鈍い悲鳴と共に幼子の口から飛び散ったのは、赤黒い液体。
「トムス、トムス……っ!」
「ママぁ……、ライラママ……痛い、痛いよ……」
悲痛な声で叫ぶライラに、弱々しく小さな少年は縋る。少年をかき抱くライラの周囲には、同じようにして倒れ伏す幾人もの子供たちの姿があった。
「ママ……ママ……助けて、助けて……」
「苦しいよ、痛いよ、ママ……パパ……」
愛する子供たちの苦痛の声の中、戦火の中においても沈着冷静な聖騎士であったライラはただ、混乱し、徐々に力を失っていく少年を腕に抱いたまま呆然と膝をついていた。
ああ……
どうして、こんなことに――
ライラの頬に涙が伝う。
どれだけ後悔しても、もう遅い。
本当は、分かっていた。
こうなったのも全て、私の力が足りなかった所為。
私の、所為……
愛しき人、サージェンの隆々たる筋肉に包まれた背が震えていた。
彼が家に戻ってきたときにはもう全てが遅かった。彼は何も言わなかった。ライラを一言も責めることはなかった。ただ、ひたすらにこの惨劇を食い止められなかった自分に悔いていた。
それが、ライラには何よりも辛かった。
「サージェン、決めたわ……私は行く」
「ライラ……」
朝を迎えて決然とした瞳で告げるライラに、サージェンは逡巡が伺える眼差しを返した。行くな、と彼は言っている。ライラは言外の彼の声を聞いたが、首を横に振った。これが、一晩悩み抜いて出した、最良の結論だった。
「行かなくちゃいけないの。これは……私の過ち。自分の罪は自分で濯がなくてはならないわ。もう二度と、同じ過ちを繰り返さない為に」
「ライラ、自分を責めるな。お前だけの所為ではない。俺があの晩、家にいさえすれば」
防げたはずだった。確かに、そうかもしれない。けれども――自分の責を何故彼の不在に擦りつけられよう。彼がいなければ、ライラが成さねばならぬ義務だった。子供たちを護ることは。
それも護れず……何が「ママ」だ。
孤児たちの母親気取りで、自分が成したことと言えば――
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
謝罪の言葉はどれだけ呟いても足りない。
「私が、私がしっかりしていれば……全部私の所為なの。私が、私が」
「ライラ、もう言うな」
サージェンは強くライラの細い肩を抱きしめた。サージェンはライラの覚悟を感じ取った。
「……ライラ。そこまで決意が固いのなら、もう何も言わない。お前の決めたように、するがいい」
「サージェン……」
「だが、約束しろ、ライラ。必ず無事に帰ってくると。お前の帰る場所はここなのだから」
「ええ、ええ、分かっているわ。この決着をつけたら、きっと戻ってくるわ。そしてそのときは、今度こそ……」
皆と、幸せに。
切なる願いだけは胸中に残して、ライラはサージェンに背を向けた。
「はふぅ……。あ、パパ、おはよー」
目をこすりこすりパジャマ姿の少年が、戸口に立ち見えなくなった妻の背中をいつまでも見送るサージェンに声を掛けた。
「ん、トムス、もういいのか?」
「うん、昨日いっぱいうがいして寝たからもうお口の中、苦しょっぱ辛くないよー。……あれ? ママは」
「ママは……料理教室だ」
重苦しい声音で呟かれた一言に、少年の頬が、どこか子供らしさに欠ける形で引きつった。
「……だ、だいじょうぶかなあ」
「わからん」
「どっちかというと、教室の先生が」
「……それは、誰にも、わからん」
サージェンは素直に答えていた。
「……昨日のお夕飯のことなんて気にしなくてよかったのに。パパがいないときは料理当番はみんなで交替でやろうねってことで、夜、相談しといたから」
「…………。さあ、朝飯にするか」
少年の肩に手を置いて、サージェンはリビングへと足を向ける。
とりあえず、料理はともかく、お前の教育は間違ってないようだぞ。と、彼は心の中で呟いていた。
- FIN -