とある戦場の一風景・2


 この所、何かあの女の様子が変だ。
 ……変、というのはおかしいかもしれない。いつも戦争がない時は溜まり場で、部隊員達と建築物をタコ殴りする時のような物凄い勢いでくっちゃべり続けているか、逆に寝てるんだか起きてるんだか分からん年寄りみたいにぽけっと座っている事が多かったのに、この所は溜まり場にいること自体も少なく、首都で見かけたかと思えば何か用事でもあるのか、忙しそうに走り回っている姿をよく見る。それは寧ろこれまで色々変だった奴がちょっとはまともな人間っぽい活動を始めたという方が適切な表現になるのかもしれない。
 だが今迄とは違う、という意味では明らかに変だったので、何があったのだろうかと少々気にはなっていたのだった。
「なあ、おい」
 今日もどこかに行こうとしていたらしく、溜まり場の入り口ですれ違った俺に挨拶がてらに手を振ってきた女に、俺はつい声を掛けていた。軍管区の方に足を向けようとしていた彼女が、ソーサラーのローブを翻してくるりと振り向いてくる。
「なあに? たんたん」
「……たんたんって誰。っていうか何」
 謎の呼び方に俺は顔を顰めた。俺は断じてそんなパンダもどきな名前ではない。
「短スカ君だからたんたん。ダメ?」
「ダメ以前に訳が分からないんだが」
「いいと思ったんだけどな、おかしいわね」と首を傾げる女だが何より俺はお前がおかしいと思う。――ちょっとは真人間になったかと思っていたがやっぱりどこか根本的におかしい奴だという点は相変わらず健在なようだった。喜ばしくはねーけど。
「で、なあに? 何か用事?」
 改めて問われて、俺は内心少し慌てた。何となく呼びかけはしたが、特に用があったわけではないのだ。
 しかし自分から呼び止めた以上何も用はなかったと打ち明けるのはみっともなく思えたので、二秒で考えて適当に思いついた事を口にした。
「た、たまには一緒に戦争いかねえか?」
 ちょっとどもってしまったのはご愛嬌だ。自慢じゃないが俺はアドリブの効く方ではない。
 しかしそんなちょっぴり緊張気味っぽくも聞こえなくもない俺の誘いに、その女は少しだけすまなそうな顔をしつつも、至って明るく詫びてきた。
「ごめんね、私ちょっとパス。これから、部隊長が訓練場で中級の特訓してくれることになってるの。また今度一緒に行こ!」
「……あ、そう」
 どことなく弾んだ調子にも聞こえるその言葉に、俺は何故か肩透かしを食らったような、気の抜けた返答しか出来なかった。再度手を振りくるりと踵を返して、てけてけと走っていく後姿を黙って見送る。頑張れよ、くらいは言ってやりゃあいいものを、本当にアドリブ効かねーな俺はと自分で自分を情けなく思いながらも、遠ざかっていくあいつを見送ってそのまま街を出た。


 先ほど宣戦布告されたばかりの戦場に入った俺は、周囲で交わされる宜しくという挨拶や景気づけの声を尻目に黙々とエンチャを済ませ、戦争が始まるまで何をするともなく自軍拠点たるキプを見ていた。
 やがて時が来て、戦争の火蓋が切って落とされた。魔法の力で一時的に武器を強化するエンチャントの今回の効果は可もなく不可もなく程度で、普段だったら初動くらいはクリスタル採掘と建築に参加する所だったが、何故かいやに気分がもやもやとしていた俺は気晴らしに即攻で前線に走ることにした。
 俗に瓢箪と言われる地域の、ほぼ中央で接敵。ぱっと見かなり平坦ではあるが乱立する両軍の建築物の所為で結構視界が悪かったりもするこの地形は、短剣スカウトには比較的活躍しやすい戦場だ。
 とか冷静に考えている振りをして、最前線の俺は半分以上意識を戦争の外に置いてきた上の空状態だった。
 ――訓練って言ってたな。もしかして、この所忙しそうにしてたのは、ずっと部隊長と訓練してたからなんだろうか。
 俺の頭の中を占拠していたのは目の前の敵への対処法ではなく、戦場に持ち出すべきでは決してないはずの全く無関係な物思いだった。
 ――訓練してるんだったら、ちょっと教えておいてくれてもよかったのに。あいつも部隊長も、秘密みたいな真似しないでさ。
 物思いっつーか、言いがかりじゃねーかこれ、と、俺の中の冷静な部分がツッコミを入れる。
 ――いや、別にわざわざ俺に言う必要性なんかねえよな。そもそも別に最初から秘密にしてるつもりでもなかっただろうし。
 そんな事はいちいち考えるまでもなく分かりきったことだ。ただ――
 部隊長と訓練するんだ、と嬉しそうに言うあいつの顔が脳裏に浮かんだ。兵士としてうちの部隊にやってきてから約半年、いまだに半人前の氷皿でしかないどんくさい女なので、訓練は是非ともするべきだと俺も思う。そしてその教師として、部隊で一番腕の立つソーサラーである部隊長以上に適任な人間はうちにはいない。短剣スカウト一筋の俺が出る幕ではないのは言うまでもなく分かっている。
 自分でも意識しないうちに俺は、あいつと部隊長が二人で訓練している姿を想像し始めていた。どういう事を教わってるんだろう。どういう風に教わっているんだろう。やっぱりあいつはさっきみたいに嬉しそうな顔をして、話を聞いているんだろうか。
 考えれば考える程、何だかよく分からなくなってくる。自分が何を考えようとしてるのかってことさえも。
 ただ非常にくだらなくて女々しいって事だけは自覚出来る思考を、そうと分かりながらも自分で止めることも出来ずに続けているうちに、うっかり横合いからカレスに巻き込まれ、挙句ヘルで焼かれてデッドした。
 倒れた俺を踏み越えて戦う他の奴らの気配を感じる意識は朦朧としていたが思考はそれ以上に朧げで、でもとかだってだなどという言葉が主成分のもやもやがいつまでもしつこく頭の中に蟠っていた。
 そんなまとまりなく渦巻く思考の中で、
 ――もしかして俺、部隊長に嫉妬してるんだろうか。
 そう、思いついた。

 ……馬鹿だ、俺。

 自軍本拠地で意識を取り戻し、再び前線に舞い戻ったその後も殆ど呆けたまんま戦っていたからか、俺の戦果はかなり悲惨なものだったが戦争自体は勝っていて、部隊に勝利を報告すると、それを聞いたあいつからも返信がきた。
「おつー。私も特訓終わった所だよー」
 帰還中だったのでそのまま再返信はせず首都に戻って溜まり場に着いてから、先に戻っていつもの場所に座っていたあいつに、さっきは言えなかった労いの声をかけた。
「特訓お疲れ」
「うん。前よりはちょっと中級当てられるようになったかも」
 にっこりと嬉しそうに言う彼女を見て、俺の胸中には戦争中のもやもやを三割増しにしたくらいの複雑な思いが沸き起こったが、そんなことはおくびにも出さず努めていつも通りに軽口を返す。
「じゃあもうヲリに追っかけられて涙目にならなくて済むな」
「それは禁句ー」
 敵に追いかけられているのを助けてやったことなど一度や二度ではないのだから禁句も何もあったものではなかろうに。思わず苦笑しながら腰を下ろそうとする俺に、彼女が下から俺を見上げる形で明るい声を掛けてくる。
「だから、今度は私がキミをフォローするからね。その為に頑張ったんだから」
 普段と変わらない朗らかな口調の彼女を中腰の体勢のまま思わずまじまじと見た俺は、
「……え?」
 そんな間抜けな声を上げるのでやっとだった。ほんの数秒前まで胸の内にあったもやもやとは全く別の新たな混乱が俺の中に去来してきて目をしばたく。なにそれ。どういう意味。いやこの女のやる事成す事にそんな深い意味がある気はあんまりしないのだが、でもそれってちょっとなんだか意味深な……
 しかしこの女はそんな俺の心中など露知らずという顔ですっくと立ち上がると、有無を言わせず俺に手を差し伸べてきた。
「ねーねー戦争行こうよー。一緒に行くって約束したじゃない」
 促されるままに連れ出される俺を見て、たった今溜まり場に戻ってきたらしき部隊長がすれ違いざまにニヤリとしやがった。――悔しいが、笑われても文句が言えないような間抜けな顔をしていたに違いない。

 ……つくづく馬鹿だ、俺。


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あ、はい。