とある戦場の一風景・1


 はぁっ、はぁっ、
 ……などという息遣いが実際に聞こえて来ることはないものの、それが聞こえてきたとしても全く不思議ではない必死さで、女は荒野を真っ直ぐに駆けていた。女を必死たらしめているのはその背を追う、鎧に身を包んだ男二人。大きな斧を両手に構える戦士と、片手剣と盾を持つ剣士に無言で追われる女の頭には、ただひたすら逃げる、という文字しかないようだった。女と男ら、二組の走る速度は等しく、相対距離は縮まることが無かったが、突如、斧を持つ戦士の方が構えを変えた。次の瞬間、一挙に、女に向けて跳躍する。
 『ストライクスマッシュ』と呼ばれる両手武器を持つウォリアー専用の突進技。距離のあるターゲットに素早いジャンプで突進し、一撃を入れるという技だが、その性質は、このような追跡時の機動力としても使うことが出来る。その突撃は女の背に僅かに届かなかったが、戦士は着地後即座に武器を振り、衝撃波『ソニックブーム』を放った。
 本来ならば武器の間合いからは外れた位置にある女の細い背に、空を斬る衝撃波が命中した。その一撃に、女は苦悶するように仰け反ったが、即座に体勢を立て直すとそのまま走り続けた。既に女は瀕死と言っていい負傷を負っていたが、まだ、諦めるつもりはないらしい。
 しかし、この逃走劇の結末はこのままでは火を見るより明らかだった。
 両手ウォリアーの間合いの中にいる以上、ただ走るばかりでは逃れ得ないし、その間に片手ウォリアーが追いつけば、相手に数秒の気絶状態を齎す凶悪な片手剣技である『シールドバッシュ』を入れられて確実に女の命はない。いや、ソーサラーである女の貧弱な防御力ではそれ以前に両手戦士の追撃そのものにすら耐えきれないだろう。
 戦士の男が女に止めを刺さんと技を放つ、その気配の直前――
 その男の武器が、俺の目の前ではじかれるように飛んだ。
 『アームブレイク』。一時的に相手の武装を解除するスキルである。唐突に何も無かった空間から現れこれを放った短剣を持つ兵士、即ち俺にようやく戦士の意識が向く。スカウトの隠蔽スキル『ハイド』を使い接近したのだった。その隠蔽は万全ではなく注意さえ払っていれば発見することはできるのだが、この戦士は目の前の獲物に夢中になるあまりに索敵を怠っていた。それが仇となった。
 息をつく間も与えず俺はウォリアーに対し足払いをかける。『レッグブレイク』を食らった戦士は明確にその歩みの速度を落とした。
 この戦士とのサシの勝負なら、ここから倒しきるだけの自信はある。が、敵はもう一人いる。対してこちらも二名だが……
 残った片手剣の男に視線をやると、そいつはこちらに対し攻撃を仕掛ける意欲を失ったようだった。あちらから見れば現状は――『アームブレイク』の効果が残っている間においては二対一の劣勢である。
 加えて既にこちらの陣営に近い所まで逃げ切っていたことが判断の決め手になったのだろう。片手剣の戦士はこれ以上の追撃を断念して踵を返した。まあ、的確な判断かもしれない。普通なら。

「ありがとうっ♪ 助かったぁ〜!」
 敵の背も大分遠ざかり、こちらも自陣に引き返す道すがら、女は能天気な口調で俺に礼を述べてきた。あと一撃でも攻撃を貰えば地に伏していたこと確定だった体力は回復薬『リジェネ』を用いることによって徐々に回復しつつあるがまだ全快には至っていない。
 それだけの窮地の直後であるというのに全く危機感の感じられない女を俺はじろりと睨んでやった。
「なぁにがありがとうっ♪だ! 瀕死になる前にジャベなりボルトなり当てて撒いて来いよ!?」
 ソーサラーには、今追いかけてきた敵ウォリアーのような高機動スキルはないが、その代わりに『アイスジャベリン』や『アイスボルト』がある。アイスジャベリンは数秒の間敵を凍結させ、アイスボルトは俺の使ったレッグブレイクと同様、敵をしばしの間鈍足にするスキルだが、俺の記憶が正しければこの女はそのどちらのスキルも取得しているし、一発当てれば十分逃げ切るだけの余裕を得られるはずである。
「ええー。動いてる相手なんかに魔法を当てられるわけないじゃない」
「ソーサラーの存在意義を真っ向から否定することを堂々と言うな! 大体なんであんな敵地の奥の方から皿がてけてけ単身で走ってきてるんだよ!」
 ちなみに皿、とはソーサラーの略称である。
 機動力と攻撃力を兼ね備えたウォリアーや、名前からすると本来潜入工作などを任務とするはずの俺のようなスカウトならば、敵陣深くに単身切り込み敵軍後方に工作を行いに行くこともある。が、その任にはソーサラーは全くもって向かない。大きな隙を伴いながら強力な攻撃を放つことが出来るのがソーサラーの強みだが、それだけに単独行動は不得手だし、そもそも裏方と通称される後方支援部隊を妨害したり、敵に有利な効果を齎す敵建築物を破壊する能力自体が弱く潜入する意味もない。
 俺の責めに女は唇を尖らせるような調子で反論してきた。
「ちがうのー、あの、主戦場にいたんだけどうっかり思ってたのと反対側にステップして崖から落っこちちゃって。前線に戻りたかったんだけど登れないんだもの、歩いて帰ってくるしかないじゃない。そしたらなんか追っかけてくるし。逃げるしかないじゃない」
 そんな情けない失敗を堂々と言われても。思わず頭を抱えてしまいたくなる。
 本当にさっきのウォリアーたちがあっさりと引いてくれて助かった。見た感じ、両手ウォリアーの方がさほど熟達しているようではなかったので一対一なら勝てる相手だとは踏んだのだが、本来スカウトはウォリアーと戦うには酷く相性が悪い。両手ウォリアーの渾身の一撃は一瞬にしてこちらの体力を四割以上削る程の威力があるのだ。もう一人の方はそこまで強い攻撃力を持たない片手武器の戦士だったが、逆にその防御力は異常に高い。その二人のウォリアーと二対一でやりあうというのは正直分が悪かった。
 ……そう、あちらは自分の方こそが一だと勘定してさっさと撤退してくれたが、実際の所この女は戦力になどとてもではないが入らない。一だったのはこちらの方だったのだ。
 しかし俺はこれ以上責め立てることはやめてやることにしてやって、
「全くどんくさい奴だな」
 と言うに留めたが、
「むー。そうやっていっつもひどいことばっか言うー」
 女はそう言ってむくれた。

 この女との付き合いはそれほどは長くない。
 俺の所属している部隊に二ヶ月ほど前のある日、新入隊員として部隊長に連れられてやってきた。部隊長が参戦した戦場で、裏方の最も初歩的な業務であるクリスタルの採掘方法すら知らなかったというどんくさいことこの上ないこの女をたまたま見つけ、見かねて拾ってきたとのことだった。部隊長はよく言えば面倒見がよく悪く言えばお節介で、これまでも何人かそのような新兵を拾ってきてはそれなりに動けるようになるまで育ててきている。
 聞けばその日兵士としてこの国に登録されたばかりの超がつく新米で、右も左も分からずうっかり戦場に迷い込んでしまったという、兵士としてではなくもっと根本的な所でどんくさいこいつに、部隊長はまずは基礎的な能力を上げる為に首都の周辺に生息するモンスターの討伐を指示した。単調な動きをするモンスター相手にある程度経験を積んだ所で戦争においての戦略をごく初歩的な範囲で教えられ、後方支援要員として働きながら実地で戦争の基礎を学んでから、ようやく最前線で戦うことを許された。
 その教育を行っていたのは殆ど部隊長だったが、部隊長がいないときには一応副隊長という立場を与えられている俺がその役を受け持っていた。俺も部隊長も普段は敵味方入り乱れる主戦場の最前線にいることが多かったが、この女を教育している間はそんな場所に行くわけにも行かず、主戦場から遠く離れた僻地にあるクリスタルで採掘を行ったり、そのクリスタルを用いて多分魔術的な技術か何かで(原理は俺もよく知らない)建築物を建造したりする方法を教えてきた。
 一口に戦場とは言っても僻地では、最前線の殺伐とした雰囲気とは違ってどこか牧歌的で安穏とした空気が流れている。そんな空気は俺にとっては馴染みのない物ながらも別に嫌いではなかったのだが……

「このマップ上にある▲マークが現在建っている自軍の『オベリスク』。で、これを囲む明るい範囲が自軍の『支配領域』。オベリスクを建てることによって自軍の領域が増え、自領域を増やすことによって敵軍により多くのダメージが与えられる」
「うんうん」
「オベ建築には限りある資源であるクリスタルを消費するし、敵に破壊されたら自軍のダメージに繋がるから無駄に立てることは望ましくないが、安全な僻地の方なら多少オベを多く使用しても漏らさず自軍の領域を確保できるように建てきってしまった方がいい」
「ほうほう」
「このマップの隅っこの方。ちょっと領域が埋まってない所があるのは分かるな?オベの建築に必要なのはクリスタル15個。さっき俺がトレードしたクリスタルで足りるはずだな。建てて来い」
「おっけーまかせて!」
 迷いもなく指示された方角に走っていくその姿だけはいっぱしの裏方要員のように見えたがなんとなく心配になって、俺も持ち場を離れついていく。建築の方法自体はクリスタルを用いず戦局にも殆ど影響しない『スカフォード』という別の建築物を建てることで教えてはあるのだが……
「クリスタル15個消費! さあさあ出て来いオベリスクー!」
 初めてのオベリスク建築に喜び勇む彼女の目の前の地面に、土煙を上げてにょきにょきとばかりに生えてきたのは……
「おま! これ違う! これは『アロータワー』!! ちゃんとよく読んで建築物選択しろよ!? 書いてあっただろ!?」
「あれぇ?」
「あーもー、ATは建築上限数が少ないのに」
 アロータワーは敵に自動的に矢を射て攻撃する建築物だ。敵どころか味方すらも殆ど通りすがらない戦場の片隅に建てるメリットは皆無である。
『裏にAT建てたの誰……。』
 広域での軍の情報伝達に用いる『軍団チャット』経由での、誰かの冷めた感じの呟きに、
『あああすんませんすんません以降気をつけますみっちりと気をつけさせて頂きます!!』
 俺はひたすらに謝り倒したのだった。……まあこれは、初心者教育だというのに横着してオベリスク分のクリスタル15個きっかりを持たせなかった俺のミスでもあるんだが。

 この女のやることは割と何もかもそんな感じで最前線での戦闘とは別の意味で緊張した日々を過ごし続けたが、その度に何度も何度も繰り返し説明し、日を重ねていくことでどんくさいこいつも失敗を徐々に減らすようになり、今はまあまあ一人で行動させても大丈夫なようにはなった。先程は全く戦力にならなかったが、戦線から離れた場所での少人数戦などはそれこそ極端に経験の差が物を言うから、新兵に一本ばかり毛が生えた程度のこいつには荷が勝ちすぎているというのは当然ではあったのだ。これでも味方のフォローも得やすい主戦場であれば、どうにか氷魔法使いのソーサラーとして人並みの半分くらいの働きは出来るようになっている。
 とはいえそんなものでは言うまでもなくまだまだだし、うっかり目を離した隙にこうなので、まだしばらくの間はこうして面倒を見続けてやらなければならないだろうが。
 全く、世話の掛かる奴。
 内心でほとほと呆れてそう呟いた自分の口元が、何故か微妙に緩んでいたことに気がついて、俺は慌てて奥歯を噛み締めた。


- INDEX -

瀕死皿+短スカvs両手+片手だと相手が引いたのは完全に自軍側まで逃げ切ってたからってだけだと思ってもキニシナイ!