂れた食卓から見える景色は青い空と輝く太陽の他にはただひたすら緑、緑、緑が連なるのみで、雄大な大自然に包まれた風景といえば聞こえがいいが田舎育ちのソフィアにしてみればそれは何ら興味を引かれる謳い文句ではなく、容赦なく重くなりかけてくる瞼をぱちぱちしばたいてどうにか意識を覚醒させるのに努力しなければならなかった。
 ぼんやりと、両手でカップを持ったままテーブルに肘をつき、彼女は一人、眠気を誘う日差しと格闘していた。ウィルには、今朝はまだ会っていない。多分まだ寝ているのだろう。もう少し賑やかな街であれば一人で時間を潰していれば、誰かしら――大抵は見知らぬ男性に――声をかけられることも多いソフィアだったが、多分昨晩も彼女ら以外には宿泊客がいなかったと思しき宿の食堂には人っ子一人、ウェイトレスすらも見当たらない。客は少ないが、従業員数もそれに見合って少ないようなので、店側もお茶一杯で居座る客に付き合っていられるほど暇ではないのだろう。
 はぁ……
 洒落っ気のない赤のラインが一本入っただけの柄のカップからほんの僅かに沸き立つ湯気を溜息で散らし、その奥に緩やかに波紋が広がる褐色の水面を見下ろすと、焦茶色の茶葉がゆらゆらと揺れてカップの底に沈殿した。特に一緒に朝食を食べようと約束しているわけではないし、そもそも目を覚ます時間がウィルは人一倍遅くソフィアは人より多少早いたちなのでこれまでもこうして一人で食事を取ったことは幾度もあるのだが、空気の流れすら止まったようなこれほどまでの静寂の空間に一人放り込まれる羽目になったのは、彼との旅を開始して以降、睡眠時間を除けば初めてだったかもしれない。
 ……はぁ……
 額をカップのふちにこつんとつける。時間の進みが恐ろしく遅い。ウィルならば何時間でも楽しんでいられそうな無目的な時間の過ごし方はソフィアには五分で限界だった。ソフィアはぐいっとカップを呷ってぬるんだ中身を飲み干すと、ソーサーに手荒く置くや否や席を立ち、二階の客室の方へと足を向けた。

「ウィルー。ひまー。遊ぼうよー」
 客室のドアをノックすらせず何の遠慮もなく開けて中を覗き込むと、狭い部屋の窓際のベッドの上掛けが人間のサイズに盛り上がっていることに気がついてソフィアは思わず顔をしかめた。
「うぁ、ほんとに寝てるし」
 声を上げたが、今日は寝転んでいるだけでなく本格的に寝入っているのか返事は返ってこない。入室の許可は貰えなかったがソフィアはやはり遠慮することなく部屋に入って、ぺたぺたとベッドに歩み寄った。
「ウィルー?」
 小さな声で呼びかける。が、やはり返答はない。こちらに背を向ける形で横になっていたので身を乗り出して顔を見てみると、彼の瞼は安心しきったように閉じられていて、半開きになった唇からすうすうと気持ちよさそうな寝息が漏れている。夢も見ないほど熟睡しているのかひたすら無心に、自室への侵入者にも全く気づく様子なくベッドに身体を沈み込ませているウィルの姿を見て、ソフィアは、もう、と頬を膨らませた。
「寝るなら鍵くらいちゃんとかけておかなきゃだめじゃない。危ないなあ」
 それ以前に、いくら害意がない相手といってもベッド脇にまで他人に踏み込まれて気づきもしないなんて、戦士とか魔術士とかいう人種としてはどうだろうかとソフィアは思う。ソフィアは戦場でならば足音の一つも立てずに歩みもするが、普段は人を驚かせるのも悪いと思い、あえてなるべく気配を消さないようにしているのでウィルほどに戦闘経験のある人間なら例え眠りに落ちていたとしても分かる――というかウィルでなくとも誰でも目を覚ます程度には騒々しいと自分でも思っているのだが。
「もー。暇なのにー」
 ぶー、と息を吐きながら呟く。だらしなく寝こけている彼は非常に満足そうでそれが尚更腹が立つ。ウィルが眠っているのはソフィアの部屋にあるものと同じ普通の大きさのシングルベッドなのだが、窓際に寄って身体を横に向けている為背中側に比較的広いスペースが空いていたので、彼女はベッドマットをのそのそ揺らしながらその上に上がり、ウィルの背に膝をつけるような格好でぺたんと座り込んだ。真上から、じー、と横顔を見下ろしてみるが、彼はこれでもまだ目を覚ますどころか眉を動かしすらしない。もしかしたらほっぺたをぐにーと引っ張っても目を覚まさないかもしれない。どうしようか。やってみようか。怒られるかな。謝ればいいか。
 簡単に決意して、そうっと指を伸ばして頬骨のあたりに触れると、痩けているというほどではないが肉の薄い頬は、すぐに指先にこつんとした骨の感触を返してきた。ウィルはあまり骨格に凹凸の無い顔立ちをしていて、肌も男の人にしてはすべらかで白い所為か、どことなく中性的な雰囲気を感じさせる。手指などはそれなりに男の人らしく骨ばっているし、ウィルとしては本意ではないだろうが身体中に刻み込まれている古傷には歴戦の戦士のような威圧的な風格があるのだが、上掛けを肩までかけてすやすやと眠る姿には強悍さに類するものは全くと言っていいほど感じられない。力の抜けた穏やかな寝顔だけを見ていれば、深遠な智謀によって数千にも及ぶ解放軍を率い、強力な魔術を用いて数多の敵を焼き払ってきた教会屈指の能力を誇る魔術士であるとはとても思えなかった――外見に関してはソフィアもあまり人のことを言えた物ではないのだが。
 直に触れてもウィルは全く目を覚ます気配を見せないので、ソフィアはもう少しだけ悪戯を続けてみることにした。思いのほか形のよい通った鼻筋を横に眺めつつ、つっと指を下に滑らせていき、頬の一番柔らかい部分に辿り着く。最初はつまんで引っ張ってやろうと思っていたその場所だが、解放軍での友人だったユーリンほど驚異的な伸縮性を誇っているわけでは無いという事は知っていたので彼女は割とあっさりと興味を失い、そこを通過して先に指を進める。
 ソフィアの指はウィルの顎に到達した。細い顎には見た目には髭は殆ど生えておらず、中性然とした印象をより強める。小まめに手入れをしているというわけではなく元々そういう体質であるらしい。それでも何日かほったらかしておけば当人の性格とまさに同じようにやる気なさげには生えてくるようで、一度ならずキスのときにごく僅かながらにちくちくした感触を覚えたことはある。田舎のおじいちゃんの頬擦りほど痛くない、けれども柔らかいわけでもない、微妙な触感だった。
 ぼんやりと横顔を眺めながら、ソフィアは指を動かす。顎先から輪郭をなぞり上げるようにして、下唇に触れる。血色のよい唇はほんのりと温かく、乾いていた。肌に馴染んだその触感を確かめるようにソフィアは指で左右になぞって――不意に自分の行動に気がついてぎょっとする。
(やだ……もう、何やってるのよ、あたし……)
 これじゃまるでウィルみたいじゃないか。相手の意識が無いのをいいことに自分の思う様に他人を弄くり回すだなんて――いや多分そんなことをされたことはないけど。ていうかあったら殴り倒すけど。
 自分に心底呆れ返りすぐさま手を離そうと思ったが、何故だかそれは思うだけで、指はそこから離れようとはしてくれなかった。
 ――ウィルが目を覚まさないから悪いんだ、と胸中で言い訳をする。別に変な意図があるわけではなくて、ウィルが起きないから、ウィルが構ってくれないから、ウィルが触れてくれないから。だから、離せない。
「ねえ、ウィル、起きないの?」
 人差し指で唇をとんとんとノックして、呼びかける。規則正しい寝息だけが暖かく指先に触れる。
 ウィルは解放軍の時代からどうしてここまで眠れるのか不思議なくらいによく寝る人で、こうやって寝顔を見下ろしたことも一度や二度の話ではなかった。特別な用事がない限り――例えば王子も同席する朝一番のミーティングを寝過しかけるとかいう緊急事態が発生しない限りソフィアは彼の寝顔を眺めるだけで、彼の安眠を積極的に妨げようとはしなかった。それは、無表情といえばそうに違いない彼の寝顔が何故だかとても幸せそうで、見ているだけで幸せな気分と穏やかなまどろみを分けてもらえることを知っていたからだったかもしれない。
 けれど今は、特に理由はないのだが、どうしても彼に目を開いて欲しかった。自分をその目に映して欲しかった。
 ウィルの唇に触れていた指をソフィアはつと離して、その指で自分の唇に触れる。吐息の熱と湿り気を微かに纏う指先に感じたのは紛れもない彼の気配。
 ベッドの、ウィルの肩の向こう側に手を突いて、真上から彼の横顔を見下ろす。そしてそのままゆっくりと上半身を折って、彼に近づいていく……
 と。
 これまで微動だにしなかったくせに何の気配を感じたというのか、ウィルはぼやんと瞼を開けた。
「……ん、んー……?」
 喉の奥から寝ぼけた呻き声を漏らしてふと視線を天井方向へ向けて――
「……おおぁ!?」
 間近にあったソフィアの顔を目にしたウィルがその据え膳に喜びもせずに反射的に驚愕の声を上げた瞬間。
 ソフィアもまた反射的に、ウィルの頬を思いっきり引っぱたいていた。

「ええとなにゆえ俺は寝起きにいきなりビンタを頂いちゃっているんでしょう……?」
 ベッドの端にちょこんと申し訳なさそうに腰掛けて、頬に真っ赤な紅葉を張り付かせた顔でぼんやりと尋ねて来るウィルに、ソフィアはその前に仁王立ちになったまま硬く握った拳を振って激しく答弁した。
「ウィルがいつまでたっても起きないからよ! 何回も呼んだのに!」
「呼んだ……って、何かあったの?」
「ないわよ! 悪い!?」
「いや悪くな……くもない気はするけどそう開き直られるこっちとしてもなんていうか反論しにくいんだよね……」
 明らかな言いがかりにもウィルの声は鈍い。まだ半分眠りの国に脳みそを置いてきている状態であるようだ。ウィルは比較的温厚ではあるがさすがに百パーセントの言いがかりをむやみに甘受するほど主体性がないわけでもないので、時たま二人がするように、争点の食い違う不毛な言い合いが展開される可能性もあったのだが、そういった意味では今回は助かった。ソフィアも必要以上に意地にならなくて済んだ。
「……わ、悪かったわよ」
「ん」
 ソフィアの非常にぶっきらぼうな謝罪にウィルは頷いて、右手でぼりぼりと後頭部を掻いた。そうやって自分に多少の刺激を与えているうちに、頭の方も次第に冴えてきたらしい。
「あのさソフィア……ちょっと聞いていい?」
「……よくない」
「もしかして、さ、キス、しようとしてた?」
「よくないって言ったでしょうがぁっ!」
 という答え自体がウィルの言っていることを肯定する証拠だということに全力で叫び返すソフィアは瞬間的には気づかなかったがウィルはそうではなかったようだ。既に大方覚醒した状態に移行している彼は視線に底意地の悪い笑みを乗せてきた。
「どうしたの、急に? 俺の寝顔に欲情した?」
「よ……!? だっ、誰が! ウィルと一緒にしないでよね!?」
 とんでもない台詞を吐き出したウィルに、ソフィアは目を見開いて後退る。実際にそれを追う行動は見せなかったが声は明らかに追い討ちをかけて、ウィルがにやにやとしながら軽く首を傾げた。
「じゃあどうして? 俺に何する気だったの?」
「ちょ、馬鹿な言い方しないでよ!? ていうか違うわよ! そんなんじゃ……っ」
「ない割には、ひどい慌てようだけど?」
「〜〜〜〜っ!」
 顔を真っ赤にして声なき声で叫ぶソフィアを見てウィルは満足げな笑顔を浮かべた。勝ち誇られたような気がして頭にきたので握っていた拳をより硬く、青筋が浮く程に強く握り締めると、ウィルはその爆発寸前の殺気を見て取ったのかさっと顔色を変えて降参を表すように右手をばたばたと振った。
「ごめん悪いすみません、そうだよね、そんなんじゃないんだよね! その通りです! 仰る通りです!」
 あっさりと前言を百八十度翻して弁明してもソフィアが手から力を中々抜こうとはしないので、ウィルは戦略を転換し愛想笑いのようなものを浮かべつつ宥める作戦を展開し始めた。ベッドから腰を浮かせてソフィアの腕を軽く取って引き寄せ、抱き寄せる格好で頭を撫ぜてくる。子供の頃からの決まりごとだからか、頭を撫でてもらうというのはソフィアは実はとても好きなので、ウィルのその行為には逆らわずに彼の肩に額を付けた。が、拳はほどいてはいない。ちらりとウィルもソフィアの手元を見てその事実を認識し、直後、彼女と視線を合わせて乾いた笑みを浮かべた。
「ソフィアってば……そんな、怒んないでよ」
 囁くように言いながら、ウィルは深くベッドに座り直して自分の前にソフィアを座らせ、その後ろから腕を回して彼女を抱きしめた。唯一利く右腕をソフィアの首に回して左側の髪に触れてさらさらと弄くったり、その腕をつつつ、と下ろして膝の上で硬く握られているソフィアの手の甲をあやすように包み込んだりする。
 そんなくすぐったい感触を受け続けているうち段々力を入れている指が疲れてきたので拳を解くと、その隙を突いてウィルの手が手のひらに滑り込んで指を絡み合わせてきた。
「……手、握っていいなんて言ってない」
「うん、言ってないね」
 ソフィアが唇を尖らせて低めた声で呟いてもウィルは手を離す気はないらしく、抱きしめる事が出来ない空いている方の片腕の代わりに彼女の肩に顎を乗せて頬を首筋に寄せるようにしてぎゅっと締め付けてきた。ソフィアはほんの少しの間、その重みのある感触にどう対処しようか考えてから、結局目を閉じてウィルに頭を寄りかからせた。
 すう、すう、と涼風のような心地よさで彼の吐息が耳に届く。それは寝息のような穏やかさで、もしかしたらまた眠ってしまったのではないだろうかとソフィアは一瞬思ったがそうではなかったらしく、丁度たまたま彼女が意識を向けたその瞬間に、彼が唇を開く気配を見せた。
「ねえ、ソフィア、もしかしてちょっと寂しかった?」
「な」
 唐突にかけられた言葉は全く思いもよらなかったもので、ソフィアは思わず口を丸く開いて絶句する。
「な、何言ってるのよ、そんなわけないじゃない」
 本当に、そんなことは考えていなかった。昨日の夜におやすみと別れて床について朝を迎えて食事を取って――彼と話していなかった時間なんてたかだか半日足らずなのに、寂しいだなんて思うわけがない。
 ……と、思う。
 だったら、さっき自分を突き動かしていた情動は一体なんだったんだろう……という部分はソフィアにとっても未解決のままだったがウィルはそれ以上何も言わず、するりと絡めていた指を離して彼女の肩を強く抱きしめた。
 そしてそのまま、ソフィアを横向きに引き倒すような格好で、自分ごとベッドに倒れこむ。
「なああっ!? 何するのっ!」
 先ほどから妙に脈絡のないウィルの行動に驚いて、慌てて後ろを振り返ろうとするソフィアに、彼女の肩口に顔をうずめた格好のままのウィルは少しくぐもった声で囁く。
「一緒に寝よう、ソフィア」
「は、はあ!? ちょっと、ば、馬鹿も休み休みっ……」
「変なことをしようって言ってるんじゃないって。一緒に昼寝しようって意味」
「…………っ」
 それもある意味結構どうだろうという感じはするのだが。そう言われてもウィルの思う変なこととソフィアの思う変なことはその水準に差異があるような気が常々しているので安心できないし、そもそも何もしなかろうと同じベッドで異性と眠るというのは慎むべき行動であると前にウィル自身に言われたためしがある。もっともその時の相手は恋人でない男性で、ウィルとしてはその点について憤慨していたのだろうと思うが結婚していない以上控えるべき部分にそうそう差はないのではとソフィアは思う。しかしそれ以前に子供の時分には散々彼に添い寝をしてもらっていたことを覚えていなくもない以上今更一緒には寝られないと言ってももう遅いわけではあるのだがそれはやはり子供の時の話であるからこの場合の考察からは除外すべきことなのかもしれない。第一朝起きて寝巻きも着替えていないで寝直すというのはいくら昼でも昼寝ではなくてただの二度寝ではないだろうか。
 段々自分が何を考えているのか分からなくなってきたところに一番最後に考えた部分についてまあそれは別にいいかと何となく納得してしまったことで少しすっきりしてしまい、ソフィアは腕枕の状態になっているウィルの右腕に頭を預けた。外耳をぴったりと腕につけて耳を澄ますと上腕の動脈が心地よいリズムで拍動しているのが聞こえて、不思議なほどの安堵が身を包む。ふわぁ、と、ソフィアは大きくあくびをした。
 ウィルが背中にのしかかるようにして寄りかかってきて、ソフィアの身体越しに彼の左腕がことんと落ちた。力の入っていない――入れることの出来ない冷たい腕を、ソフィアはゆるゆると両手で掴んで自分の方に引き寄せて、胸の前で祈るような形で握りしめる。
 いくら感覚すらもないといっても自分の腕がどのような待遇を受けたかは見ずとも分かったようで、ウィルはソフィアの頭の後ろでくすりと笑声を漏らした。
「冷たくない?」
「冷たいわ」
 彼の言う通りその腕はとても冷たかったので、ソフィアはそれを自分の腕と身体で包むようにしてぎゅっと抱きしめた。ウィルが生み出せない体温は自分が分けてあげればいい。ずっと抱きしめていればきっといつか二人の温度は溶け合って、境界がなくなって……一つになるに違いない。
 一階の食堂にいるときからやんわりと襲ってきていたけだるい眠気の勢力は今や完全にソフィアの意志力を凌駕し彼女の瞼を優しく撫でてきていた。これを振り払おうとしてウィルのところに足を運んだのだというのにいざ来てみればそのウィル自身が睡魔の尖兵であったとはとんでもない裏切りである。完全なる敗北だ。それは認めなければならないだろう。思わぬ通謀者の存在により前線特務部隊は完全に瓦解、基地を放棄し速やかに撤退せよ、繰り返す……
 うとうととする頭の中を意味も意図もあったものではない寝言が流れていく。その中に、寝言たちと同じくらいの違和感のなさでウィルの声が混じり込んでいた。
「ソフィア」
 ……何か言ってる声が聞こえる。司令本部からの通達かも。敬礼でもって迎え入れなければならないかもしれないが眠いので諦める。
「ソフィア。俺はね、君がいるから、眠れるんだよ」
 そよぐ風の音。庭園に舞い降りる小鳥の鳴き声。そして萌える芝生の真ん中で、こちらに手を差し伸べて名前を呼んでくる、彼。覚醒時であれば無茶苦茶とも思える唐突さで、けれども今のソフィアにとっては全く自然に鮮やかなイメージが再現される。
「昔は……君と再会するまでは、眠るのが少し怖かった。目を開けている間は君がいないことを理性で認識して耐えることが出来たけど、目を閉じると君の温もりがいくらでも記憶から呼び起こせる分、却って君がいないという現実を目の当たりにさせられた。……けど今は、怖くなんてない。むしろ好きだ。感じる温度が本当のものだと知ってるから。目を開いたときに君がいつでもそこにいる幸せを信じて眠ることが出来るから。……寂しくないから」
「……うん」
 ソフィアが返事をすると、ウィルはぴくりと身体を振るわせた。呼びかけの形で話しておいて、まるで聞かれているなどとは思っていなかったかのような反応にソフィアは何かを言おうとして、何を言うべきかを忘れてしまった。というよりもう何を言われたのかすら忘れた。
 ただその後に続いた、「おやすみ、ソフィア」という声に頷いておいたのは覚えていた。



- おしまい -

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